ヴァンゼル家01
「あぁおはよう。リューン、レイス。丁度いい所に来た」
「…昨日スライと話していた事ですか?」
「話は聞いたか?」
「あぁいや、何となくそう思ってだけで内容は知りません。なんですか?」
「…護衛の依頼を受けて貰えないか?」
「護衛ですか?」
昨日のアレンの話の後でこれだ。
視界の端のレイスの顔がこちらの表情を伺っている。
「どうかしたか?」
「ちょっと昨日色々ありまして。それでその護衛というのはどういう話ですか?」
「実はな。王都からそれなりの立場の者がパドルアまで来る予定があるのだ」
「王都まで迎えに行け、という事ですか?」
そんな事であれば護衛の数を増やせば普通はそこまで問題にはならない。
他に何かがあるのだろうか。
「違うな。相談しているのはここパドルアから、聖マルト王国までの護衛だ」
…とんでもない事を口走っている。
政治絡みだ。しかも国家間の何かが絡むような。
「グラニスさん、それは俺達のような所に降りてくる話じゃない」
「普通はな。当然、腕の立つ騎士達がその護衛につく。しかしその騎士達も…
「ちょっと待って下さい、この先は聞いても断れる内容なんですか?」
「…お前なら大丈夫だろう。当然誰にも言わないで欲しい。しかし出来ればお前に頼みたい仕事だ」
少しグラニスから視線を外して考える。
国家だの政治だのでは、知っているだけで狙われるような話もある。
ここで何を聞いても、俺がそれを知っているという事はどこにも漏れないだろうが。
念の為だ。
「レイス、ちょっとあっちで練習してろ」
「…え?」
少し大きな声で疑問を口に出し、理解できない、というような抗議の視線を俺に向ける。
その視線を受け止めながらもう一度同じ事を言う。
「…あっちで練習してろ。」
抗議の視線は緩まないが、それでも悲しそうに目を伏せた彼女は俯いて訓練場の方に歩いていく。
「すまない。だが出来ればお前にも頼みたい」
「それは…内容で考えます」
「そうだろうな。実はな…
マルト聖王国とクラスト王国の間で停戦、和平を結ぶ事を画策している一派がある。
ヴァンゼル家。
クラスト王国内で最有力の貴族家だ。そして以前レイスを召抱えようとしていた者が所属する一派。
しかし最早ヴァンゼル家の名前で一括りにするには大きすぎる派閥となってしまったヴァンゼルは、
今回のこの動きに関しても一枚岩ではない。当然それを良く思わない者もいる。
和平の交渉に際し水面下での交渉も進んでおり、
今回、改めてヴァンゼル家の本家の3女、ミネルヴという者がマルト聖王国を訪問する。
しかしまだ正式という訳でもない。
妨害したい側の息がかかった者が確認できていない以上、軍を動かすのも危ない。
そこでミネルヴ自身の息のかかった騎士達を護衛として集める事となった。
「…少なくともここまで聞く限り、俺達の出番はなさそうですが?」
「問題はこの先なのだ」
少し溜息をついて話の続きを始めた。
このミネルヴという本家の3女。
彼女は今のクラストにあって正義と義理を重んじており、それなりに敵が多い。
そのミネルヴが集める騎士達。
彼女が思想を共にできる仲間として、身分の貴賤に関わらず集められていた彼らは、やはりそれなりに疎まれている。
その彼らを纏めて葬る方法。
…丁度いい機会だろう。
「やはり護衛の護衛、という事でいいんでしょうか。ただこれは俺なんかが手数を集めても、明らかに手に余ります」
眉をしかめる俺にグラニスが言う。
「スライも同行する。ギルドに依頼して高ランクの者もつける。だが誰が信用できるのかわからないのだ」
ここで先日のギルドの依頼の偏りへの合点がいった。
多分この話の影響だろう。
高ランクの人間をそれなりの人数付けるという依頼、それが出る見通しが事前に伝わっていた。
質は兎も角、高ランクの看板を持った人間が必要だったので、ランクを底上げさせていたという事か。
先日も仕事で同行している俺と同じランク3で、何故ここまで生きているのかと疑問を持つような者もいた。
しかし、今はそんな事はどうでもいい。
そんな事が事前に伝わっていたという事実が問題だろう。
「それと。私はミネルヴが幼い頃からの付き合いだ。私は色々な事を教えた。教えすぎたのかもしれない。
正しくあろうという意思が強すぎるのだ。そして彼女が集めた仲間達。みな正しくあろうとする者たちだ。
その犠牲になるかもしれない事を頼んでおきながら言いづらいのだが、彼らを失う訳にはいかないのだ」
離れたとはいえ、グラニスは王都の中枢に長く居た人間だ。
国のこれからへの懸念は幾らでもあるのだろう。
正直、この依頼は危険だ。
どんな事態に直面させられるか分かった物ではない。
貴族共のやり取りの煽りで命を落とすなど、御免だ。
そして昨日のアレンの言葉。
不穏どころの話ではない。
今の所、断る理由には事欠かない。
逆に、受ける理由は?
スライが同行する事。彼は失いたくない。
グラニスから頼まれているという事。借りばかりが溜まっている。
強いて言えば、グレトナと再会できるかもしれない。まずないだろうが。
…その程度だ。
腕を組み、考え込んでしまう。
他でもないグラニスの頼みだ。
できれば何とかしたい。他に何かないのだろうか。
「少し考えさせて下さい。いつまで悩めますか?」
「…明後日辺りには返事が欲しい。断られても仕方ないができれば頼みたい。ミネルヴ達もそうだがスライも心配なのだ」
そういえばスライ。
あいつは何故これに同行するのだ。
俺より余程物事を考えている筈だ。
何かあるのだろう。
ついでに…アレンにも話を聞いてみよう。気が進まないが。
「分かりました。少し考えてみます。それと俺がこの話を聞いた事は、念の為秘密にして頂けると有難いです」
「無論だ。いい返事を期待している。すまないな。危険な話をしてしまった」
「いえ、できれば何とかしたいと思っています。…少し考えてみます」
「あぁ、頼んだぞ」
振り向くグラニスに頭を下げる。
その背中は、ひどく疲れているように見えた。
遠くでちらちらとこちらに振り向きながら練習を続けるレイスが見える。
それに手を振り、昼食に向かう事にした。
「リューン様、どういう事ですか?」
白けた視線を横から俺に向けながら歩くレイス。
「ごめんな。でもやっぱり碌な話じゃなかった。後でゆっくり話すよ」
「本当にちゃんと話して下さいね?そう言っている間にどこか行ってしまうんですから」
少し怒り気味の彼女と並んで歩き、馴染みの飲食店に入る。
「レイス、これからスライの所に行って来る。少し聞きたい事ができた」
「…1人で行くって言うんですか?」
更に白けた視線が俺を貫いている。
「その通りだったんだけど…。そんな目で見るなよ」
じとっとした視線でこちらを見詰めるレイスから視線を逸らしてしまう。
「リューン様がいつもいつもそうやって何処かへ行ってしまうから見張っているんですよ」
一度目を閉じ、呆れたような表情を浮かべながら大げさに溜息をついて見せるレイス。
…運ばれてきた料理を切り分けていつものように彼女の方に押しやる。
「今日、後で話すから。少し自分でも整理したいんだ。勘弁してくれよ…」
「分かりましたよ。私は…ミリアは家にいるかなぁ…」
食事を終え、店の前で昼下がりの空を仰ぐ。いい天気だ。
「んんー」という声にならない声をあげながらレイスが背筋を伸ばす。
その姿に、彼女の傷だらけの細い体がしなる様を思い出し、視線を外した。
「リューン様、ミリアの家に行ってみます。居なければ…帰って本を読みます。それでいいですか?」
「あぁ、ごめんな。後で色々と話す。あまり遅くなるなよ?」
「遅くなるのもいつもリューン様じゃないですか…」
余計な事を言う物ではない。
再び溜息をつきながらそこでレイスと別れ、俺はスライの所へ向かう。
スライだけでなく、アレンの所にも寄るつもりだ。
何となく、レイスはそこへは同行させたくない。
それでも笑顔でこちらに手を振ってくれる彼女に手を振り返し、俺は1人で歩き始めた。