蛇足の蛇足02
パドルアの大通りを歩く。
ひどい混みようだ。
その人の海の中を押し退けるように突き進む。
掻き分ける人の海。その後ろをミリアがついてくる。
「こっちでいいんだよな?」
一度確認のために振り返った。
すぐ近く。見下す視線の先。
こちらを見ていたミリアと目が合う。
返らない答えに一度立ち止まる俺に、どうした?とでも言いたげな顔をして見上げている。
再度同じ事を聞き、再び歩き出した。
…どうやら道は合っているらしい。
変わらず続く人の海は、何とか見える先でまばらになっている。
あと少しで混み合った区画は抜けられるだろう。
もう一度振り返った視線の先。
ミリアはいつものように口の端を上げて笑って見せた。
前を歩く背中が、人の海を掻き分けていく。
この場合、あまり離れてしまっては意味が無いのですぐ後ろをついて歩いている。
時折見える道の先は、やはり人の海だ。
レイスはこんな感じでいつも守られているのだろうか。
そしてこの人はこうやって自分の人生を切り開いてきたのだろうか。
以前聞いた話では腐っていた時期もあったという事だったが、自分が見ている限りそんな負の印象はない。
時折迷ったりもしているが、それでも正しく進んでいるように見える。
レイスだってそうだ。
彼女の過去は知っている。長い暗闇の底。そして今。
彼女の場合は切り開くというのとは違うかもしれないが…その立ち位置も定まった。
しかし、自分はどうだ。
好き勝手に過ごしていた筈だったが結局行く先を見つけるでもなく、今では自分の運命を受け入れようとしている。
この人のように強ければ、自分の運命を切り開いていたのだろうか。
彼女のように包んで貰えたら、自分もこの人と肩を並べたり出来たのだろうか。
ぼんやりと前を突き進む背中を眺めていたが。
…その背中がいつの間にか立ち止まり、振り向いていた。
危うくそのままぶつかりそうになる。
急に立ち止まるな、と言おうと思った所で先に少し抗議じみた声を浴びた。
「聞いてるか?こっちでいいのか?」
「そう、そっちで大丈夫」
再び進み始めた目の前の背中が、少し行ったところでもう一度こちらを振り向く。
大丈夫、今度は聞いてる。
少し笑って見せ、発せられる言葉を待つ。
しかし今度は特に何を言うでもなく、再び前に向き直り進み始めた。
じきに、人込みを抜けた。
「…本当にひどかったな」
「やっぱり一回戻るんだったかもしれないね」
「この先は?」
「あぁ、こっち」
今度は私が先導する。
広場の周りの混雑した区画を抜け、町の北側へ向かう。
少し行った先で曲がって一本裏の通りに入った先。
高級なあつらえ物を出すような店が並ぶ。
その3軒目の小さな店。
やたらと白さを強調するような外壁。
その扉に手を掛けたところで一度振り返る。
見るからに居心地の悪そうなその姿。
「大丈夫。昔からの知り合いの店だから入ってよ」
「やっぱり入るべきか?」
「ここで待つのとどっちがいい?」
辺りを見渡し、結局観念した表情を連れて店の中に入った。
「あらミリアちゃん、注文のもの出来てるわよ」
小奇麗な年配の女性が親しげに声をかける。
母の古い知り合いのメニルという人物だ。
「それ、取りに来たんだ。道が混んでてさぁ、出来てなかったらどうしようかと思ったよ」
「今まで約束どおりに上げなかった事なんてないでしょ?」
「確かにね」
その、約束どおりに仕上がった3枚の服を受け取った。
この店で、小さな頃から服を作ってもらっている。
仕事が丁寧で素材も比較的良いものを取り揃えており、価格はそれなりだが見る人が見れば分かる違いがある…らしい。
「あと、これね」
取り出された大きめの箱。
これを頼みたかったのだ。
振り返ると、先生は落ちかない様子で店の中を見廻していた。
「先生、これ持って欲しいんだよ」
取り出された箱を顎で指す。
「あぁ、わかった。…重いんじゃなかったのか?」
「いや、あれは冗談だったんだ」
その大きな箱を受け取った先生は…再び落ち着かない表情でも無く、大きさの割にやたらと軽いその箱を扱いづらそうに何度か持ち替えている。
「…なんだこれ?」
「帽子だよ。潰れちゃうから箱が大きいんだけどこっちと一緒には持ちきれないからさ」
納得した様子で、その持ち方も箱の横に手を回すことで落ち着いたらしい。
そのやり取りを眺めていたメニルが微笑みながら口を開く。
「ミリアちゃん、何の先生なの?随分と親しいみたいだけど」
「あー剣術の先生だよ。セイムにも教えてる。結構、強いんだよ」
後半の部分には触れないでおこう。面倒くさい事になりそうだ。
「あら。剣術なんて習ってるの?…あなた、何になるの?」
それは決して諌めたり否定したりするような言い方ではなく、優しい問いかけだった。
「それを今考えてるんだよ。私、このままでいいのかな?」
「…それはみんな悩むこと。待っていればこうなるっていう決まった行き先がある人も例外じゃない。それを外れていく人も沢山いる」
「それってどうなのかな。うまくいく見通しがあればそうしたいけど」
「そんな物見えなくたって、そうする人はそうするわ。でも、その最初の行き先が正しい場合だってある。結局、なってみないと分からないのよね」
そう言って微笑んだ。
そういえば以前母から聞いていた。
メニルはやはり貴族の出自だったが、服を作りたい、服屋になりたいという夢で家を飛び出したのだという。
その夢は叶い、ここで商売が成り立っている。
そんな事をしなければしなくてもいい苦労も沢山あった筈だ。
その上、今より余程豪勢な生活を送っていたかもしれない。
果たして正しかったのか。
きっとそれはメニルにしか、いや、当の本人でさえも分からない事だろう。
「…メニルさん、ありがと。もう行くね」
「はいはい。大丈夫だと思うけど合わなかったら持ってきて。そんな用じゃなくても遊びに来ていいのよ?お母さんにも宜しくね」
「わかったよ。またね」
扉を開け、振り向いた。
頭を下げようとした視線の先、メニルさんが先生に何か言っていた。
その先生は少し視線を泳がした後、少し笑いながら、わかりましたなどと言っている。
視線に気付いたメニルさんがこちらに微笑むのに頭を下げ、店の外へ出た。
続いて大きな箱を持った先生がその扉から出てくる。
「…何だって?」
「あぁ、お前随分心配されてるな。良くしてやってくれ、だそうだ」
「あ、そう」
そんな短いやり取りではなかったと思うが。
今言わないという事は、喋る気はないのだろう。
「先生、それじゃ帰りもさっきの道通ろうか」
「勘弁しろよ…」
「冗談だよ。さ、かえろ」
人のまばらな道を、遠回りして戻る。
「この箱。軽すぎて調子が狂うな」
「軽くて文句言う人見た事ないよ…」
「そう言われれば返す言葉もない」
ぼやくようなやり取りをしながらその道を行く。
「先生はさぁ、将来の不安とかってないの?」
「…人を馬鹿みたいにいうなよ。不安しかない。そんな質問、された事ないぞ」
生きるか死ぬかという場面に何度も遭遇しているような相手に聞く事ではなかった。
「ごめん、あんまり考えないで聞いた」
「別に謝る事はないけどな。俺は生きるだけで必死だ」
「そうだよね…」
「どんな立場でも悩む事はあるだろ。ミリアの事は、ただ恵まれた気楽な小娘とは思ってない。」
…恵まれた気楽な小娘である私は返す言葉も無い。
「少し考えとけ。数日後に隣国まで行くが、帰ってきたら話くらいはゆっくり聞いてやる」
「はぁ?また行くの?今度は捕まるだけじゃ済まないんじゃない?」
以前行方不明になった時の事を思い出し、思わず顔がこわばる。
「今度は根回し済みの護衛だから大丈夫…だと思う。多分な」
「前に、毎回大丈夫だとか言っておいて全然大丈夫じゃない、ってレイスが文句言ってたよ」
「…あいつ。まぁ、確かに否定できないけどな」
その顔が少し曇っている。少なくとも、自覚が無い訳ではないらしい。
「わかったよ。少し考えておくから聞いてよ。気をつけてよね」
意外そうな顔をしながら隣を歩く先生は、まぁ、大丈夫なのだろう。
今までも、きっとこれからもそんな調子なんだと思う。
空の太陽は頂点を過ぎた辺りにある。
「ミリア、このままグラニスさんの所寄っていいか?そろそろ迎えに行かないと怒られそうだ」
「え、ああ、いいよ。なんだグラニスさんの所に居るの?」
「そうなんだが…。早めに行くべきだと思う」
「なにそれ。そういえばグラニスさんの所の話、聞いてない」
「あぁちょっとややこしくてな…」
眉間に皺を寄せて歩いている先生は、また厄介な話に巻き込まれているのだろう。
そんな事を話しているうちに、グラニスさんの屋敷が見えてきた。
「私も入っちゃっていいの?」
「…いいだろ。もう何ていうか、機密も何もない雰囲気だ」
「よくわからないけど、いいんだね?私知らないよ?」
「ああ。行くぞ」
門をくぐり、先生の後ろをついていく。
戸を叩く音が響く。
暫くの後、グラニスさんが顔を出す。
「リューン、随分早かったな。…ミリアじゃないか。どうした?」
「グラニスさん、こんにちは。先生に荷物持ちをして貰ってて。迎えに行くって言うからついて来た」
「そ、そうか…。リューン、レイスはまだ話しているが…。どうだ、上がっていくか?」
「いえ、グラニスさん。ミリアも連れていますし、とりあえず今日は一度帰ります。差し支えなければ呼んでやって貰えませんか?」
グラニスさんは少し考え込み、分かった、と言い残して再び家に入っていった。
「先生、やっぱなんかマズかったんじゃないのこれ」
「…いや、悪いが少し利用させてもらった」
「え。一体何が?」
「何となく分かると思うが。俺は上がりこみたくない」
「…あぁなるほど」
連れがいればしつこく上がっていけとは言い辛いだろう。
しかも私は部外者だ。
程なくして、レイスとグラニス、そして見知らぬ女性が出てくる。
その服装。仕草。恐らく、結構な家の貴族の人間だろう。
「あれ、ミリア、どうしたの?」
少し疲れ顔のレイスの顔が明るくなる。
「これ、持ってもらうのに先生借りたよ。ありがと」
「人を物みたいに言うな」
「レイス、先生には貴族にでもなって貰ってさ
「おいミリア、その話は後にしろ」
焦り顔の先生が言葉を遮る。
確かに。グラニスと見知らぬ女性を放って内輪で話し始めてしまった。
「そのお話、聞かせて貰えませんか?」
何故かその知らない女性が食いついてくる。
あれ。これはもしかして不味かったのか、と思い先生のほうを見た。
その顔は完全に引きつっていた。
どうやら失敗だったらしい。
「私はミネルヴと申します。リューンさんに貴族になって頂き、というお話でしたが?」
「あぁえーと…なんだっけ?」
これ以上余計な事を言わないよう、再び先生の方に視線を向ける。
必死に顔を左右に振っているのが見えた。
…話を煙に巻けばいいのだろう。
「そう。先生には貴族になって貰って。そこで囲って貰おうかなって」
煙どころではなかった。
話を聞きたがっていた筈のミネルヴという女は、私と先生の顔を交互に見ていた。
先生の方を見る時に少し汚い物を見るような視線が混じっているように見えたが。
グラニスさんは眼鏡がずり落ちたままで固まっている。
そしてレイスは口をぱくぱくさせながら、その右手が先生の脇の辺りを鷲づかみにしていた。
「そういう建前で連れて行って貰えれば、これから先も自由だなって話」
「…なんでお前、話を一度そこで切るんだよ」
脇の辺りを掴まれながら先生が抗議の視線をこちらに向けている。
心なしか少し泣きそうになっているが。
それでもその大きな荷物を下ろさないのは素晴らしいと思う。
しかしその左側でレイスがすごい顔で先生の顔を見上げている。
これは…あとで謝っておこう。
ずりおちた眼鏡を持ち上げたグラニスさん。
「まぁ、ミリアよ。そういう事は大きな声で言うもんじゃない」
若干ずれた意見を述べていた。
「とにかく…」
脇腹を掴まれたままの先生が切り出す。
「出発の日が決まったら教えてください。そう先では有りませんよね?」
「そうですね。使いを送ります」
その女の少し冷たい目線。…先生にもあとで謝るべきだろう。
「それではまた」
なんとも言えない雰囲気の中で先生が頭を下げ、私達はグラニスさんの家を後にした。
「ごめんねレイス。大丈夫、冗談だからさ」
「わかってる…。冗談じゃなかったらもう刺してる」
それを聞いた先生の顔が露骨に引きつっていた。
見慣れた門をくぐり、玄関の戸をあけた。
「折角だから上がっていってよ。さっき部屋も片付けたから」
振り向く視線の先。
先生はやっと脇腹の痛みから解放されたらしい。
「レイス、何か食べたか?」
「はい。さっき頂きました」
「じゃあ、俺は何か食べてくるから、それまで上がらせて貰うといい」
少し考え込むレイスに私からも声をかける。
「私も明日からまた忙しいから、折角だから遊んでよ。疲れた?」
「じゃあ…そうする」
荷物を置いた先生を見送る。
「じゃあ後で迎えに来る。少し寄り道もすると思う」
「分かりました。…あまり遅くならないで下さいね?」
「寄り道するのも少しだけだ。大丈夫」
「じゃあ先生、また後でね」
「ミリア。レイスに変な事吹き込むなよ。…刺される」
ひとしきりの挨拶らしき会話を終え、先生は出て行った。
その背中が門の方へ向かって小さくなっていく。
門を出た所で一度振り返った。
それに隣でレイスが手を振っている。一緒になって手を振っておいた。
その目が少し、大きく開いたように見えた。
そういえば、謝り損ねた。
まぁ、多分気にしていないだろう。
「さて、行こっか」
振り返り家の中に入り込む。
そう遅くはならないと言っていた。
それまで日頃の愚痴でも聞いてもらおう。
その後。
逆に先程までの愚痴を延々と述べられた。
まぁいいのだけど。こんなのも悪くない。




