ヴァンゼル家13
朝の匂いが残る道を歩く。
昨日レイスと相談した結果、やはり次の出発の折にも彼らに同行する事にした。
グラニスもそうだが、…スライにも世話になりすぎている。
その彼に付き合うと考えれば決してそれは間違っていないはずだ。
意味合いから考えればあくまでついで、という位置付になるのだが報酬もそこそこの額が出るだろう。
あまり大きな声では言わないが、貰えるならば貰っておきたい。
金があればその分仕事に出なくて済む。
それはつまり、俺と彼女の命を危険に晒さなくてよいという事だ。
何れにせよ、その方針は早めに伝えるべきだろう。
ミネルヴたちが宿泊しているグラニスの家を目指して歩いていた。
立ち並ぶ塀や植え込み。そしてやたらと整った石畳。
それらに少しの息苦しさを感じながら、高級な家が並ぶ道を歩く。
少し行った先の角を曲がって暫く行くとリンダウ家、つまりミリアとセイムの家があった筈だ。
「なぁレイス、セイムはいつになったらミリアに勝てると思う?」
「その質問は難しいですね。…そもそも、その日は来るのでしょうか?」
「あぁ、そうか…」
別に強さは人生の尺度ではないが、あの弟の壁はまずは姉だろう。
俺の知る限り、彼女は素晴らしい才能を持っているように見える。
…彼等の人生においてそれが遺憾なく発揮される事などないだろうし、その必要もない人生を歩むだろう。
それでも彼が超えるべき彼女にいつか打ち勝つにはかなりの努力が必要だと思う。
俺が彼らと知り合ってそれなりの期間がたっているが、あの2人の差は広がるばかりに思えた。
「あいつもミリアが姉じゃ大変だよな」
「…この間も、生意気な事を言ったのでぶっ飛ばした、とかなんとか言っていましたよ」
呆れるような口調のレイス。
そんな脱力するようなやり取りをしながら歩いている俺達がその角に差し掛かった折。
話の渦中の壁のほうが現れた。
膝下丈のズボンと、薄手のシャツ。先日切った短めの髪が揺れている。
走りこんでいたらしく、少し上気した顔に汗が浮かんでいる。
「あれ、なにやってんのこんな所で?」
少し荒い息を吐きながらその足をゆっくりとした物に変える。
「ミリアこそ何してるの…」
「あぁ私は走ってるんだよ。体力は一日にして成らないからね。その内に先生も倒してみせるよ」
そう言いながら口の端を上げた彼女が、その右拳をこちらに向ける。
「そうか。でもその頃には俺はもう老人だろうな」
「言ってなよ。10年以内にはやっつけてやる」
「結構長い計画ですね…」
やはり脱力するようなやり取りをする中、ミリアが思い出したように話し出す。
「そうだレイス、先生。今日この後は暇?」
「えぇと…」
伺うようにこちらを見るレイスに促され答える。
「今から少しグラニスさんの所に用がある。昼前には済むからその後なら大丈夫だ」
「十分だね。付き合ってもらっていい?」
「構わないが…その時間で大丈夫か?」
「大丈夫。大通りの先に用があるんだけど、荷物が多くなりそうだから付き合って欲しいんだよ。昼くらいは奢るからさ、用が済んだら家に来て貰っていいかなぁ?」
「分かった。じゃあ、あとで寄ればいいな」
「ところで、グラニスさんの家、やたら人が来てるみたいだけどどうしたのあれ」
「あぁ。それはなんと言うか。話すと長くなる」
レイスが軽く溜息をついているのが視界の端に映る。
「後でゆっくり話す。それでいいか?」
「まぁ別にいいや。用がある訳でもないし。それじゃ待ってるから後でね!」
彼女は軽く手を振って、再び走り出した。
その足の運びの軽やかな事。
「なんていうか。セイムには悪いが、当分敵わないだろうな」
「やっぱりそう思います?」
彼女も苦笑していた。
ミリアを見送った俺たちは、気を取り直して再びグラニスの家を目指す。
綺麗に整備された石畳を歩く俺達の視線の先、一際大きな屋敷が見えてくる。
広い庭と、その性格を現すような適当な植栽。
入り口の高級そうな門扉を開き、庭の中へ入っていく。
「おお、お前達。話は聞いたぞ。…無事でよかった」
重厚な扉が据え付けられた玄関から出てきたグラニスは、謝罪めいたひとしきりの感慨じみた話を続ける。
色々あったが今の所問題ない事、そして今訪れている目的。
改めての出発の際には同行する旨を伝え、その話を打ち切った。
「グラニスさん、それよりも残る騎士達が気になりますね。…大丈夫ですか?」
「あぁ、それはそこまででもない。確かに雰囲気はよくないが、彼らも自分達の決めた道だ。やり遂げるだろう」
「であればいいんですが…」
正直な所、鈍感であろうグラニスが雰囲気が良くないと言っているのだ。
葬式のような雰囲気なのだろう。
折角なので上がっていけ、というグラニスの言葉を丁重に断り、ミリアの所へ行こうと思った時だった。
扉の中からミネルヴが顔を出した。
「レイスさん。この間は本当にありがとうございました。…あなたがリューンさんですね」
同行していた筈だが、馬車にずっと乗っていたので顔も覚えていないらしい。
それでなくとも彼らにとっては俺たちなどその程度の存在だ。改めて気にする程の事でもない。
「レイスがお世話になったそうで。私からも礼を言います」
「世話になっただなんてとんでもない。レイスさんがいなければ私は今頃どうなっていたか分かりません。何とお礼を言えばいいか。…それでです、レイスさんとあなたが宜しければこのまま王都へ…」
「ちょっと待って下さい…」
焦ってレイスが話しに割って入った。
「そんな話は、せめて全て終わってからにして下さい。次の出発の時にも私達行きますから…」
「本当ですか!それはありがたい。あなたがいれば私は安心していられます」
ひどく気に入られているようだ。
確かに先日の折脱出に成功したのは、間違いなく彼女が同行していればこそだった。
頼りにもしたくなるだろう。
とはいえ。
仮に本人がどうしてもと言ってもそんな所、つまりはヴァンゼル家に行かせるつもりは毛頭無いが。
懸命にそこから話を逸らそうとするレイスと、どうしてもそこへ持っていこうとするミネルヴ。
暫くそのやり取りを眺めていた。
「ではせめて…今からお時間はありませんか?あなたの色々なお話を聞きたいのです。これくらいなら宜しいでしょう?」
振り向いて助けを求めるレイスの顔。
ミネルヴの譲歩はそこが限度なのだろうが…。
「ミネルヴさん。すみませんがこの後少し用事が入っています。また改めてでは無理でしょうか?」
助け舟を出すも、ミネルヴはもうレイスの手を握り家の中に引き込もうとしている所だった。
「ちょ、ちょっと待って下さい…」
手を慌てて振り解くレイスが凄まじい速さで後ずさりし、俺の後ろに隠れた。
ミネルヴの寂しそうな顔。
振り向くとグラニスの期待の眼差し。
ミネルヴもこんな異邦の地で屋敷から一歩も出られずただ待っているだけだ。
余程暇を持て余しているのだろう。
振り向いて小声で話す。
「レイス、頑張れ」
「えええぇぇぇ……」
「大丈夫だ、馬車の中でも話してたんだろ。ミリアの用を終わらせて早めに迎えに来る」
「…分かりましたよ。早く戻ってきて下さいね」
彼女の泣き出しそうな顔に、心の中で詫びを入れながらミネルヴの方に向き直る。
「ミネルヴさん、とりあえず勧誘するような話はもうやめて下さい。そういうのは説得されてどうこうって話じゃない」
「分かっています。ただ、レイスさんとお話がしたいだけなんです。…ご迷惑でしたか?」
ひどく肩を落とすミネルヴに、レイスの悲壮感が漂っていた顔は仕方ないと言うような表情に変わっていた。
「リューン様、じゃあここで待ってますから…」
「あぁ、悪いな。さっさと行ってくる」
振り向こうとする俺の手をレイスが掴んだ。
何だ?と言うような顔の俺の前で俯き、少し困ったような顔で考え込んでいる。
その沈黙に俺が口を開こうとしたその時、レイスは意を決したように顔を上げ、その右手で俺の顔を呼ぶ。
「どうした?」
腰を軽く折る俺の耳元。
「…あまり仲良くし過ぎないで下さいね」
少し赤い顔が離れていく。
…そりゃあ、そうだ。
彼女達2人は仲がいい友達なのだろうが、勘違いも多分にあるとは言えミリアは以前そういった懸念を持った相手でもある。
目の前の事だけ考えていて、気にもしていなかった。
「悪かった。ミリアには謝ってくる。明日にして貰おう」
あまりに適当な考えだったと反省し、ミリアには悪いが…明日にして貰おうと思っていた。
目の前で期待の眼差しを向けるミネルヴに、今から断るのは流石に難しい。
それにレイスは首を振る。
「大丈夫ですよ。ミリアにも都合があると思います。行ってあげてください」
「いや、一応断ってみるよ」
「大丈夫です。…信用してますからね?」
微笑みかける彼女の目の前で、自分のいつも通りの考えなしな行動に溜息をついた。
「わかった。細かい用事の内容は分からないが、遅くはならないだろ」
小声でそれに答え、頷くレイスの頭に手をのせた。
それを払おうとする手をかわして、振り向く。
「じゃ、行ってくる」
「…はい」
俺は1人、グラニスの家を後にした。




