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馬車から見える景色が流れる。
ミリアはその景色を眺めながら、これから先に延々と続くであろう憂鬱な未来に内心うんざりしていた。
そしてそれを先生と呼ぶ人物に話した折の事にも。
もはや親友と言えるレイスはその立場を確立させつつある。
自分も生きていく上での何かしらの結論を出さなければいけないという少しの焦りもあった。
別にそこまで大層な事を期待していた訳ではなかった。
正直な所、その行為に自分が何を求めていたのかもよく分からない。
何か納得できるような、それがいいと思えるような何か。
それを答えてくれると勝手に期待していただけなのだが。
それにしても、その場で即答して貰う必要などないのだ。
そもそもあの日。
余計な事を口走った弟のせいで、自分の中で結論づいていた気持ちも再び変わりつつある。
…それは殊更に、その態度に対する悲しみと少しの苛立ちの原因となっていた。
もう会わない、などと発言した事にも後悔していた。
「このまま行くにしても謝った方がいいんだろうなぁ…」
誰に言うでもなく呟く。
それでも、風景は流れ続ける。
別に急ぐ必要など無かったのだが勝手に意地になり、急いでパドルアから出てきてしまった。
両親も反対などしなかった。元よりそうして欲しいと思っていたのだから。
しかもそれを急ぐというのだ。反対する理由などどこにある。
ギルドに相談した所、急ぎでのウルムまでの護衛が丁度都合よく4人も集まった。
ランクは概ね3か4だという。
自分の知りうる人物の中で恐らく最強の人物のランクが3だと聞いていた。
であればこれはもう、申し分ないのだろう。
結局そんな護衛が必要なのかもわからないまま、3日が過ぎた。
そこへ向かう事さえひたすらに退屈な旅路。
考え込む心の中。
視線の先でただ流れ続ける風景。
それは彼女の気分を更に暗くするのに十分だった。
昼前に一度馬車が止まった。
護衛の1人が馬車の戸を開き早めの休憩を告げる。
魔術士の彼女はミリアの少し年上で、休憩の折の話し相手にもなってくれていた。
「リンダウさん。じきにウルムの手前の村に着きます。あそこは宿もあります。今日はベッドで眠れますね」
「別に私は地面でもいいけどね。明後日には着く?」
「着きますね。夕方になると思います。現地滞在が3日ですよね?」
「ああ、3日もあれば大丈夫。待ってて貰えるんだよね?」
「はい。繋ぎの連絡先は教えてくださいね?」
「大丈夫。分かりやすい所だから」
自らのその表現に眉をしかめながらミリアは馬車を降りる。
「どうしたんですか?」
「あーいや。気が進まないなって」
「貴族の人達はそういった意味では大変ですよね」
「えーと。私どこまで話したっけ?」
「昨晩、向かってる目的までは聞きましたよ」
「あぁそうそう。なんかもう嫌になってきちゃったよ」
「……引き返しますか?」
笑いながら聞く彼女に首を振る。もちろん横に。
「そんな事したら本当に」
本当に…何なのだろうか。言葉が続かない。
「これは経験則で、自信を持った助言などでは全くないのだけど」
立ち尽くす目の前で魔術士の女性が優しく微笑みながら話し始める。
「どうしたらいいかわからない時や、自分自身がわからない時。私は何もしない事にしています。
勿論働かないとかそう言う事じゃなくて、今までと同じ姿勢で今までと同じ事を続けるんですよ。
そうすると、その内に多少は冷静に見えてきますよ」
「……。」
「その内、の間にその機会を逃す事も沢山あったのだけど」
そう言って笑う。
「でも、私はまだこうして生きていますし、そんなに自分の人生に悲観していません」
「……そう」
「だから引き返すのも有りだと思いますよ?それに…私達の報酬も変わりませんし」
再び笑って見せる。
「しっかりしてるね…」
それに連られて笑ってしまう。
「久々の屋根付きの食事だから、夕食でも食べながら考えるといいと思います」
「うん。ありがとう。そうするよ」
もし、そうしていれば。仮にそうであったなら。
彼女が先生と呼ぶ人物は何かしらの結果に対して、もし、などと考える事に意味はないと考えているが。
もし今のやり取りで今から引き返すなどと口走っていたら。
ミリアの目の前のこの人物は、数刻後に凄惨な死を迎える事は無かった。
他愛もない話をしながら簡単な食事を終え、再び馬車は走り出す。
先ほどの話通り、村まではそこまでの時間を要しなかった。
速度を緩める馬車。
その馬車の車輪のごとごとという音。
馬の歩く蹄と息遣い。
およそ人の発する音が何も聞こえてこない。
村に入り最初に音を発した人間は護衛の先頭の青年だった。
「あれ。どうしたんだ?」
静まり返る空気。
左右に並ぶ家屋。
村というには規模が大きいその…無音の町並み。
その通りのずっと先、数人が歩いてくるのが見えた。
馬車から顔を出すミリアの視界には、それ以外の人が見当たらない。
少し進み、宿らしき家屋の前に馬車を寄せる。
「とりあえず空きがあるか聞いてくる」
先頭の青年が馬を下り、宿に入っていく。
残る3人も馬から降りて帰りを待つのにあわせ、ミリアも馬車から降りた。
暫くの後、変な顔をしてその護衛の青年が宿から出てくる。
「んだよ誰もいねぇ。一体どうなって…」
そこで彼の言葉は止まり、ただ1点を見詰めていた。
残る皆の視線が、その視線の先を追う。
その視線の先。
宿であった筈の家屋。
通りを挟んだ向かいの雑貨屋。
その入り口から、胸からおびただしい血を流す男がよろよろと歩いて出てきた。
その顔に、今まさに命を落としてしまうような苦悶の表情を貼り付けている。
「お、おい!あんたどうした?」
それに駆け寄る青年。
ミリアはその表情に恐怖を覚えていた。
無理もない。彼女は決して人が命を落とす場面に見慣れてなどいない。
まして断末魔の叫び声など、聞き慣れてなどいる筈もなかった。
「うぅああああぁぁぁーーーーーーーっ!」
駆け寄る青年の目の前で、絶叫する男。
それに思わず足を止めた青年の目の前で、男は手に持った小振りな包丁を振り上げる。
「ちょ、おい…」
気圧されながらも腰の剣を引き抜く青年。
静止の声をかけるも全くそれに意を介さず歩み寄るその男に、青年が切りつけた。
肩口から叩き込む斬撃は、恐らく心臓に達しただろう。
その剣を胸に咥え込んだまま、それを意にも介さず振り下ろされる逆手に握られた包丁。
それが、青年の首元に突き刺さった。
「ごっは…」
言葉にならない声をあげる青年は両膝を揃えて跪き、そのまま動かなくなった。
「何それ…」
思わず口を突く見当はずれな言葉。
他の護衛が剣を引き抜く。
視界を巡らす。
男が出てきた隣の家屋からも同じような顔を貼り付けた女が手に鎌を持って出てきた。
振り返る視線の先、村の入り口の建物から3人がのろのろと歩いて出てくるのが見える。
護衛の1人が引き絞る弓。
放たれた矢が青年の命を奪った男の頭に突き刺さり、男は倒れた。
目の前で振り向く魔術士の女性が小振りな杖を頭上に掲げた。
小さく動かす口。そして突き出す左手から閃光が迸る。
彼女の放つ雷が村の入り口からこちらに歩いてくる2人を貫いた。
しかし彼らは、ぶすぶすと焦げる様な音を立てつつ何も無かったかのように再び歩き始める。
その顔に浮かぶ驚きと焦りの表情。
「うああああぁぁぁーーーーっ!」
すぐ後ろの建物の中から響く絶叫。
完全にそれに気圧されている残る3人の護衛。
ミリアは、自らの命に危険が迫っている事を理解した。
「大丈夫、絶対に守るから」
無理してこちらに微笑みかける魔術士。
弓使いが近くから出てきた男の頭を打ち抜く。
直後その頭に後ろから手斧を振り下ろされ、彼はその命を終えた。
「おい!こっちだ!かかってこい!」
残る護衛の剣士が彼らをひきつけるために大声を上げながら通りの先へ駆ける。
それを見て振り向く魔術士。
手を引かれながら振り向く村の入り口。家の隙間から更に数人が合流し、そこには5人が歩いている。
幸い、囮となった剣士はその役目を果たしており、その命を引き換えにあらかたの不死者の視線を集めていた。
あくまであらかたの、だったのだが。
数軒先の少し丈夫そうな家。
その中に入り、扉を後ろ手に閉めた。
魔術士が近くにある棚を懸命に動かすのを手伝って扉の前に置き、息を潜める。
雨戸のついた窓の隙間から外を覗く。
先ほどの剣士が数人の不死者に切りつけている。
そのうちの1撃は不死者1人の首を飛ばして動きを止めた。
しかしどれ程の意味があっただろうか。
彼はそのまま囲まれ文字通り滅多打ちにされ、人の形でさえないただの血溜まりへと姿を変えた。
息を潜める視線の先。
魔術士の唇が震えている。
視線を落とす。
自分の膝もがくがくと震えていた。
言葉を出せない。
完全に恐怖に支配されていた。
ここへ逃げ込んだのは失敗だった。
助けが来る前提が無い籠城に意味などない。
しかし先程までの恐怖に誰がそれを責められようか。
そしてその彼女達自身が、そんな事を考える余裕などない程に恐怖に押し潰されていた。
暫くの静寂。
耳を澄ますと歩き回る足音だけが遠くで聞こえる。
膝の震えが収まりかけたその時、乱暴に戸を叩く音が響く。
「ひっ」
思わず小さく悲鳴を上げていた。
目の前の魔術士もその顔に恐怖を浮かべている。
戸を叩く音が響く。
その音は段々と数を増し、戸の前に置いた棚が頼りない音を立てていた。
突然、その音が止む。
魔術士と恐怖に震えながら顔を見合わせた。
数秒の後。視線を見合わせた彼女の背後。
派手な音を立てて雨戸が引き剥がされるのが見えた。
振り向く魔術士と、呆けたようにその光景を見詰める。
そこから顔を覗かせる、痛みに歪んだ顔。
ひどく緩慢に見える動きで窓を乗り越え数人が家の中に入ってくる。
やっと我に返った魔術士が立ち上がり、肩に両手を置く。
「逃げて!少しでも遠くに!」
その顔に張り付いた恐怖。
笑う膝が懸命に体を押し上げ、家の奥へ駆け出した。
背中に響く絶叫に耳を塞ぐ。
裏口の戸を開ける。
視界の先には誰も居ない。
「早く逃げっ…いやああっ!」
振り返る視線の先。
魔術士は悲鳴をあげながらその腕と頭を、力任せに引きちぎられた。
これ以上ない程に心臓が脈打つ音が聞こえる。
口の中がからからに乾いていた。
並ぶ家の裏手。
村の入り口の方向に走り出す。
その視線の先、家と家の間から鎌を持った女が歩み出てきた。
震える足がその歩みを止めた。
振り返る。
先程の家から、引きちぎった魔術士の腕をぶら下げた男が出てくる所だった。
ミリアの震える足は完全にその役目を果たさなくなり、その場にへたり込んだ。
ひどくゆっくりとこちらに歩いてくる女。
その顔に刻まれた恐怖の表情が再び絶叫する。
ただ、ひたすら恐ろしかった。
ミリアは生まれ育った地を離れてでも、迷いながらも自らの立ち位置を確立させようとしていた筈だった。
しかし今の彼女は恐怖に震えながら体を丸め涙を流し、両手で頭を抱えこむ以外の事は出来ようもなかった。