ヴァンゼル家07
馬車が走り出す。
目の前の彼女を守っていた筈の騎士は、この世の終わりのような表情で窓の外を見詰めていた。
「どうして、こんな事を?」
努めて冷静を装う、その声。
「ミネルヴ様。本当にすみません。息子が連れ去られました。…許してくれとは言いません」
それきり涙を流すだけだった。
レイスは流石に驚いていた。
正面に座る黒い長髪の女性。
今のやり取りを聞く限り彼女は侍女などではなく、ミネルヴ本人だ。
ここへ向かう途中、含み笑いを交えながら話した王都での折の話。
あれは彼女自身の言葉だったという事だろうか。
…今の状況からすると呑気すぎる事を考えている事実に気付く。
涙を流す騎士。
そんな事はどうでも良かった。
言葉には同情するが、レイスにとってはそんな事よりもリューンが心配だった。
恐らく先程の言葉通り、地の果てまででも自分を探し回るだろう。
そして、この状況。
ああは言っていたが、このまま自分が解放されるとは思えない。
このままどこかで殺されるのだろうか。
書き終えていない手紙を思い出す。
最後にあの書きかけの手紙を見たリューンは、仕方がないやつなどと言って笑うだろうか。
…ひどく悲しみ、憎しみに狂うだろう。
それは、避けたい。
それにこんな訳のわからない状況で命を落とすのは、いささか不本意だった。
もし命を落とすことを許容するとすれば、それはリューンの為にと決めていた。
導き出される答えはひとつ。
以前リューンからも同じ事を言われていた。
必ず生き残る。
先程噛まされたくつわが少しきつい。
右手は縛る先がなかった為、両足と一緒に適当に縛られている。
何れにせよ、今すぐ出来る事はなさそうだ。
彼女の力はいつも右手を向けた先に発現させている上、これでは詠唱も出来ない。
その武器無しに戦えるとは到底思えない。
であれば、今は体力を温存するのが得策だろう。
冷静に状況を判断したレイスは力を抜き、質素な装飾が施された背もたれに体を預けた。
「レイスさん、こんな事に巻き込んでしまい本当に申し訳ありません。
私は仕方ありませんが、その時になったらあなただけでも助命して貰える様に頼んでみます」
失意の表情のミネルヴが口を開く。
レイスは思う。
そんな事ができる訳がない。
彼女を殺す人間の顔を見た自分を生かしておく必要がどこにあるのか。
気持ちはありがたいが、それは無駄な努力だろう。
恐らく再びリューンの前に戻る為、期待できるのは自分の力だけだろう。
奇跡的な確率だが、運がよければリューンが助けに来るかもしれない。
しかし自分もどこへ連れていかれるのか分からない状況で、
リューンがその行先を探し当てる事など言葉通り奇跡に近いだろう。
今はその瞬間を待つだけ。
レイスは自分の体力を温存する事にだけ注力する。
ミネルヴはそれを知ってか知らずか、レイスに話しかけるのはやめ、その目を伏せた。
…沈黙を乗せた馬車が走る。
「それで、囮の計画も漏れていると判断してこちらを本体にした、って事でいいのか?
もう理由なんてどうでもいいが」
「…そうです。聞いていたあなたの腕も、この人数も、全てそう判断する理由になりました」
「それをなんで俺にまで言わねぇんだよ。流石に焦ったっての」
表面上は落ち着いて見せているリューン。
そのリューンに少し遠慮がちなスライ。
そして騎士達。
彼らが話し込むその周りで、その他大勢となるギルドの人間とヴァージル達は、
話の本筋に直接の関係がない為、ただそのやり取りを終えるのを待つ。
先程から足を揺すり続けている事に自分で気付き、それを押さえた。
「まぁいい。何れにせよ俺はお前達と一緒に行動しようとは思わない。
最初からあの調子で、大事な事は信用できないから伝えない、仲間から裏切り者が出る、
この状況でお前達を信じるなんて無理だろ?」
「リューン、それは分かるんだがこいつらも必死だったんだ、勘弁してやってくれ」
「…直接の原因じゃないのかもしれないが、結果的にレイスが巻き添えで攫われている。無理だな」
スライが黙って頭を掻いている。
「それで、お前は何を隠している?別に関係ないならそれでいいが」
「あぁ、それな。直接関係ないのは事実なんだが…
「なんだ、はっきり言えよ。関係ないのか?」
「分かった、悪かったよ」
スライは一度大きく深呼吸をする。
「あのな、俺の名前って知ってるか?」
「は?」
スライはスライだ。
レイスと同じように姓はないのかと思っていたが。
「俺の名前は、スライ・ヴァンゼルだ。宜しくな」
ふざけてみせる彼の顔と言葉が一致しない。
「ヴァンゼル?あのヴァンゼルでいいのか?」
「だからそうだって。ミネルヴは俺の従兄弟だ。それで顔を見て俺もさっき知って驚いた、って所だ。
今の件に直接は関係ないが、お前に何かずっと疑われているのも気持ち悪いからな」
「お前…」
「ま、ありがちな話だ。貴族の家が嫌だったんだよ。お前だってわかるだろ?」
スライはヴァンゼル家の人間だった。
グラニスと浅からぬ縁があったのも納得できる。
…ずっと今まで隠し通してきたのだろう。
「くそ」
「なんだよ」
「悪かった」
「気にすんな。内緒な?」
そう言って笑って見せるスライは、やはり俺の知っているスライだった。
隠し通してきた事を、こんな所で無理矢理白状させた。
彼に関してだけ言えば、俺は怒りに取り乱して文句を吐いていただけだった。
視線を落とす俺の前でスライが立ち上がった。
「さて、行動しよう。俺は取り急ぎパドルアに戻るべきだと思う。
依頼で動いている人間は既に依頼云々と言う状況じゃない。
クレイル達もこのまま先に進む訳にも行かない。
リューンと…昔の仲間も、この先に進む意味なんてないだろ?」
スライが見渡す視線に、意義を唱える物はいなかった。
程なくして。
元より寄せ集めの集団は、更にその結束を綻ばせながらパドルアに向かって出発した




