変わり始めた日常01
パドルアに辿り着いた俺たちはここで解散することにした。
と言っても残りの三人は遺体を運ぶ都合、オルビアの馬車が通りかかる範囲まで同行するようだ。
「リューン、今回の件は上に報告するがうちの商売上はまぁ問題ないだろう。
もう夕方だが今晩か明日、顔を出すから宿に居ろ。ついでだ、荷物はその時届けてやる。またな」
「わかったよ。迷惑かける」
安全が確保された状況に余裕が戻ったオルビアと別れ、町の外れの定宿に向かう。
定宿と言っても最早住んでいるのに等しい。
一年間の契約で金がある時に宿代を先に払ってしまっている。
勿論俺が帰らなければ、部屋の中は処分するという約束付だ。
「ただいま」
「あらあらお帰り、思っていたより早かった…
最後まで言い切る前に言葉が止まった。俺の斜め後ろで伏目で立っているレイスを見て固まっている。
長い間の定宿で、最早家族に近い宿の女将ルシアさんだ。
名前は美人なのだが、実際には絵に描いたような肝っ玉母さんのような人で、
面倒見のよさと、その屈託の無い性格で、この辺り一体の他の宿からも頼りにされている。
「あんた、うちは女連れ込む宿じゃ…というか。どうしたんだい」
そういうシチュエーションではない事に言葉の途中で気がついたようだ。
「あぁ。悪いんだけど細かいことは後で話すよ。彼女に何か飲ませてやってくれ」
レイスを手近な席に座らせ、用意に厨房に戻るルシアさんを追いかけて食事の用意を頼む。
よくわからない状況と夕食前の時間外れの食事に、迷惑そうなルシアが厨房の奥に入っていった。
席に戻るとレイスが不安そうに周りを見渡していた。
「どうした?」
と聞くと、
「いえ、何でもありません」
と言い、顔を伏せた。
「もう夜になるから明日、服と靴を買いに行こうか。他に何か欲しい物はあるか?」
「…いえ、大丈夫です」
どうしていいかわからない状況に溜息を着いている所に
ルシアが運んできた小ぶりなステーキとパン、簡単なサラダが俺の前に並べられる。
俺はテーブルの上に纏めて立ててあるナイフとフォークを取り出し肉にナイフを入れ始めた。
料理に一瞥し何も言わず顔を再び伏せたレイスの前に、切り分けたステーキの皿を置く。
ついでパンとサラダを並べてやり、最後にフォークを渡してやる。
「肉は嫌いか?違うものがよければ頼んではみるが、忙しそうだから出来ればそれを食べてくれ」
という俺の顔を見つめ、レイスは
「これは私が食べるのですか?」
という質問を返してきた。
「そうだよ。だから先に出して貰ったんだが。嫌だったか?」
「…いえ、違います。こんな食事、頂いた事が無かったので」
フォークを握ったまま料理を見つめている。
「いいよ、俺の分も多分もう持ってきて貰えるから気にせず食べるといい」
と言っているうちにルシアが俺の分の皿を持ってきてくれた。
やり取りを見ていたらしく、ルシアが彼女に
「あんた、リューンもこう言ってるんだし気にせず食べなさいな。残すんじゃないよ」
声は大きいながらも優しく、彼女の左肩を軽く叩いて厨房に戻っていった。
「だ、そうだ。食べきれないなら早めに言うように。冷めると勿体無いから早く食べよう」
俺はさっさと食事を始める。
「あの。ありがとうございます」
それに習い彼女も食べ始めた。
時折考え込むような顔や意外そうな顔をしながら、懸命に食事を口に運んでいる。
俺はさっさと食べ終えて彼女のしぐさをぼんやりと眺めていた。
食べ方が余りにも不慣れだ。
本当に、良く言えば質素な、実際には最底辺の食事しか与えられてこなかったのだろう。
暫く時間は要したがレイスは全ての食事を平らげた。
「ありがとうございました。こんなおいしい物を食べたのは初めてです。本当にありがとうございます」
放っておくといつまでも礼を言われそうだったので、手で制止し、皿を厨房に片付ける。
「ルシアさん」
「なんだいこの忙しい時に。皿ならその辺に置いておけばいいから」
「いや、そうじゃなくて。悪いんだけどもう一つお願いがあって。
本当に申し訳ないんだけど、彼女風呂に入れてやってくれないかな」
大げさに肩を竦めながらこちらに来たルシアが、その体勢のままで固まる。
暫く固まった後、眉をしかめ手を頭にやりながら答えが返ってくる。
「本当に何がなんだかわからないけど。厄介事じゃないだろうね?」
「大丈夫、そういう話ではないんだ。だから頼めないかな。他にこんなこと頼める相手いないんだよ」
「ったく。いつもの連れ(オルビアの事だろう)に頼めばいいじゃないか。まぁわかったよ。とりあえず忙しいから後で部屋に行くから」
と言って彼女は厨房に戻っていった。
「さて。」
大げさに口に出しながら俺は先程の席に戻り、また不安げに周りを見回しているレイスを2階の自分の部屋に連れて行った。
食堂の奥手の階段から先は宿泊者用のエリアだ。
2階にのぼり3番目の自分の部屋に向かう。
がちゃり。
かれこれ20日ほど開けられなかった扉の鍵を開け部屋の中に入ると、乱雑に荷物が散らかっていた。
そういえば今回の出発前ナイフの研ぎに時間がかかり、片付けもそこそこに眠ってしまった事を思い出した。
「あー、すまない、ちょっと待ってくれ、少し片付ける」
正方形の部屋にベッドと簡単な机と棚、服掛がある程度で何の感想も出ないような特徴の無い部屋。
その中を適当に片付ける。
片付けると言っても大した広さではない。ものの数分で片付け終えた。
「よし。じゃあ好きな所にでも座っててくれ。何か飲み物でも貰ってくる」
「…わかりました」
返事を背中で聞きながら再び厨房に戻り、二人分の飲み物をくすねて部屋に戻る。
食堂は混雑し始めており、帰ってきた時間がこの間にかかってしまわなかった事に胸を撫で下ろした。
部屋に戻ると、扉の音に驚いたような表情でこちらを見るレイスが部屋の隅の床に座りこんでいた。
「そんな所じゃなくてベッドにでも座るといい。少し疲れたか?」
「少し疲れました。でも大丈夫です」
「大丈夫って。まぁいいや、これでも飲んでてくれ」
彼女が立ち上がるのを待って食堂からくすねて来たコップを手渡し机に向かう。
今現在の全財産と宿代の支払い履歴を確認するためだ。
幸いそれなりの金額の貯蓄があり、宿代も半年ほど先まで支払ってある。
更に、大した額ではないとはいえ今回の仕事の報酬がある為、暫くは食うのに困るような事はなさそうである。
「暫くは食事が取れないような状況にはならないで済みそうだ。そう贅沢は出来ないが、安心していいぞ」
「…はい」
まだ自分の立位置がよく把握できず困ったような返事をしている。
「明日、必要なものを買出しに行くから、何を買うか、書き出しておくといい」
机の上の紙と鉛筆を指差したところで気がついた。
「文字は?」
「すみません、読む事は大体出来ますが、書く事は難しいです。すみません」
「いや、俺が悪かった。大丈夫、じゃあ俺が書いてやるから思いついたら言ってくれ。いいな?」
そんなやり取りをしているとノックとほぼ同時にドアが開けられた。ルシアさんだ。
「ノックと同時にドア開けるんだったらノックの必要ないじゃないか」
抗議の声を出す俺を見もせず
「こっちだって忙しいんだよ、ほら嬢ちゃん、風呂入りに行くよ」
レイスの方に向かってにやりと微笑む。
「え……?」
レイスは状況が飲み込めていない。
「あぁごめん、まだ話してないんだよ。レイス、一緒に浴場に行こう。
俺も行くけど消耗品の買い足しがあるから、先に部屋で待っていてくれればいい。ルシアさんお願いします」
立ち上がり自分の着替えを手早く拾い集めた所で気が付いた。
レイスの着替えが無い。着替えというか、何もない。
気付いて呆然とする俺に呆れながらルシアが
「下着くらいはうちに売り物あるから大丈夫だよ。服は明日ちゃんと買ってやるんだよ。ほら、さっさと行くよ」
部屋を出て行くルシアと、まだいまいち状況がわかっていないレイスを部屋から連れ出し浴場に向かった。
浴場の入り口で2人と別れさっさと湯を浴びて出てきた俺は、数が足らなくなった投げナイフの注文を済ませて宿に戻った。
扉をくぐり食堂内を見渡すと、厨房の奥にいるルシアと目が合う。
こちらに気付いたルシアは上を指すような仕草をし、仕事に戻った。部屋にいるよ、とでもいった意味だろう。
聞こえないのは解った上で感謝の気持ちを呟きながら、2階の部屋に戻った。
扉を開けるとレイスがベッドに腰掛けていた。
服はさっきまでと同じだが、先程のやり取りからすると下着は変えられたのだろう。
「待たせた。悪いな、今日中に服も用意するべきだった」
「いえ、そんな。こんな事までして頂いて私は…
言葉を遮り、
「気にするな、俺がやりたくてやってるだけだから本当に気にしなくていい。そんな事より、明日どんな服を買うか、考えるといい」
「…はい。」
「で、だ。取り敢えず今日はそのベッドで寝てくれ。あまり高級じゃない…ルシアさんに怒られるな。普通のベッドだが、床や土よりは寝心地がいいだろ。
それほど長旅だったとは思わないが色々あったし疲れている筈だから、今日は早めに眠るといい」
部屋の明かりの蝋燭4本のうち3本を吹き消し、机の上に先程のナイフの注文の書類を無造作に投げ捨てた。
自分の寝床をどのように用意するか考えながら振り返ると、
ベッドの上でレイスが服を脱いで下着だけになり、いまやその下着に手を掛ける所だった。
「・・・っ!」
声にならない声をあげ、固まる俺の目の前で、レイスは未だ少女である事がわかる裸体を晒していた。
慌てて目を背けようとし、逆に目が釘付けになる。
当然の事だった。
彼女の手足の傷跡は、手足だけにある物ではなかった。
耐え難いであろう暴行の傷跡が残る体を見つめていた。
ただ見つめて固まっている俺を見て
「・・・しないんですか?」
無表情にレイスが問いかける。
何も答えられないで立っている俺に、彼女が更に言う。
「汚い体ですみません」
「でも、わたし、もうこどもは出来ないみたいです。だから、面倒はかからないですよ」
「わたし、なんでもします、だから、できれば、乱暴にはしないで欲しいです。」
「何人か前のご主人様には、やめて下さいと言っても許してもらえず、手を切られました。
あぁ。
聞いていられなかった。
「服を着ろ」
それを聞いたレイスの顔色が陰る
「すみません、私、怒らせてしまい…本当にすみません
「本当になんでもしますから
「いいから服を着てくれ…」
搾り出すように、言葉を遮る。
「…はい」
気に入られず、捨てられるとでも思ったのか。
全てを諦めたような表情で先程脱いだ服を着始めた。
確かに彼女の側からすればこのような場末の冒険者の元に渡され、
その渡された先で捨てられればそれは死しかないだろう。
服を着終えベッドの上で俯く彼女に近づき、その細い体を抱きしめた。
全てに裏切られ、全てに見捨てられたのだ、この少女は。
誰かが、彼女に関わる誰かがほんの少し優しければきっとこんな。
だったら。
俺が。
レイスは驚いた表情を浮かべている。
「大丈夫だ。俺が君を守るよ。心配ない。大丈夫だ。だから」
うまく言葉に出来ず、単語を羅列してしまうが、
レイスの驚いた表情はやがて泣き顔に変わり、彼女の細い腕が、俺の腰の後ろに回される。
なんと言っていいかわからないが、伝わったのだろう。
俺の胸で嗚咽をあげる彼女の髪を撫でてやる。
そうか。俺は。
ただ、生きるために生きていた俺の日常と、
ただ、奪われ続けるだけだった彼女の日常は、
明らかな変化を見せていた。