大塚いずみは画策する
「テーブルに残っている球、適当にポケットしてみてくれ」
腰に手を当て、左足に体重をかけた姿勢で大塚さんがこともなげに言う。
「別にボクが撞く必要ないじゃないですか。そんなに上手くもないですし」
渡されたキューを持て余しながら大塚さんに不平を申し立てた。だいたい今日は大井川先輩のレッスンが目的のはずなのに。
けれど大塚さんはボクの抗議など一顧だにしない様子でニヤリと笑って見せる。
「陽輔クン、私の目は節穴じゃないぞ? さっきから見てたけど、里美の撞く球を追うキミの目、明らかに経験者の動きだ」
「いや、ですからボクは経験者なんですよ。中学の時に友達と遊び半分にやっただけですけど、まったく経験がないワケじゃないんです」
「遊び半分でそれなら、もしかしたら才能があるのかも知れないな。キミ、里美が撞く前から心配そうな顔をすることが何度かあったじゃないか。その順番で球を狙うと、次のショットが難しい角度になるのに気づいていたんだろう?」
返事に詰まった。実際、大塚さんが言い当てて見せたようなコトが何度かあったから。
大井川先輩はと言えば、そんなボクと大塚さんのやり取りを目をパチクリさせながら見守っている。
どうやら抵抗してもムダらしいと観念したボクは、溜め息をつきながらキューを握り直した。
テーブル上を見渡せば、残っているボールは四番、七番、十二番、十三番、十五番の五個のみ。位置も程よくバラけていてどの球も狙いやすい。
ボクはキューのティップにチョークを塗ると、台に覆い被さって一番狙いやすい七番に狙いを定めた。七番の位置は左のサイドポケットから十数センチ。しかもここから狙うだけで手球は自然に十三番を狙いやすい方向に転がってくれるはずだ。
手球にヒネリを入れず、中心をそっと撞いて七番を狙う。ドンピシャリの厚みで二つの球がぶつかり、七番がサイドポケットの中央にポトリと落ちた。手球の方は七番に当たって方向を変え、十三番と右のフット側コーナーポケットを結ぶ直線上より僅かにクッション寄りで止まる。
「ほう……」
大塚さんの感心したような声がした。
「思った通りいいタッチをしてる」
目を向ければ、大井川先輩が目を細め、口をキッと引き結んでボクを睨んでいた。きっと「ビリヤードできるんなら最初から教えてくれればイイのに」とか思ってる。絶対思ってる。
……だから先輩の前でプレイするのイヤだったんだよなぁ。
次は手球の右下を撞いてヒネリを入れながら十三番をポケットする。手球は緩やかにカーブを描いて手前に戻り、ワンクッションして十五番を狙える位置にピタリと止まった。
今度は拍手が起きた。
大塚さんがニコニコしながらボクに向かって手を叩いている。
「すごいな陽輔クン。手球のコントロールもバッチリだ」
一方、大井川先輩の目は更に細くなっている。なんか球をポケットするたびに状況が悪化していくんじゃないか、コレ?
大井川先輩の無言の非難に晒されながら残り三つの球をポケットすると、大塚さんがいかにも満足げな顔で溜め息をついた。
「やっぱり思った通りだ。キミ、すごくキレイに球をポケットに沈めるな。ボウラードゲームなら七、八十点は取れるぞ」
ボウラードは一番から十番までの球を使い、ボウリングと同じルールで行うゲームだ。ちなみにプロテストの実技試験はこのゲームが採用されていて、三ゲームの合計点が六百点以上で合格になる。
「よし」
何かを思い付いたらしい大塚さんの顔に油断のならない笑顔が広がった。
「里美、陽輔クンにナインボールで相手をしてもらうといい」
は? ボクと先輩がゲームをする?
「え!?」
面食らったのは先輩も一緒だったらしく、ギョッとした顔で大塚さんをまじまじと見つめる。
「ただし、今見たところじゃまだ実力に差がありそうだから、ある程度のハンデをつけよう。陽輔クンが三ゲーム取るまでに、里美が一ゲーム取れれば勝ち。それでどうだ?」
普通に考えれば、別にボクと先輩がゲームをするコト自体には何も問題はない。恋人どうしなら、一緒に遊びに行けばボウリングやダーツ、ビリヤードで勝負なんて珍しくもないことだろう。
だけどボクの頭にはあるコトが引っ掛かっていた。大塚さんの何か企んでいるらしい狡猾そうな笑顔が。
「それで、その勝負にはどんなウラがあるんです?」
油断なくそう聞き返すボクに大塚さんがクスッと笑って見せた。
「まったくキミって用心深いヤツだな。もう少しスキがあった方が、年上の女から見るとカワイイもんだぞ?」
冗談じゃないですよ。
今付き合ってる相手といい、内野先輩やあなたといい、ボクの周りの年上の女性って、ちょっと油断したら大変なコトになる相手ばっかりじゃないですか。
「その条件で里美と勝負をして、もしキミが負けたら、これからは彼女のことを『里美』って呼ぶ。それでどうだい?」
悪びれもせず、ごく平然と大塚さんが言い放つ。
「えええ~!?」
ボクより先に驚きの声を上げたのは大井川先輩だった。
「どうした。イヤなのか、里美」
「べ、別にイヤじゃないんですケド、だけど急にそんなコト言われても……」
先輩も先輩で動揺していらっしゃるようだが、コレはボクにとってはもっと深刻な状況だった。
もし勝負に負けたら、先輩のことを今後「里美」と呼ばなければならない。
そんな勝負に乗らなきゃならない理由はボクの側には何もないし、大塚さんにもそれをボクに強要する術はない。
だが問題はそこじゃなかった。
大塚さんのその提案によって、先輩の頭の中にボクから「里美」と呼ばれるイメージがある程度具体的に浮かんでしまったこと。きっとそれこそが本当の問題だ。
この勝負にボクが乗ろうと乗るまいと、勝負に乗ったとして勝とうと勝つまいと、先輩の頭に浮かんだそのイメージは彼女を煽り、けしかけ、ある欲求に駆り立てるだろう。ボクに「里美」と呼ばれたいという抑えがたい欲求に。
種はすでに撒かれた。しかも撒かれた場所は、ボクがいかに足掻こうとも決して手の届かない「先輩の意識の中」だ。
まさか大塚さん、そこまで計算して……?
ボクが疑惑を込めた目を向けると、大塚さんがニヤッと口の端を吊り上げて見せた。
なんか、この人には何もかも見透かされているような気がする。
「そんなに睨むコトはないだろう、陽輔クン? 照れ屋さんのキミの背中をちょっと押してあげただけのコトだよ」
やられた。大塚さん、やっぱり全部計算ずくだったんだ。




