2人の日常04
滅多に訪れる事のない友人の家の扉を叩く。
その扉の外にまで聞こえる家の中の賑やかな雰囲気。
それは恐らく自分には縁がないだろう。複数の子供が騒ぐ声と、それを叱る見知った声。
木製の扉の乾いた音にその声の音量が一段低くなり、暫くの後に扉が開いた。
「あーい、誰だー」
随分といい加減な言葉と同時に、見知った金髪がエプロンを着けたままの姿で扉の向こうから現れた。
意外そうな顔をするスライに、俺の後ろでレイスが頭を下げる。
「よう。元気か?」
「珍しいな。あがるか?ちょっと…随分散らかっているが」
「あぁいや、ここでいい。いきなり悪い。実はちょっと頼みがあって来たんだ」
「金ならないぞ?一言二言じゃないならあがってくれ。座る場所くらいならあるから」
答えを聞かずにスライは扉を大きく開け、家の中に入っていく。
「よーし、ちょっと2階に行ってろ!お客さんだぞー」
気だるそうにあげる声に少し罪悪感を感じながら、こちらを伺うような雰囲気を感じそこで立ち止まる。
その俺達に再び促す声がかかり、俺達は結局彼の家に上がった。
通り過ぎる階段の上からこちらを覗き込む複数の視線。
その1つと目が合い軽く手を振りながら、その先の部屋に進む。
「スライ、あの子大きくなったな。なんて言ったっけ?」
「あぁリーザか。今年で8つだ。うるさくてなぁ…」
心底疲れたような声を出している。
スライは、その師グラニスの関係で小さな子供数人と暮らしている。
長期間は家を開けず、受ける仕事も討伐などの比較的短期間で完了する物だけだ。
とはいえ、先日王都に向かった折も含めそれなりに期間が必要な事もあり、そういった場合は知り合いにその世話を頼むらしい。
「ちょっと散らかってるけど、まぁいいだろ?そこらへん適当に座ってくれ」
食器が7枚程その端に積み重ねられているテーブルにレイスと並んで座り、更に奥の部屋に引っ込むスライを待つ。
心配そうに軽く辺りを見渡すレイスが明らかに戸惑っている。
「…ご迷惑じゃなかったでしょうか」
「多分いつ来ても一緒だからなぁ」
過去数度ここに来た事があるが、ほぼ同じ状況だった。
扉の奥から暖かい飲み物を持ったスライが現れ、それを俺達の前に並べてくれた。
もうちょっと待ってくれ、と言ってテーブルの上の食器をその手に持ち再び扉の奥へと消えていった。
奥ですこしがしゃがしゃという音が聞こえ、今度は自分のカップを持ったスライが再び扉の奥から現れ俺の正面に座る。
「悪い、待たせた。で、なんだっけ?」
「まずこの間の礼だ。色々世話を掛けた。ありがとう」
「それは帰り道にも言っただろ。別にいいって。そして俺をもっと大事に扱え」
「悪いがそれは無理だな。今日の用件は…
「おいおい…
「実はな、
「本当に流すのかよ…
「彼女に戦いでの立ち回りを教えてやってほしい。俺とは違いすぎてどうにもならない」
「リューンよぉ、お前は前衛でも特殊な部類だろ。変な事教えるなよ?で、立ち回りって言われてもなぁ…」
少し首を傾げて少し考え込んでいる。
確かに彼の場合も、いわゆる魔術士然とした立ち回りからは懸け離れている部分がある。
度を越えて丈夫な体と腕力。
杖術でも習っていたのか、大型のスタッフで並の相手であれば殴り倒したりしている姿を何度も見てきた。
それで何度も剣士に鞍替えしろと言っているのだが…彼がそれを聞き入れる事はないだろう。
暫く考え込んでいたスライが口を開く。
「別にいいんだが…あんまり参考にしないっていうのが条件だ」
「とんでもない条件だな」
「俺とその子じゃ色々と違いすぎる。一般論くらいは教えるが、その先は自分で確立してくれって話な?」
そのやり取りを聞いていたレイスが伺うようにこちらを見た。
それを促す仕草をする俺から視線を外し
「お願いします。まだ何をすればいいかよくわからないので、少しでも知識が欲しいんです」
「あぁわかった。所で、その報酬としてだな…」
重い袋を担いで歩いている。
記憶を呼び起こし、買い忘れた物がないかを確認した。
…油がない。
随分前にそういった物を扱う店を通り過ぎた筈だ。
溜息をつきながら今来た道を引き返す。
何のことはない。
交換条件は、教えている時間に済ますべき家事を手伝う事だった。
流石に子供の面倒を見たり料理をするのは難しい。
俺ができる事。買い物。洗濯。掃除。その辺りを引き受けた。
しかし。
できる、というのは言い過ぎだったと先程気付いた。
何とかできると思う、というのが正しいだろう。
先程洗濯を終え、それを干してきた。
その後は夕食の材料を買い集めないといけない。
買い忘れた油を袋に放り込み、再びスライの家への道を歩く。
「お疲れさん。それはこっちに置いてくれ。丁度いいから休憩にしよう」
スライは荷物を担いで戻った俺に声をかけ、飲み物を取りに再び奥の部屋に入っていく。
それを追いかけて荷物を渡し、振り返る。
テーブルの上には厚い紙が置いてあり、レイスはそれを真剣に眺めている。
紙には何度も書いて消された簡単な人の配置のような跡が残っていた。
「レイス、どうだ?」
「…難しいです。こんなに考えながらいつも戦うのでしょうか」
「…俺はそんなに考えていないな。何となくって事が多い。スライは…考えてるんだろうか」
「考えてるに決まってるだろ」
両手に飲み物を持って呆れ顔のスライが後ろに立っていた。
「確かに的を射た行動が多いよな。どこかで習ったのか?」
「あぁ…。大昔だな」
自分の分を取りに再び奥へ戻るスライは気のない返事をしている。
あまり聞かれたくない事なのだろうか。
戻ったスライはそれについて自ら説明を始めた。
「大昔、王都に居た頃に習ったんだよ。そんなに長くはないが、俺達が関わるような少人数の話では十分過ぎる」
俺の分の椅子を引き、自分も座り込む。
「ま、本当に昔の話だ。…リューンそれ飲み終わったら洗濯物取り入れて畳んでくれよな」
「お前、毎日これ全部やってるのか」
「少し手を抜いたりはするけどな、ほぼ毎日と思って差し支えない」
「お前、すごいな…」
「俺をもっと労われよな?」
「……。」
続きを始めた二人を置いて、洗濯物を取り込みに2階に上がる。
ロープから外したそれを一度床に全て集めていると、複数の視線を感じる。
こそこそとこちらを伺う子供達に声を掛けた。
「なぁスライはいつもこう…色々やってるのか?」
そこいらから子供がわらわらと出てきて好き勝手な事を言う。
「いつも買い物とか行ってる」
「あいつ足がくさいよ!」
「ご飯作るのがうまいんだよ、昨日のあれ、なんだっけうまかったよな」
「洗濯物しまうの忘れて私が入れたんだよ」
「あんちゃんはスライとどっちが強いんだ?」
話しかけたことを後悔している間にも彼らのスライへの好き勝手な意見は垂れ流され、
それが大人しくなる頃、洗濯物を畳み終えた。
「よし、これはどこにしまえばいいんだ?」
再び帰ってくる好き勝手な意見に、この辺に置いておけばいいな?という、
こちらも勝手な回答を返して俺は頼まれた仕事を終えた。
まだ時間は早いだろう。
残る掃除という仕事をすっかり忘れた俺は子供達に声を掛ける。
「まだ早い。少し遊ぶか」
その数刻後には後悔するのだが。
家の前の通りに出た俺達は、戦闘状態に突入した。
後ろから飛び掛ってくる男の子の脇と腕を掴み、軽く放り投げるように引き倒す。
足に抱きついた女の子を足ごと持ち上げ振り落とす。
反対の足にしがみつく子の首元を掴んで持ち上げやはり軽く放り投げる。
……。
結局ばらばらに掛かっても敵わないと知った彼らは俺の両腕を皆で拘束する事にしたらしい。
子供の重さなど。
片腕に2人。
もう片腕に3人。
腕に掴まる子供を持ち上げて振り回す。
悲鳴に近い歓喜の声を聞きながら俺の体力は限界を迎え、子供達の無尽蔵の体力の前に敗北した。
「おい、飯の準備するぞ、手伝えー」
扉を開けたスライから声がかかり、其れに救われ立ち上がる。
「きついな…」
「まともに付き合っちゃ駄目だろ」
苦笑いするスライが続ける。
「もう少し待って夕飯食べていくか?2人分くらい増えても変わらないぞ?」
「あぁ、今日は食べるって言って出てきたから帰る。悪いな」
「そうかい。んじゃあ続きはまた今度だな」
スライの後ろからレイスが出てきた。
「ありがとうございます。勉強になりました。またお時間がある時に続きを教えて頂けると嬉しいです」
「…暫く出掛けないから明日でもいいぞ?」
レイスの視線がこちらを伺うように見る。
「スライ、悪いんだけど頼んでいいか?」
「別にいいって。こういうのは一度続けて習った方がいいんだ。リューン、お前こそ大丈夫かよ?」
半笑いでこちらを見ている。
…確かに少し辛い物があるかもしれない、などと考えつつ。
結局それを頼み、俺達は宿に戻る道を歩く。
「レイス、どうだった?」
「難しいですね。人数と其々の職業、あと相手を仮定して動かすんです」
「それじゃ幾らでも組み合わせがあるな。それ延々やっていたのか?」
「以前の仕事であった配置と、その結果を教えてもらっています。それで犠牲が出た時はここが不味かった、とか…」
「そりゃ…大変な回数だが。あいつそれ全部覚えてるのか?」
「大体は覚えているって言ってました。…リューン様が出てくる事が何回かありましたよ?」
こちらを向いて少し笑っている。
「へぇ。なんだって?」
「大丈夫だから放っておいた、ここからここまで片付けて帰ってきた、とか…」
「それじゃ勉強にならないだろ…」
「そう言っていましたよ。普通はこうはならないって」
くすくすと笑いながらレイスが答える。
決して馬鹿にされている訳ではないのだろうが。
しかし、少人数の戦闘においては各個の能力の違いで如実に戦局が変化する。
そういった場合にも柔軟に対応してもらわないといけない。
…途中で俺が命を落としたとしても。
その後3日続けてスライの家に通った。
俺は家事と子供達と遊ぶ事に慣れ始め、スライの記憶の中の戦闘時の組み合わせは概ね出尽くした。
夕食を囲むテーブルに、追加で椅子を二つ並べさせて貰っている。
ここまで騒がしい食卓など、俺は今まで経験した事がなかった。
隣のレイスも同様で、脈絡のない突然の質問に苦戦しながら食事を続ける。
「ねぇ姉ちゃん、そっちの目、痛くないの?」
「そうだよどうしたの痛くないの?」
「え…。今は痛くないかな…」
「どうしたの?ぶつけたの?」
「おら余計な事言ってないで早く食え、遊んでるとその肉、食っちまうぞ」
「だめー!」
「次いつ来るの?また遊ぼう!」
「わからない。そのうち
「えーなんでー!明日も遊ぼうよ!」
「だから余計な事言ってないで早く食えって言ってるだろ!」
…ここ数日で一番疲れたのは夕食時かもしれない。
食事を終え、帰り支度をするレイスを置いて、俺とスライは先に家の外に出た。
「これで大体俺が簡単に教えられる事は教えた。依頼、受けるのか?」
「…そうだろうな。この先は経験するしかないだろ」
「お前は、それで大丈夫なのか?」
「思う所はあるが、彼女は人形じゃない。そうしたいならそうさせる。その上で最良の選択をするさ」
「そうか…。経験の上でもう無理、ってなってくれれば心配ないんだがなぁ」
「とりあえず、簡単そうな依頼から受けてみる。ありがとうな。本人も勉強になったと言っていた」
「別にそんな事は構わないけどな。…お前、死ぬなよ?」
「あぁ。まだ当面くたばるつもりはない」
「そうしてくれ。ただな、ちゃんと覚悟はしておけよ?何だって終わってみるまでわからないんだ」
「…そうだな」
スライにひとしきりの礼を述べ、子供達に簡単に挨拶をした俺達はスライの家を後にする。
夕食の時間を過ぎて閑散とする食堂を通り抜け、部屋に戻った。
「レイス、明日からギルドに行って依頼を探す。大丈夫か?」
「はい。私、頑張ります」
その真剣な表情に微笑を返し、頭を撫でる。
「最初から無理するな。お前が怪我でもしたら俺は悲しい。これは…分かってくれ」
「…はい」
彼女なりの決意もあるのだろう。
しかし俺にも希望はある。伝えるだけ伝えておきたい。
簡単に部屋を片付け、蝋燭を吹き消して今日は早めにベッドに潜り込む。
「…リューン様」
「どうした?」
「今日も、お疲れ様でした」
「あぁ、小さいの相手はちょっと疲れるな」
少し笑いながら横を向く。
視線の先のレイスは悲しそうに微笑んでいた。
「リューン様、子供と遊んでいるのも少し似合っていましたよ?」
悲しそうな微笑の理由はすぐに分かった。
彼女の過去を知る限り。
恐らく。彼女は自分の子供を抱ける事はないだろう。
その肩に手を回し、胸に抱き寄せた。
そこで泣き出した彼女が眠ったのは、結局夜半過ぎだった。
…彼女の過去を、運命を、呪いたかった。
しかしそんな事をして何になる。
俺達は生きている。
明日はギルドに向かう。
過去などいい。
これからを切り開く。




