2人の日常05
依頼の用紙が貼り付けられた掲示板を眺める。
左の端の列。ランクの制限がない依頼の数々。
魔物の討伐。
村の近辺で見受けられる低位の魔物の探索と討伐。
最低人数5人。
野盗の討伐。
南の町付近の岩場の洞窟。傭兵崩れと見られる数人程度の野盗の討伐。
人数10人前後。
再び魔物の討伐…
他にランク不問の依頼は十枚程並んでいる。
護衛の依頼もあるが、今回はこれは除外だろう。
もし仮に襲撃を受けるとして、そうなった場合の相手の戦力が全く予想できない。
相手がいて戦う、という前提であれば敵の事が事前に依頼内容で推定できる。
それにもっと言えば、彼女が戦える事を確認する必要もある。
覚悟はできているだろう。それでもだ。
真剣に依頼の用紙を上から順に読む彼女の横顔を眺める。
その目は少し腫れている。
昨晩はひどく泣いていた。
掛ける言葉が見つけられなかった。
家族、ましてや子供など。今まで自分は考えた事などなかった。
いかに効率よく敵を倒すか。どの時点で逃げを打つか。
彼女が現れ最近色々な事を考えるようになった。
そんな程度しかものを考えてこなかった俺が、そこに掛ける言葉など思いつく筈もない。
…いつか、彼女を心から安心させられる気の利いた言葉など生まれるようになるのだろうか。
そして、恐らくそれとは程遠い言葉を吐く。
「どうだ。気になる物はあったか?」
「わかりません。…逆にどれでも大丈夫です」
「そうか。じゃあ、これにしよう」
俺が指差す討伐依頼の用紙。それを見る彼女の表情が少し強張る。
やはり人間が相手なのは気が引けるのだろう。
それで構わない。人間以外がいいと言えばそうするつもりだ。
それを声高に指摘して、やはりやめておけ、などと言うつもりもない。
しかし。
躊躇なく人を殺す。
この稼業で生きていくのであれば、それは避けられない。
そして…慣れてしまうのは早い方がいい。
「相手はこちらを見つければ死に物狂いで襲ってくる。場合によっては逃げる。…今決めなくてもいい」
「大丈夫です。これを受けます」
「もし気が進まないなら違う物でも構わないんだぞ?」
「…リューン様。大丈夫です」
彼女の右目は俺の目を真っ直ぐ見詰めている。
俺達はその依頼を申し込み、ギルドを後にした。
人数さえ集まれば、明後日の早朝に出発する事となる。
内容に応じた準備をする必要があるだろう。
昼前の訓練場。
あちこちに並べられた板切れを氷の槍が繰り返し貫く。
その距離は当初練習していた距離より、ずっと近い。
改めて使い始めた短杖はその妨げにはなっていないようだ。
少し離れた所で座り込み、それをただ眺めていた。
額に汗を浮かべ、真剣な眼差しでその力を振るう。
心の底から必死の努力。
心打たれる光景だろう。
それが何の恨みもない人間を殺す為の練習でなければ。
太陽が真上に昇っている。
そろそろ養成所の人間がこの場所を使う頃だろう。
「レイス、そろそろ時間になる。終わりにしよう」
「…はい」
流石に疲れたのだろう、一度深く呼吸し、その右手が額を拭う。
ばらばらになった木板を拾い集め、所定の捨て場に放り込む。
彼女は先程俺が座り込んでいた場所に座らせ、少し休んで貰う。
本番前に倒れてしまっては意味がない。
「どうだ。大体イメージはつかめたか?」
「はい。実際の戦闘の時には私は…
「まぁまて、とりあえず食事に行こう。その後でゆっくり聞く」
彼女の右手を握り、立ち上がらせ、養成所の建屋に向かう。
グラニスは留守だった。
受付の人間も流石に俺達の顔を覚えているらしく、
午後に差し掛からなければ好きに使っていい、と言ってくれた。
時間ぎりぎりまで場所を借りた礼を述べ、養成所を後にした俺達はいつもの店に入り食事を取った。
俺もそうだが、彼女も色々と考えているのだろう。
口数は少ない。
食事の大半を片付けた所で、彼女が切り出した。
「リューン様。立ち回りについてですが」
「ああ。俺も考えた。とりあえずどうしようと思っている?」
肉を突き刺したフォークを口に運ぶ。
「リューン様の近くに居ます。それが一番効率的で危険が少ないと思います」
同じく、フォークを口に運ぶ。
「…同じ事を考えていた。距離は兎も角、俺からも敵からもあまり離れない方がいいだろう」
口をもぐもぐとさせるのを止め、彼女がこちらを見る。
それに軽く微笑みかけ、視線を逸らした。
視線の先は、皿に残った芋だ。それにフォークを突き刺し口に運ぶ。
とりあえずの考え方が同じでよかった。
「前衛の援護、あと周りへの警戒だな。お前への直接の敵の接近は俺や他の前衛が食い止める。
完全に後衛になる弓兵や戦えない僧侶、魔術士なんかとの間になる。…距離感が難しいな」
「はい。あと遠距離からの攻撃に備える、ですね。見つけてそれを先に倒すのが理想かと思います」
思わずその顔を見上げた。大した進歩だ。理屈だけとは言え、自分の能力と役所を良く考えたようだ。
スライの所に行ったのは正解だったのだろう。
「そうだな。実際にその全てをやるのは難しい。危ないと思ったら俺の所に来い。余程の状況でなければ守る」
「はい」
軽く微笑む彼女は、自分の脆さも素直に認めているようだ。
…もうこれ以上準備できる事はないだろう。
彼女の皿の上も片付いている。
「レイス、とりあえず服とか食料を揃えに行こう。…少しうまいものがいいな」
「そうですね。この間のふやけた粉はちょっと」
苦笑いする彼女と店を出て、明後日から使用する物を買い揃えて回る。
携帯食料や彼女の装備品。
少し厚手のローブ。動きやすいブーツ。まさかワンピースとサンダルという訳にもいくまい。
そういった物を買い集め、宿に持ったのは結局すっかり夕食時だった。
「さっき買った物、着てみて具合を確認したほうがいいな」
「…はい。実は全部着てみていいですか?って聞こうと思っていました」
食事を終え、フォークを置く彼女が微笑む。
「どうでしょうか?」
少し顔を赤くしながら目の前でくるりと回ってみせる。
新品のローブ。ブーツ。少し野暮ったい肩掛けの鞄。そして腰にぶら下げた短杖。
「あぁ。なんだか…」
以前、時折護衛で同行する事になるような、駆け出しの冒険者を目の前にする感覚。
しかし俺にとって、彼らとの違いは明白だった。
「…何か、おかしいですか?」
少し心配そうにこちらを覗き込む彼女に首を振る。
「レイス。絶対に生き残れ。絶対にだ」
立ち上がる俺に頷く彼女。
依頼の内容からすると、さんざ考え込んだ立ち回りが必要だとは思えないが、
それでも彼女が本当に戦えるかは確認できるだろう。
明日はゆっくりと休み明後日に備える事にし、
俺達は夜半を過ぎる前には寝息を立て始めた。




