2人の日常01
目を覚ますと、すぐ目の前にレイスの寝顔がある。
いつも通りゆっくりと眠りから引き戻される感覚の後、見慣れた床がある筈の視界に意識が少し混乱する。
…そういえば、そうだった。
視線を動かし窓に掛けられたカーテンを眺めると、朝という雰囲気は完全に無い。
太陽が安物のカーテンにオレンジ色の円を作っている。
もう、じきに昼だろう。
先日、宮殿内でグラニスから話を聞かされた折の事を思い出して泣き始めた彼女をなだめ、もうそんな事は絶対しないと謝り続ける。
そんな流れだった筈だったのだが。
結局眠ったのは夜半もとうに過ぎており、いい加減に眠ろう、というどうしようもない会話が昨晩最後の全うな記憶だった。
そこから考えれば仕方がない事だが、俺は兎も角、彼女が朝食も食べずに眠っているのは何事かと思われるだろう。
幸せそうに眠る彼女の右手をそこから引き戻してしまわぬよう、ゆっくりと俺の肩の上から移動する。
起き上がるため薄い毛布をめくり上げる視界に、彼女の傷痕だらけの体が写り込んだ。
その傷痕も、全て守ってやりたい。
愛おしい傷痕を軽くなぞる指に、彼女の白い肌と塞がった傷痕の、歪なコントラストが伝わってくる。
少しくすぐったかったのか少し目尻を下げる彼女の声に我に返り、当初の予定通り毛布を彼女に掛けなおした俺は、
久々のベッドから起き上がった。
少し重く感じる体を引きずり、流石に落ち着かないのでズボンを履いた。
椅子に座った所でドアが遠慮がちにノックされ、再び気だるく立ち上がる。
直後にノブがひねられる事も無く、再び沈黙するドアに近づいた。
この時間に、しかも遠慮がちにノックするような人物は1人しかいないだろう。
「ルシアさん、すみませんもう少ししたら降ります。まだ寝ているんです」
俺の返答に若干の沈黙を挟んだ後、聞き慣れた声でもう昼だよ、という呆れた返事を残して足音が遠ざかっって行った。
再び椅子に戻り、眠る彼女を眺める。
改めて、俺の世界は変わった。
自分の命を安売りしないよう心掛けるのが、ある種の目標だった。
これからはそこに彼女が加わる事になる。
恐らく彼女は自分の危険より、俺の事を顧みようとするだろう。
それは逆の自分も変わらない。
しかしそういった感情に基づいた行動は、最良の決定を見誤らせる事がある。
それを解決する方法は、経験しかないだろう。
勿論、この場合の最良というのは仕事を完遂する事ではなく、双方が生き残る事だ。
出来る限りの訓練を行った上で、少しでも危険が少ないであろう依頼を受けながら慣れる。
自分の中で、簡単な方針を決めた。
いつも通り勝手に走り出してしまう前に彼女に相談しよう、などと柄でもない事を考え始めた頃。
ベッドの上のレイスがゆっくりと目を開けた。
まだ寝ぼけているのだろう。
ぼんやりとこちらを眺める視線を見詰め返す。
やがて意識が明瞭になったのであろう彼女は微笑みながら、ゆっくりと起き上がる。
「おはようございます。…もうお昼頃でしょうか?」
「さっきルシアさんが来たよ。もう昼だって言ってた」
苦笑いする俺に、少し戸惑う視線を返す彼女に補足する。
「ドアは開けてない。却って不審がられたかもしれないけどな」
暫く2人の照れるような苦笑いが流れるが、それを遮るように彼女が起き上がった。
「お昼を食べたら、どうしましょうか?」
少し恥ずかしそうに服を着ながら聞く彼女に返す。
「ギルドに行こうと思っていた。…でも別に今日である必要も無い。今日はゆっくりする、でいいか?」
声に出さず笑顔で答える彼女と、昼の対応で忙しくなる前の食堂に降りた。
訝しげな表情で、しかし改めて何も聞かないルシアに心の中で感謝しながら遅い朝食を終え、俺達はどことも無く散歩に出た。
かつて彼女の独白を聞き続けた橋を抜け、大通りを歩く。
中心部の広場で少し座り込み、彼女が砂糖まみれのドーナツを食べるのを眺めていた。
「毎日ずっとこんな風だったら楽しいですね」
「こういうのは、いつもじゃないから有難いんだって」
「そういう物なんでしょうか?」
「そういう物…だと思う」
立ち上がり、彼女がひらひらしたワンピースに落ちた砂糖を払う。
その彼女の向こうに、以前立ち寄った装飾品店が見える。
「あそこ、もう一回行くか」
いつかと同じように、視線の先を追ったレイスが2度、俺の視線を確認する。
「この間買って貰ったばかりじゃないですか…」
「あの時はなんていうか、色気がなさすぎたな、なんて」
それを聞いてレイスが吹き出す。
「色気なんてリューン様、そんな事言うんですね…」
憮然とした表情でそれに反論する。
「そりゃ少しは考えるって。あの時も、流石にこの言い方はどうかと思う、って自分でも思っていた」
それを聞きながら彼女はまだ笑っている。
「それなら、頑張るのでお金が溜まったら私にも何か贈り物をさせて下さい。
その時、また何か買って貰えたら私は嬉しいです」
目尻に少し涙が残っている。幾らなんでも笑いすぎだろう。
俺も溜息混じりに立ち上がり、また2人で歩き出した。
特に行く先もなくふらふらと、気の向いた方向に歩く。
明日からは仕事の事を考え始めないといけないだろう。
今日までは、このくらいでいいと思う。
世界がひどく鮮やかに見えた。
その後、彼女の服を少し見繕うが結局なにも買わず、多少の買い食いなどをしながら時間の無駄使いをした俺達は、夕食の時間には宿に戻った。
いつも通りそれを切り分け彼女の方に押しやり、自分の分の食事を待つ。
他愛の無い雑談をしながら食事を終えた俺達は再び部屋に戻った。
「明日はギルドに行って登録を済ます。ついでに今の依頼の傾向を見よう」
「はい」
「その後、養成所でグラニスさんに挨拶して、どこかで少し実戦の準備をしようか」
「…はい」
その内容に想像がつかないのだろう。少し首を傾げながら返事をする。
「わかりました。以前養成所でも少し習ったので、少し復習させてください。…あまりよく覚えてないです」
少し困ったような顔をする彼女の頭を軽く撫でた。
蝋燭を吹き消してまわり、少し狭いベッドに潜り込む。
数刻の後。
部屋には2人の寝息だけが朝まで流れていた。