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そして勝利の女神は微笑みかける

 第四ゲーム目。

 ここまでの結果は大塚さんの二勝、ボクが一勝。

 だが残りのノルマを考えれば、ボクが残り二勝すればいいのに対して大塚さんは三勝しなければならない。まあそれがハンデってもんだけど。

「どうだ里美。もうすぐ陽輔クンに『里美』って呼んでもらえる気分は」

 冬ごもり前のリスみたいな動きでカチャカチャとラックを組むボクの耳に、大塚さんのそんな言葉が引っ掛かってきた。

 くそう、大塚さんめ。爆弾の時限装置の設定を早める気か。

「え……? いや、あの……」

 普段聞きなれない先輩の戸惑ったような声に、思わずラックを組む手を止めて目だけで二人の方をうかがってしまった。

 見れば、あの先輩がソファーに座ったまま頬をうっすらと赤らめて目を伏せている。

 なんと! あの先輩が、あの先輩が、あの先輩が!!!

 あまりにレアなその光景から目が離せずにいると、こちらをチラリと上目遣いに盗み見た先輩と目がバッチリと合ってしまった。

 ハッとした様子の先輩が慌てて再び目を伏せる。

 そんなボクら二人の様子を見守っていた大塚さんが、ニヤリと笑いながら意味深な視線をボクに投げ掛けた。

 なんか、着々と大塚さんの思惑通りにコトが進んでる感じだな。




 ボクがラックを組み終わったのを見て、大塚さんがテーブルのヘッドクッション側に戻っていく。

 身体がほぐれたのか、さっきよりあっさりとした練習ストロークの後しなやかな動きで大塚さんがキューを突き出した。

 手球は糸を引くが如く見事に一番に当たり、ダイヤモンド形に組まれた九つのボールが弾けたように飛び散る。

 ホント、女性とは思えないほどにパワフルなブレイクだ。

 だが目まぐるしくテーブル上を行き交う十個の球が次第に速度を落としていく中、大塚さんの眉間にゆっくりと一本の皺が寄っていく。

「くそ……」

 最後までゆったりと転がっていた四番が完全に静止した瞬間、大塚さんの口からえらく男前な言葉が漏れた。

 テーブル上に残った球の数は十個。つまり一つも落ちていない。しかも大塚さんにとってさらに不運なことは、九番が右のサイドポケット手前に位置していることだ。

 一番、二番は難なくポケットできる位置にある。しかも二番を左のヘッドコーナーに落とす時、うまく手球をコントロールできれば三番とのコンビネーションで九番を狙うことが可能だ。

 ボクははやる気持ちを抑えるために、わざとゆっくり手球の位置に向かう。

 まずは軽く小突くように一番を右のコーナーポケットに落とした。手球は一番に当たったその場所でピタリと止まる。

 問題は次の二番を狙うショットだ。

 手球を上手く操らないと、せっかく二番をポケットしてもテーブル中央付近にある三番との角度がきつくなる。

 ボクは手球の中心よりやや左下を狙ってキューを繰り出した。

 手球に弾かれた二番はポケットの背に勢いよく当たってテーブル上から消え、手球の方は軽いバックスピンの影響でロングクッションと平行にテーブル下部に向かって走る。

 やや力加減が強すぎたが、手球は最終的に三番を右のサイドポケット方向に何とか狙える位置に止まった。

 このゲームで九番を落とすまでの手順における最難関は今の二番を狙ったショットだったが、まだ油断は禁物だ。一度大きく深呼吸してから三番に向かって構えると、必要最低限の力で手球を撞く。

 真っ赤な三番は手球に弾かれてゆっくりポケットに向かうと、縁ギリギリに止まっていた九番をそのままポケットに小突き落とした。

 よし、これで二対二。ハンデを考慮に入れれば五分以上だ。何しろボクはもう一ゲーム取れば勝ちという、言わば大塚さんに王手をかけた状態なんだから。

「容赦なしだな、陽輔クン」

 木枠ラックを片手にテーブル上のカラーボールをかき集める大塚さんが低い声で唸った。

 その顔にはさっきまでのボクや先輩の様子をからかうような余裕はもうすっかり見えない。それどころか、心なしか唇を尖らせて上目遣いにボクを盗み見るさまは、まるでお父さんとゲームをして負けた小さな女の子みたいな印象を受けた。

 あのりんとした大塚さんが見せるそのギャップはボクの中の罪悪感をかすかに揺さぶらないでもなかったが、まあボクが落とされた爆弾の威力を考えればおあいこな気がする。

 まあいいや、そういうことは勝ってから考えよう。ケ〇イチくんの師匠もそう言ってたことだし。

 ボクはチョークをティップにタップリと塗り直してから、ゆっくりとした動きで手球に向かってキューを構えた。もう一度サービスエースが出ればその時点でボクの勝ちだが、エースが出る確率はプロでも十回に一回程度だ。

 スナップを効かせながらテイクバックを取ると、ボクはテーブル面に触れたシャフトがしなるほどの勢いでキューを下向きに突き込んだ。

 きれいにバックスピンが掛かった手球が九個のカラーボールの塊に大砲の弾のような勢いで飛び込んでいき、飛び散った九つの球がテーブル上を縦横無尽に行き交う。

 まず一番が左下コーナー、四番が左サイドポケットに消える。次いで七番と接触して向きを変えた五番が、右上コーナーポケットに一瞬ためらった後にポトリと落ちた。

 全ての球が静止するのを待ってテーブル上を見渡す。

 比較的楽な位置にある二番、三番までは問題ない。だが、厄介なのは次の六番だった。テーブル下部のフットスポット上で、九番と密着した状態で縦に並んでいる。

 この状態では六番をポケットすることはほぼ不可能だ。三番までポケットした後、セーフティで逃げるにしてもボクの技術では心もとない。

 だがその時、戸惑いながら二つのカラーボールを見つめていたボクの頭に突然ふと曖昧なイメージが浮かび上がった。

 あれ? この配置、よく見るとどこかで見覚えがある気が……。

 しかもそのおぼろげな記憶は、なぜか今ボクが置かれたこのやっかいな状況を好転させてくれる印象を伴っている。

 思い出せ。どこだ? どこで見たんだ……?

 テレビ? 違うな。あれは確かディスプレイで見たんだ。……ディスプレイ。パソコンのディスプレイ…………。


 ……思い出した!


 そうだ、間違いない。中学生の時にパソコンの動画共有サイトで見たあの配置だ。

 もしあの動画の内容を、今この場で再現できたとしたら……。

 三番をポケットする時にあまり得意とは言えない押し球(フォロー・ショット)を使う必要があるが、うまくいけばこの第五ゲームで勝ちを決められる。成功率はセーフティ・プレイと似たり寄ったりだが、勝利に直結している分こちらの方がリスクを負う価値は大きいだろう。

 よし、やってやる。

 腹を決めたボクは、まず落ち着いて二番を左上コーナーにポケットする。そして次にロングクッションの脇スレスレにある三番に狙いをつけた。

 三番をポケットに落とすこと自体はそんなに難しいことじゃない。問題はその後の手球の動きだ。

 手球の中心からやや上を狙い、鋭くキューを繰り出す。手球が三番に当たった瞬間、ボクは思わずギクッとした。

 まずい。ちょっと当りが薄い。

 手球に弾かれ、クッションとほぼ平行に走った三番は左上コーナーポケットのつのにぶつかって跳ね返り、ピンボールの球みたいにポケット両脇のつのの間をせわしなく往復した。そして次第に運動速度を落とすと、完全に静止する直前、玄関に倒れ込む酔っぱらいみたいな動きでポケットに消えた。

 あ……、あっっっぶねぇー。

 ボクが固唾を飲んで三番を見つめていた間、手球はロングクッションに一回跳ね返ってテーブル下部に向かい、さらにフットクッションにもう一度跳ね返って止まっていた。

 突然息苦しさを感じだボクは、自分の肺の中に貯まっていた空気をブハッと吐き出す。いつの間にやら我知らず息を止めていたらしい。

 だが残った配置は完璧。手球は次のショットを狙うのに申し分のない位置だ。

 その時、ソファーの方から聞こえたフゥッという安堵の溜め息にそちらを振り向くと、大塚さんがリラックスしたように脚を組み替えたところだった。

「キツイ配置(ライ)だな」

 今のセリフから察するに、どうやら大塚さんはこの配置に心当たりはないらしい。まあ該当する知識がない限り、確かにこの配置はただの手のつけられない厄介な状況にしか見えないだろう。

「大塚さん」

 ボクは優雅な仕種でソファーに腰かける美女にニッコリと笑いかけた。

「あなたのスカート姿、とっても楽しみです」

 自分の言葉に対する大塚さんの反応を見届けることもせず、ボクはキューを片手にクルリとテーブルに向き直った。

 ええと、手球の打点はどこだったっけ。

 練習ストロークを数回繰り返しながら記憶を探る。

 ああ、そうだ。左下だ。

 めいっぱい大きく息を吸い込みながらキューの手元を後ろに引き、ブレイクの時と変わらぬ強さで手球を撞いて六番に叩きつけた。

 一瞬、九番、六番、手球の三つの球がきれいに一直線に連なる。そして次の瞬間、九番が斜め右の向きに矢のように飛び出した。

「何だって!?」

 大塚さんの叫ぶ声と共に、背後でガバッと彼女がソファーから立ち上がる気配がする。

 九番はまずヘッドクッションに当たって跳ね返り、さらに勢いを落とさずにフットクッションでもう一度跳ね返った。そして稲妻のような軌跡を描いて最終的に向かう先は……。

 ボクの期待の目と大塚さんの驚愕の目が見守るなか、九番が申し分のない角度で右上コーナーポケットのど真ん中に飛び込んだ。


 三対二。ゲームセットだ。

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