陽輔、連行される
「棚橋君、大変そうだね」
休み時間、ボクの席の脇を通りかかった古賀さんに苦笑混じりでそう言われた。
セミロングのツヤツヤとした髪をかき上げる古賀さんの女の子らしい仕草がボクをちょっと落ち着かない気分にさせる。
いみじくも古賀さんが指摘した通り、ボクは朝から大井川先輩のメール攻勢への対応に苦慮していた。
矢のように飛んで来る幾多のメールに記されたトコロによれば、どうやら大井川先輩がサークル活動の一環として大塚先輩にビリヤードの手ほどきを受けることになったらしい。いや、それ自体にはまったく問題はないのだが、なぜかその際に大井川先輩に同行せよとの命がボクにまで出ているのだという。
「まったくだよ。先輩、こっちが受験生だってコトすっかり忘れてそうだ」
大井川先輩への抗議メールをポチポチと打ちながら溜め息を漏らす。
三年間同じクラスで、ボクと大井川先輩の関係についてもある程度察しているだろう古賀さんにだからこそこぼせる愚痴だ。
「大井川先輩、休み時間ごとに棚橋君の顔を見に来られなくなったから寂しくってしょうがないんだろうね。ラブラブで羨ましいな」
そのビックリコメントに思わず「え~!」と不平タラタラな反応をしそうになったが、スマホから顔を上げた時の古賀さんは屈託のない満面の笑顔で、そこには皮肉や嘲弄の色などまったくなかった。
「そんなコト言うけど古賀さん、もし自分の彼氏があんなだったらイヤじゃない?」
ちょっと口の端を吊り上げながら古賀さんをからかってみる。端から見てる分には面白い他人の様子も、具体的に自分のケースに変換してみると身につまされるもんだからね。
「う~ん。私、彼氏いないから分からないケド……。相手が棚橋君なら別にイヤじゃないかな……」
すらっとした白い人差し指を口元に当てた古賀さんが、微塵も躊躇うことなくあっけらかんとそう言ってのける。
「あ、ああ…………、そう?」
予想外の返事に、思わずこっちのリアクションが詰まった。
まったく。ボクの周りの女の子って、どうしてこう思わせ振りなコトを平気で言うんだろうな。
結局、学校から帰ってきた後はメールが通話にとって代わっただけで、大井川先輩の執拗な同行依頼は止むことがなかった。
「だ~か~ら。どうしてボクが先輩のサークルの活動に参加しなくちゃならないんですか?」
メールで四回、電話でも二回目になる質問を再び口にする。
「だ~か~ら。私じゃなくて大塚先輩が言ってるんだ。肝だめしの時のコト謝りたいからお前を連れてこいって」
ボクの口調を真似たつもりらしい先輩の声がスマホから返ってきた。なんか依頼内容と相まってものスゴくイライラするんですケド。
「そんな必要ないって何度も言ってるじゃないですか。ちゃんと先輩から伝えて下さいよ、その大塚さんって人に」
「大塚先輩には何度も言ってるんだ。だけど……」
先輩が一瞬そこで沈黙し、再び話し始めた時には何か不機嫌そうな口ぶりになっていた。
「大塚先輩が『里美の彼氏に会ってみたい』って言って、どうしても聞かないし……」
いったい何なんだろう。
その大塚先輩って人、会ったことすらないボクに何でそこまでこだわるんだろうか。
「私だって本当はイヤなんだ。陽輔を他の女の人に会わせるなんて」
「そりゃまたどうして?」
「お前、ナチュラルジゴロだからな。みかっちや彩音だけでも苦労するのに、これ以上陽輔にまとわりつく女の子が増えたらこっちがたまらん」
自己評価と周囲の評価にはギャップがあるとよく言うが、こんなに極端な例も他にない。まさかこのボクがジゴロ呼ばわりされる日が来ようとは夢にも思わなかった。
「その心配は的はずれだと思いますケドね。だけどなんでその大塚さんって人、そんなにボクに会いたがるんでしょうね」
「それが分かればこんなに気を揉むか! とにかく次の土曜日、私と一緒に来い。分かったな!?」
大井川先輩の不機嫌な声と共に、通話が一方的にブチッと切られた。
次の土曜日、大井川先輩のメール、電話、呼び鈴乱れ打ちの波状攻撃に屈したボクは、彼女に連行されて千葉駅周辺にあるボウリング場に向かっていた。
快速電車に揺られること数分、千葉駅で下車したボクと先輩は線路沿いの道を並んで歩いて行く。
「先輩。朝からあれは近所迷惑なのでやめて下さいよ」
今日の朝、自分のメールにも電話にもボクが反応しないと見てとると、先輩はついに我が家まで押しかけた挙げ句、シューティングゲームのボタンみたいな勢いで呼び鈴を連打し始めた。彩音ちゃんが部活の練習で朝早くから出掛けていたからいいようなものの、もしあの先輩の天敵が在宅していたらまた一悶着起きていたのは間違いない。
「陽輔が最初から潔くついて来てれば、あんなコトする必要はなかったんだ」
そう言う先輩の手は、ここまで来ているにも関わらず未だに逃走を阻止しようとするかのようにボクの腕を掴んだままだ。
「そう言えば先輩、ビリヤードなんてできたんですね」
ボクは自分の半歩前を歩く刑務官のご機嫌伺いがてら、当たり障りのない方向に話を逸らした。
「ビリヤードなんてできないぞ、私。だから今日、大塚先輩に教わるんじゃないか」
首だけ振り返った先輩がこともなげに言う。
またそのパターンなんですか。いや、もう今さらその程度じゃ驚きませんケドね。
「じゃあ、何でビリヤードのサークルに入ろうなんて思ったんですか?」
「みかっちの紹介の大塚先輩に誘われたからな。それに、ビリヤードってなんかカッコイイじゃないか」
「今の台詞、後半がものスゴくカッコ悪いですね」
先輩が掴んだボクの手首をキュッと捻った。
「あいたたた! 暴力反対。素人に対する柔術使用反対!」
「いやなに。陽輔に対しては定期的に私達の間の力関係を示しておいた方がイイと思ってな」
野生の理論を恥ずかしげもなく振りかざす先輩に手を引かれ、ボクはボウリング場の入り口をイヤイヤくぐった。
二階に続くゆったりと曲がる幅の広い階段を上りきると、先輩が「あっ」と言いながら受付の前に据えられたソファーのうちの一つに歩み寄る。
「お待たせしました。大塚先輩」
その言葉に応じて水辺の白鷺のような動きで立ち上がったのは、ショートヘアーの一見して美青年と見紛うばかりのキレイな女性だった。
「いや。私も今しがた着いたはかりだ」
その人は先輩にニッと笑って見せると、恐ろしく長い睫毛にふち取られた目をボクに向けた。
「キミがよーすけクンか。今日はお呼び立てしちゃって済まなかったね」
大塚さんが一言発するたび、その艶やかな唇に目を奪われる。
「私が大塚いずみだ。ヨロシクな」
「は、始めまして。棚橋陽輔です」
正直、圧倒されていた。この大塚さんという人の宝塚の男役みたいなオーラに。
しかもこの人、しゃべり方まで外見のイメージにピッタリ。
「しかし、仲良く手を繋いでのご登場とは。噂以上のラブラブっぷりだな?」
大塚さんが先輩に掴まれたボクの手にチラリと視線を走らせてから、からかうように右の眉を吊り上げて見せる。
「あ、いや……」
大塚さんの言葉に、大井川先輩の方が慌ててボクの手を放した。まあボクの方は一方的に掴まれてたダケだしね。
「私は受付を済ませてくるよ。それまで思う存分イチャイチャしてるといい」
クスッと笑いながら大塚さんが受付カウンターの方へ踵を返す。
「もう、先輩!」
大井川先輩の方は慌てて大塚さんの背中に抗議の声を投げ掛けた。
ほう、珍しい。このやりとりだけを見る限り、大井川先輩が大塚さんに手玉に取られている印象だ。しかも大塚さん、ボクみたいに青息吐息で何とか先輩をコントロールしてるんじゃなく、余裕を持って手綱を操っている感じがする。
うん。これはイイかも。
ボクの目の届かない大学で先輩の制御を任せられる人が見つかったというのは。