リューンとレイス11
宮殿の中。
広間に並べられたテーブルに豪勢な食事が並び、その床も、その壁も、天井も。
レイスにとっては、全てが生まれて初めて見る物だった。
ミリアはそれなりに経験もあるらしく、これはどんな料理でどのような…、などとレイスに教えている。
衝撃的だった。
この中の、どれをどれだけ食べても構わないのだという。
「リューン様にも少し持って帰って…」
そこまで口に出し、そこで彼女の口は止まった。
先程の闘技場。
自分はその姿をみただけで、その焦りを一瞬で収められた。
しかしその人物は、この数日明らかに様子がおかしい。
概ねの原因は、分かっていた。
旅の前のちょっとした口論。
旅の途中の出来事。
しかし彼女はそれ以外の何かを感じていた。
すれ違いや、怒りや、そんな物ではないもっと大きな何か。
本当はそれが何かを直接聞きたかったが、昨日もリューンは宿から出掛けてしまい、
その後は一度の会話さえも、挨拶でさえも、かわせていない。
床の豪勢な絨毯に視線を落とすレイスにミリアが声をかける。
「あの爺さん忘れて寝てるんじゃないのか?」
それを聞き、レイスは微笑んでみせる
「この話をリューン様に説明してからこちらに来るって言っていたから…」
「あぁもしかしたら先生が、そんなのは駄目だ、なんて言ってるのかね?」
ミリアが笑ってみせるが、名前が出た事でやはり視線を落とすレイスを見て、彼女の右手を掴む。
「大丈夫だって。機嫌が悪いだけだろ。私も一緒に…あまり力にはならないかもしれないけど話をしに行こう?」
「うん…ありがとう」
力なく微笑むレイスとその手を引くミリア。
広い会場の端で椅子に座り込み手を握り合う2人。
その2人が昼間の歓声の中心だとしても、声を掛ける者など居なかった。
「レイス、ミリア、すまない遅くなった」
憔悴した顔でグラニスが現れた。
「グラニスさん遅いよ、さっさとご挨拶を済ませて食べよう。レイスと待っていたんだ」
ミリアが立ち上がりながら悪態をつき、その左手がレイスの右手を引いて立ち上がらせる。
しかしグラニスの顔は曇ったままだ。
「なんだよ一体どうしたのさ?」
不機嫌そうに言うミリアに、グラニスは意を決して話し始める。
「レイスよ。リューンが、ここを発つそうだ。…お前に、今までありがとう、と伝えてくれと言っていた」
「ちょ、グラニスさん、それで先生置いてきたの?何してるんだよ!」
ミリアの声がうわずっている。
「今ここで止められる者はいない、そう言っていた。
すまない。私がもし彼よりも優れた剣士であれば止められたかもしれないが…」
思い出したように焦った顔で振り向くミリアの先のレイスは、
大きく目を見開き、しかし、崩れ落ちるような事は無かった。
「レイス、大丈夫か?くそ、今から捜しに行こう!」
レイスは、右手を掴むミリアの手を強く握り返した。
「いいよ、大丈夫」
「ちょ、なんだよそれ、駄目だあいつ…
「本当に、大丈夫だから…」
力なく、感情のこもらない声。
ミリアがその両手をレイスの肩に置く。
「大丈夫じゃないだろ?こんなのって、ないだろう!?」
「リューン様が、そうしろっていうんだから、それでいい。もう、大丈夫だから…」
レイスの右手が、両手に置かれたミリアを振り払う。
「グラニスさん、ありがとうございます。大丈夫ですから…。ただ、少しだけ休ませて下さい…」
再びグラニスと別れ、2人で端の方に置いてある椅子に座り込む。
レイスは、この所のリューンの様子の答えが分かり、変に納得していた。
こちら側には来させないと言っていた。
戦いたいなどと言ってしまったのがいけなかったのだろうか。
仕官への道が開けた。
これで戦いなどとは縁がなくなった。
そこで、自分の役目は終わりだと、そう考えたのだろうか。
納得して、涙など出ないはずだった。
私が彼を養うという冗談半分の約束は、どうなったのだろう。
自分に対して何かしらの答えを出してくれると言っていたのは、どうなったのだろう。
自分は、その約束を反故にされる程度の間柄だったのだろうか。
自分の思いはどうなるのだろうか。
彼は、何を考えていたのだろうか。
納得などできる筈もなかった。
しかし、それを問う相手は、もう見付からないだろう。
突然、涙が溢れ出す。
ぼやける視界の先で高価そうな絨毯に染みが出来るのが見えた。
それを見たミリアがレイスの肩を抱く。
高価な貸衣装のドレスに、レイスの涙が染みを作っていった。
片腕の少女が泣き崩れ、端正な顔の少女がそれを抱いている。
広間の端で展開されている一種異様な光景に、この場にいる誰もが気付いている。
しかしそれをちらちらと見るだけで何かする者など居なかった。
その視線を感じる度、ミリアはその顔を歪ませて睨み返す。
不快な事この上ない視線に晒され、ミリアは怒りに震えていた。
その怒りはその視線にだけ向けられたものではなかったが。
ようやっとレイスは泣き止み、ミリアのドレスには大きな染みが出来てしまっていた。
謝るレイスに、ミリアは笑ってみせる。
「ごめんね、でもこれからご挨拶をしないといけないんだよね?」
力なく微笑むレイスに、ミリアが驚く。
「本気かよ?もうやめて帰ろうぜ?こんなのさ…」
「ドレス、ごめんね。すぐ乾かないかな…」
「いやぁどうだろうな…」
その時だった。
獣の剥き出しの怒りのような。
強烈な悲しみのような。
長い叫びが響く。
会場の殆どの者がなんだこれはと苦笑いし、あたりを見渡す。
それは、確かに聞き覚えのある声だった。
聞き間違える事などある訳が無い。
理由は分からないが、理由などは今は意味を成さなかった。
…レイスは、立ち上がった。
その目に力が戻る。
「ちょっと、どうした?」
ミリアが掴もうとする手を振り払い、レイスは走り出す。
今のは声と言っていい物なのだろうか。
しかし、それは間違いなくリューンの物だった。
レイスには、確信があった。
理由など分からないが、そうである、と感じた。
どこだ。
近くにある多色の硝子を組み合わせた豪華な窓を覗き込む。
色が付いていないその隙間から覗く先に見えるのは
誰も居ない石畳だけだった。
振り向いて走り続けるレイスをミリアが追う。
その先で、窓の近くに人だかりが出来ている。
「どいて下さいっ!」
いつもでは有り得ない大きさの声を張り上げ、
レイスがその中へ飛び込んで行き、ガラスに顔を押し付ける。
その先に見えた物。
それは彼女を、全てを差し置いてそこに向かわせるに十分な光景だった。
人だかりの中で振り向き、窓ガラスから離れ助走の距離を作る。
その行為と迫力に、人だかりが開いた。
「おいっレイス、無理だって、危ないぞ!」
叫ぶミリアの声は耳に入らなかった。
そこから全力で助走したレイスの体が硝子を突き破った。
窓の外を見るミリアの目に映ったのは、落下しながら石畳の上の1点を見詰めるレイスの姿だった。




