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大塚いずみは指摘する

「このあいだはホントに済まなかったね、陽輔クン」

 ビリヤードテーブル脇のソファーに並んで座る大塚さんがボクに向かってペコリと頭を下げた。

 ボクはブンブンと両手を振りながらしどろもどろの返事を返す。

「いえ。先輩にも何度も大塚さんに伝えて下さいって頼みましたけど、ボクに謝ってもらうコトじゃないですよ」

「そういう訳にはいかないよ。連れて行った後輩をあんな場所に置き去りにして、本人のみならずキミまで危ない目に遭わせた。本当に軽率で無責任な行動だったと思ってる。申し訳ない」

 そう沈んだ声で言うと、大塚さんはもう一度深々と頭を下げてみせる。

 大人だ。発想も言動も。

 今、テーブルで一人黙々と球を転がしている大井川先輩にも是非見習ってもらいたいもんだ。

 大塚さんにブリッジの作り方と基本的な構えを教わった先輩は、反対側にワンクッションさせた手球を元の位置に戻す練習を繰り返していた。ボクと大塚さんの会話が気になるのか、時折りチラチラとこちらをうかがいながら。

「心配するな。里美の大事な彼氏を誘惑したりはしないよ。安心して練習に集中しろ」

 先輩の視線に気づいた大塚さんが苦笑する。

 声を掛けられた先輩の方は慌てて目を逸らすと、再び一人静かに球を転がし始めた。

「一つだけ言い訳じみたコトを言わせてもらえば……」

 両手の指を組んでてのひらを返し、両腕を目一杯伸ばしながら再び大塚さんが口を開く。

「あの時私達は二グループに別れていたんだ。私と里美はそれぞれ別のグループになっていてね。まさか向こうのグループの男共が里美を置き去りにするとは思わなかった」

 大塚さんが右拳を反対のてのひらにバチンと打ち付けた。

「だからと言って、車が出る前に里美が乗っているか確認しなかった私のミスが帳消しになるワケじゃないがね」

 まさか大塚さん、今のを先輩と同じグループだった男の人達に喰らわしたりしてないですよね?

「一ついてもイイですか?」

 ボクは眉根に皺をよせた大塚さんに恐る恐る問い掛ける。ボクが怒られてるワケじゃないのは分かっているが、険しい表情をしている美人というのはどうにも怖い。そんなのがいつも隣にいるぶん余計に怖い。

「もちろんだ。何でもいてくれ」

 ふっと大塚さんの表情が緩んだ。

「ボク、皆さんがクルマで病院を飛び出して行くのを見てたんですけど、大塚さん達はあそこで何を見たんですか?」

「『いずみ』でイイよ、陽輔クン」

 一見脈絡(みゃくらく)のないその返事が、大塚さんに対する呼び方の話だと気づくのに少し時間がかかった。

「いや、無理ですよ! 初対面の、しかも年上の人をファーストネームで呼ぶなんて」

 大塚さんはクスッと笑うと、人差し指でボクの鼻をピンと弾く。

「まあそうだろうな。付き合って二年になろうという自分の彼女を、いまだに『先輩』なんて呼んでるキミには荷が重いだろう」

 大塚さんのその言葉は、ボクと先輩の関係性に関する周囲からの指摘の中でもひときわ印象的だった。確かに先輩、後輩の関係から彼女、彼氏に変わった後も、ボク達二人はお互いに何の違和感もなく態度や言葉遣いをスライドさせていた。

 だけどボク達、よくよく考えたら「付き合って下さい!」とかどっちかが告白したワケでもない。敢えてそれに近い言葉を探すとすれば、花火大会の夜の「その本、先輩にあげますから」というボクのセリフになるんだろうか。

 あの時、先輩がボクに返そうとした本。

 二人が共有していたあの本にまつわる思い出とともに、それを先輩の手に再び握らせることでボクは自分の気持ちを伝えたつもりだった。

 そんなふうに、眠りに落ちる瞬間みたいにいつとも知れず、だけどどこかで確かに始まったボクと先輩の今の関係。

 そんな中、今さら先輩を「里美」と呼ぶとか、ちょっと想像することすらできない。

 そんなことを悶々(もんもん)と考えていると、不意に大塚さんの戸惑ったような声が耳に入ってきた。

「……正確には『見た』ワケじゃないな。『聞いた』というか『感じた』というか。だが恐ろしくリアリティのある気配だったよ」

 ああ、ボクの質問に対する回答、やっと返ってきたんですね。

「その程度で逃げ出すなんてだらしない、と言われそうだが、里美を助け出すため実際あそこに踏み込んだキミなら、ある程度は私達の感じた恐怖に共感してくれるかな?」

 ボクはゴクリと唾を飲み込みながら大塚さんの言葉に頷いた。

「分かります。ボクの時には姿まで見えましたからね」

「見えた?」

 大塚さんが大きな目をさらに大きくする。

「キミ、よくそんな中で女の子一人助け出したな」

 あの上半身裸の男の姿を思い出して思わず身震いした。

「建物から逃げ出す直前だったからよかったんですよ。あれがもっと前だったら……」

「キミなら、それでも前に進んだんだろうがね」

 誉め言葉とも揶揄やゆとも取れる言葉だ。

「大切な物のためなら危険を顧みない胆力を備えている」と誉められたのか、それとも「自ら火に飛び込む虫のような無謀なヤツ」と呆れられたのか。

 大塚さんが耳にかかった髪をそっとかきあげる。天井のダウンライトの光を反射して、シンプルなデザインのピアスがキラリと光った。

「実はね、その時の話を聞いてキミに興味を持った人間がいるんだ。里美の練習が終わる頃にここに来るよう言ってあるから、一緒にお茶でも飲みに行こう」

「え?」

 ボクは大塚さんの顔をまじまじと見返した。

「もしかして、今日ボクを呼んだのって……」

「ああ。私がキミに会いたかったのもあるが、半分はそのコにキミを紹介するのが目的だ」

 大塚さん、今「そのコ」って言った。これはもしかして、また先輩の機嫌が悪くなるパターンじゃなかろうか。いや、大塚さんのキャラからすると男の人でも年下ならそう呼びそうではあるが。

「先輩」

 いつの間にか手を止めてテーブルに寄りかかっていた大井川先輩が、ねたような顔をしながらボク達二人を睨んでいた。


「十回中、七、八回は元の位置に戻せるようになったんですけど、そろそろ次の練習させてくれませんか?」

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