リューンとレイス13
静寂が訪れた石畳の上。
振り返ると、座り込む彼女がこちらを見上げていた。
「レイス、仕官の話、駄目にしてしまった。すまない」
「…まだそんな事言うんですか?」
照れるように苦笑いする俺に、彼女は優しく微笑んでくれる。
その右手を引こうと振り返る俺の隣を、ミリアが通り過ぎる。
「レイス、大丈夫?」
レイスは、先程の窓から飛び降りた折に体のあちこちに傷が出来ていた。
窓を突き破っているのだ。この程度で済んで良かったくらいだろう。
「そんなに深い傷はないね。あぁ、でも残るんじゃないのこれ…」
「別にこれくらい増えても変わらないよ」
笑いながら言うレイスにミリアがそういう問題じゃない、と文句を言っている。
「宿に護衛の僧侶が戻っていれば癒しの祈りを頼もう。深い傷だけ止血を…」
鞄から包帯を取り出そうと振り向いた俺の背中を、ミリアが思い切り蹴飛ばす。
「先生さ、本当いい加減にしなよ、レイスがどんだけ…」
「…悪かった。毎度、お前には苦労を掛ける」
「は?私に謝ってどうするんだよ!」
「私は大丈夫だから…」
レイスに制止され、ミリアが顔に手をやり大きく溜息をつく。
「また私だけ悪役かよ」
すっかりふてくされた顔をするミリア。
スライが鞄から取り出した包帯を俺に放り、
受け取った俺はそれをレイスの右腕に巻きつける。
頭を守って飛び込んだのだろう。
数は多いが、ミリアの言ったとおりそこまで深くは無い。
組み合わせの硝子だったのが良かったのだろうか。
「リューン様、本当に大丈夫です、これくらい気にしないで下さい」
「俺が気にする」
「……。」
彼女の腕に止血程度の包帯を巻きつけ、余丁を切り取り、縛る。
少し離れたところで話し込むグラニスと先程の老人。
旧知の仲なのだろうか。
グラニスが、ひどくすまなそうな顔をする老人を宥めている。
暫くすると老人と青年は、この場から立ち去っていった。
青年には去り際に睨みつけられ、これ以上恨みを買うのも仕方がないので軽く頭を下げておいた。
別に彼は悪気はないのだろう。素質がある人間を用意して、家の為に血が繋がった子供を生ませる。
彼らにとってみれば、自分達以外の人間の価値などあのような物だ。
…それを許すつもりも無いが。
スライが俺のバッグを背負う。
「うお、重っ」
「…悪いな」
「本当に悪い。最悪だ。本当にお前、埋め合わせしろよ?」
「わかった。ありがとう。…本当に助かった」
「素直に返されると気持ち悪いんだよ…」
「……。」
「いや、なんか言えよ…」
好きに言われているが、今は言い返す気にはとてもなれない。
スライは、最初に俺が手を出したのを見て、すぐさまその場から居なくなった。
場を納められる人物を探しに行ったのだ。
先程グラニスを連れて来てくれていなければ、
俺達はあのまま、立ち塞がるものを皆殺しにしながら突き進んだだろう。
普通に礼を言うだけでは、とても足りない。
後日本当に、何かしらの埋め合わせをするべきだろう。
そのスライは荷物を背負い、先に宿に戻ってくれるようだ。
そうしてもらえると有難い。
このまま前振りなしに普通に戻ったらオルビアに何を言われるか分かった物ではない。
そういえばこのドレスはどうするのだろう。
レイスが身につけているものに関して言えば、最早修復は不可能だろう。
あちこちが破れており、縫い合わせた場合には恐らくサイズもおかしくなる。
その上、血があちこちに着いている。
貸衣装だといっていた。
…幾ら払わされるのだろうか。
借り物だという事を忘れていたらしく、ミリアがレイスの服を改めて見直して今更焦りだしている。
「とりあえず、着替えに行こうか」
引きつった笑顔でレイスを見るミリア。
レイスの手を引き立ち上がらせようとするが、膝が震えて立ち上がれない。
「ああ、すみません、ちょっと…」
苦笑いを見せる彼女を抱き上げた。
その体は以前より少し、重く感じた。
レイスはひどく近い顔と状況で、顔を真っ赤にして焦っている。
それを見るミリアが半ば呆れ顔で先導する。
先程の騒ぎだ。
時折すれ違う人の奇異の視線を感じるが、深く詮索する者は居ない。
視線を無視して歩き続け、宮殿内にある目的地に到着する。
店の前でこちらを見た店員の顔が青ざめていた。
「もう直せないだろう、いくらだ?」
疲れた表情で値段を聞くグラニスは、更に疲れた顔をして店から出てきた。
2人は店の中で着替えを行っている。
「グラニスさん、色々とすみませんでした。所で先程の方は知り合いですか?」
「あぁ、昔の弟子だ。昔からヴァンゼル家に居る者でな。
家長とも親しい。お前が手を出した事を詫びたら、逆に非礼を詫びられた」
「そうですか。申し訳ありません。…我慢できませんでした」
「仕方ないだろう。スライから大体の話は聞いた。
あれもそれなりに手を焼いているらしい。いい薬になると言っていた」
「そういって貰えると助かります…」
「そんな事よりも、お前がここに残った事のほうが私にとってはありがたい。
なんというか、辛い思いをさせてしまったな」
「いや、恥ずかしい限りです。1人で勝手に飛び回っていただけでした」
「まぁ仕方ないだろう、思いがあるからこその事だ」
「…はい」
グラニスは後処理があるとかで再び俺達と別れ、3人で宿に戻る。
…ドレスの金額を聞くべきだろう。払えるかは兎も角として。
前を歩くミリアの背中を眺めていた。
隣にはしっかりした生地のワンピースを着たレイスが歩いている。
その右手は、先程から俺の左の肘のあたりを掴んでいる。
恥ずかしいので、それを握り返したりはせず、無言で人並みの中をただ歩く。
やはりその手を握り返すべきだろう、などと考えた頃、俺達は宿に到着した。
「ああ、随分久しぶりだなぁおい」
しらけた顔のオルビアが迎えてくれた。
大きなテーブルの真ん中で陣取り、肘を突いたままこちらを見上げている。
そのはす向かいにスライが座っている。
どの程度まで話したのか。
「あのな、色々すまなかった」
オルビアが確保していたテーブルで、オルビアの正面に座る。
言い訳も必要だろう。
周りはそれなりに混雑している。
オルビアとスライが2人でこの席を確保していたのだろうか。
店員が面倒くさそうな目でこちらを眺めていた。
話を聞いていた護衛の僧侶が、レイスの傷を癒す。
先程できた新しい傷は、うっすらとした痕を残し消え失せた。
じきに分からなくなるだろう。
「まぁいいさ、さんざ借りだけ溜め込んで逃げようとするような奴、
今後の扱いは考慮するだけだ」
それを聞きながらスライが大きく頷く。
「さっきそれはいいって…」
「はぁ?何がいいって?」
「いや、何でもない…。」
うな垂れる俺の隣で、レイスが笑っている。
オルビアの隣に座ったミリアが、やはり白けた目でこちらを見下している。
「ほんとさ、先生を先生って呼ぶ事に、私は疑問を覚えるよ」
「あぁ、わかったって。本当すまない」
更に前のめりになる。
その俺を見たスライが、席を立ちオルビアの隣に移動した。
責める側の席に移動したかったんだろう。
「そうだ、お前は本当に
「話は大体聞いた。レイスも一緒に帰るんだろ?」
ええっ?というような顔で、話を遮るオルビアを見るスライ。
「はい、このまま帰る事になるでしょう。詳しい事は聞いていませんが…そのつもりです」
「私もそうするよ。レイスも帰っちゃうならここに居てもつまらないしなぁ」
ミリアはその程度に考えていたらしい。
「そんな事よりも先生さぁ…
その後数刻、俺を罵倒する話が続く。
うな垂れて情けない言い訳を続ける俺を見ながら、レイスが微笑んでいる。
スライは残念ながら、一度も最後まで文句を言い終える事はなかった。
酒がまわりオルビアの言動が怪しくなってきた頃それは終了となり、部屋に戻る事となった。
水の飲みすぎで少し気分の悪い腹を押さえながら、ベッドに横になる。
「…俺は、存在意義を見失いかけている」
よく分からない事を口走るスライを無視し、ベッドに横になった。
さっき…ひどく前のことのように感じるが、隣のベッドの上に並べたレイスの荷物を眺め、本当に仕様の無い事を考えていたと思い返し、再び情けない気持ちになる。
しかし、昨日までの変に張り詰めた感覚とはまるで違う安心感に、
ベッドの上の体はあっさりと意識を失った。
眠りに落ちる直前。
パドルアの宿の床の感触を思い出し、早く戻りたい、などと考えていた。
翌日、昼過ぎにようやく開放されたグラニスと合流し、俺達は帰途に付く。
宿代も掛かる上、町から出てもまずは町外れの野営地で1泊する。
時間の調整としては良好だろう。
流石に疲れた顔のグラニスは最初から荷馬車の上だ。
買い込んでしまった携帯食が荷馬車の一角に載せられている。
それを邪魔そうに眺めるオルビアに謝りながら、俺達は歩き出した。
先頭を歩き、続く護衛たちが馬車の周りを囲む。
背中に感じる視線は、先日こちらに来た時とは違う。
時折振り返る視線の先に彼女がいる。
どうしようもない話だが。
俺は多分…幸せだと思う。