リューンとレイス08
溢れるような人の群れを眺めながら、グラニスたちを待つ。
人の波が途切れる事がない。
通り過ぎた人が、まさか俺の見えない所で引き返してきているという事もないだろう。
これだけの人間の中で、彼女は一際の実力を見せる事が出来るだろうか。
多分。きっと。出来るだろう。
…そうでなければ、おかしい。
彼女はどれだけ失ったのだ。
それを取り返して余りある成功。豊かな生活。
それでいい筈だ。
軽く息を吐き出す背中に、何かがそっと触れた。
振り向く俺の目の前で、レイスがこちらを見上げていた。
「リューン様、明日は頑張ります。ちゃんと見ていて下さいね。…本当に頑張ります」
「ああ。お前程の使い手を俺は見た事が無い。大丈夫だ」
「…はい。大丈夫、です」
微笑みかけられ、ぎこちなく笑って返す。
…かつての日常のようなやり取りに、体がひどく重くなるような感覚を覚え、視線を背けた。
「よし、戻るぞ。とりあえず明日の予定なんぞを聞こうか」
オルビアの声に救われた。彼女の声で、皆の足が動き出す。
視界の端で、レイスとミリアが仲が良さそうに話している。
…ミリアとも知り合えて良かった。
きっと、以降もレイスの助けになってくれる筈だ。
グラニスはそれなりの立場の人間だとは知っていたが、俺が思っていた以上だったらしい。
一緒に宿泊するという訳にいかなくなったらしく、この場には戻らなかった。
オルビアがそれを聞いて部屋を変更すると言い出したが、流石にもうこの時間に空き部屋は残っていなかった。
宿に戻り、グラニスと同行した者は荷物を片付けに、一度部屋に戻る。
部屋は2部屋だ。
2部屋と行ってもベッドが3つ並んでおり、各部屋はそれなりに大きい。
オルビア、ミリア、レイスが同室。
俺はスライと同室となる。
…2階に上がったスライを追いかける。
「おい、スライ」
荷物を片付けている金髪がこちらを振り返り、一体なんだという顔をする。
「飲みに行くから付き合え」
はぁ?という顔をするスライに続ける。
「多少飲んでも大丈夫だろ?」
「俺もそれなりに結果出したいんだよ」
「早く剣士に鞍替えしろよ」
「…ちょっと待ってろ。とりあえずお前を殴る硬い物探すから」
その後大した時間も掛からず、俺達は部屋を出た。
階段を降り切ったところで広いテーブルに1人で堂々と座り込むオルビアと目が合う。
「お前どこ行くんだよ…」
「弱くて話しにならないと言われるので鍛えてくる」
それを聞き軽く目を細めるオルビア。
「あぁそうか。分かった。じゃあこっちは適当にやってる」
宿の入り口に差し掛かり、一度振り向く。
オルビアが相変わらず目を細めてこちらを見ていた。
…視線の端に、階段を下りてくるレイスの足が見え、慌てて宿から出た。
「珍しいな。でもお前は幾ら飲んでも強くなるようには思えないな」
「そんな事は無い。これでも昔よりは幾らかマシだ」
「グラス一杯で吐いてた奴が多少マシでも変わらないだろ…」
「まぁ見てろって」
スライを先頭に、適当な酒場に入った。
カウンターに座り込み、スライが適当な酒を頼むのを見ながら、とりあえず水を頼む。
隣でスライが右の拳を繰り出そうとしているのを手で制し、別に酒を注文した。
「さて、まずは明日の事を話しておこうか」
切り出すスライ。
「午前中は剣術、午後は魔術だ。
剣士は1対1で戦って勝った方が進む。単純なルールだな。
ただ剣士は人数が多い。結構雑な仕切りでやるらしいが、お前の弟子のあの子大丈夫か?」
「あいつは意外とやる。余程のやり手とでも当たらなければ怪我はしないだろ」
「あの子、最初武器使わないって言い出して受付の人間困らせてたぞ」
カウンターに、注文していた飲み物が並ぶ。
俺はまず…水が入ったグラスを手に取り、スライの飴色の液体が入ったグラスと軽くぶつける。
「先にそっち飲むのかよ」
「まだちゃんと聞く所だからな」
「…説明終わった後も俺の話をちゃんと聞けよ」
グラスを傾けるスライが呆れた表情でこちらを見る。
「ミリアはそんな事言ってたのか。相手も素手じゃなきゃ不利なだけだって言ってるんだがな」
「お前のやり方見てるから真似たいんだろ?お前こそいつも最初は武器使わねぇだろうが」
「使ってるだろ。あの鉄の塊で殴られてんだ、痛いと思うぞ?」
「痛いで済むかよ。前にも聞いたな、相手によって変えてるんだろ?」
「そうだな。必ず有利な武器なんてない。…たまに弓の練習をしておけば良かったと思う事もある」
「お前、弓とか似合わないよな」
「お前こそ、今が似合ってないだろ。早く剣士の養成所通えよ」
「俺の情熱は魔術に向かってるんだよ」
先日も魔術師の象徴であるスタッフで、相手を殴り倒していたような気がするが。
「まぁいい。それで午後から魔術だ。俺の活躍を見てろよ」
「お前は、午前中だろ?」
「しつこいな…」
「…悪かった」
「あの子は後半らしい。グラニスさんのお墨付きだからな。やり手は後の方に回るってのがお約束だ」
「……。」
「俺は前半だ。いいんだよ。実戦派だからな」
「なんだか、ごめんな」
「お前さぁ…」
大体は分かった。後は…どうでもいい話だろう。
少し寂しい気もするが、あまり楽しいと思ってしまっても苦しいだけだ。
スライが4杯目のグラスを交換しているのを見ながら、俺は手を頭にやっていた。
何が楽しい、だ。オルビアの奴め。
先程からひたすら頭が痛いばかりで思考が薄れる事もなく、聞いていた酒の効用は人を選ぶという事を再認識した。
先程交換した2杯目のグラスは、幾らもその中身を減らしていない。
スライが先程から訳のわからない事を熱をこめて口走っている。
そういえばこいつも弱いんだった。
頭が痛い上に、思考も鈍っていない。
お陰で、今考えたくないような事ばかりを考えてしまう。
「くそ」
ぼやきながら、水のグラスを手に取り一気に飲み干した。
「おい、スライ、帰るぞ」
「ああ?俺はどこに帰れってんだ」
…駄目だ。
店員に軽く手を上げ、2人分の金を払った。
仕方なくスライの肩口を掴み、店の外に引きずっていく。
流石に、放っておくのは気が引ける。
相変わらずよくわからない事を言い続けながら、それでも後ろをついてくるスライを連れ、宿に戻った。
頭を抱え死体のような顔をした俺と、訳のわからない事を宙に向かってゆっくりと喋るスライ。
集まる店内の視線を無視し、階段を登る。
利用してしまった事を詫びつつ、相変わらずうるさいスライをベッドに突き飛ばす。
「うっせぇな。謝って済む問題じゃねぇ…」
的を射た回答に苦笑いしながら自分の分のベッドに横になる。
幾許かの時間も掛からず、一つ開けた先のベッドは静かになり、部屋には表の喧騒だけが響く。
明日も忙しいだろう。
いや、明日が忙しいというべきか。
目を閉じ疲れに身を任せる。
ひどい頭痛が疲れに抗い、目が冴えてしまう。
慣れた床と違う、久々のベッドに沈み込む体を感じながら、天井を眺めていた。
ひどく胸の奥が締め付けられるような思いと、少し寒いような感覚。
「もう少しの辛抱だ」
自分に言い聞かせ、目を閉じた。
じきに頭痛はなりを潜め、疲れが俺を眠りに引きずり込んだ。
目覚めると部屋には誰も居なかった。
もう朝というには苦しい時間だ。
スライは、時間通りに出掛けられたのだろうか。
癖になりそうなベッドから降り、夜に備えて部屋の荷物を少し片付ける。
バックパックからいつも腰に収まっている中型剣を取り外した。
刀身に刻まれた文字を思い出し、やはり苦笑してしまう。
"帰還”の願いがこめられたその剣には、もう用はないだろう。
オルビアは、これを返却してくれるだろうか。
金に変える事も考えたが、流石にそれは違う気がする。
しかし、このまま持ち歩くのは、もっと違うだろう。
壁の目立つ所に剣を立てかける。
流石にここにおいておけば、誰も気付かずここ置いていかれる事はないだろう。
用意する程でも無い事に、手をつけてから気付いた俺は
今頃ミリアが必死にその成果を試しているであろう闘技場に向かう事にした。
階段をおりた所で、不愉快そうな顔でテーブルに肘をつくオルビアと目が合う。
明らかに不機嫌な表情で立ち上がり、店の外を顎でさすオルビアと外に出た。
「いつまで寝ている。もうミリアの出番は終わっているかも知れんぞ?」
「あぁ悪かった。悪いな、待っていてくれたのか?」
「待つしかないだろう。私一人でふらふらと見に行けって言うのか?」
確かにオルビア以外は皆、参加者だ。
ひとしきり謝り、闘技場への道を急ぐ。
闘技場は概観から想像できる通りの形状だった。
入ってみてそれを確認する。
半円のすり鉢様に客席が配置され、その正面に広いスペースが配置されている。
客席の最前列あたりは貴族や騎士であろうきらびやかな服を見につけた者達が並ぶ。
次に招待券を持つ者、その後ろに恐らくそれ以外、といった所だろう。
恐らくというのは、俺達はグラニスからその招待券を貰っていた為、
すんなりと座る事まででき、その後振り向く事がなかったからだ。
オルビアと並んで座り、正面の広いスペースで10組以上が同時に戦う様を、遠い景色のように眺めていた。
「おい、あれミリアじゃないか?」
オルビアが差す方を見ると、金髪の少女が中型の剣を手に、長剣使いに苦戦していた。
ミリアが打ち込む中型剣…の鈍らは、長剣使いにあっさりと受け流されている。
その余裕で遊ぶような姿に、若干の怒りを覚えていた俺の視線の先。
幾度目かの打ち込みを流されたミリアが、その姿勢から振り上げた右足で長剣使いの顔を蹴り倒した。
勝利の右手を突き上げるミリアに観客席が沸く。
ミリアは、とりあえず黙っていれば普通の美人だ。その佇まいには気品さえ漂う。
それが逞しい男を蹴り倒しているのだ。痛快なのだろう。
沸く観客に上品に手を振りながら退場していくミリア。
結局彼女は、その後2人を蹴り倒し、殴り倒し、3人目との対戦で敗れた。相手は明らかに格上で、
ただひたすら打ち込まれる剣を、必死に受け流していた彼女の剣が跳ね飛ばされたところで、試合が止められた。
ミリアが敗退したその後の試合には如何程の興味もなく、遠い景色の中で戦いが繰り広げられるのをぼんやりと眺める。
隣のオルビアはいつの間にか眠っていた。
俺も欠伸を始める頃、やっと午前中の予定は終了となった。
何の意味があるのか分からない儀礼的な何かが始まり、
その間に、眠っているオルビアを放置して、肉を挟んだパンを買ってくる。
席に戻った俺に向かって無言で手を差し出すオルビアに、それを半分ちぎって渡した。
買いに行っている間に、的となる木の板が何枚も立てられている。
聞いていた通りだ。これを制限時間内にどれだけ壊すか、という事らしい。
一番前に陣取る貴族共の前にその板を並べてやれ、などと思っているうちに、競技は始まった。
俺が用があるのは、この先だ。
見慣れた火球や氷の矢、始めて見る水の球を叩きつける魔術などが繰り返し木の板を叩き壊す様を眺める。
暫くすると、見慣れた金髪の魔術師が登場した。
長めの詠唱を経て放たれた火球は、その爆発力で纏めて数枚の木板を吹き飛ばす。
かなり離れたこの席でもその熱気を薄く感じた。
しかし2度目の爆発で、時間前にも関わらず詠唱を止められ抗議している。
どうやら危険だと判断されたらしい。
「そりゃそうだ」
隣でオルビアが呟いている。…残念ながら同意だ。
しかし場内の歓声は気を晴らすのに十分な量だったらしい。
不満そうではあるものの、スライは手を上げて退場していく。
そのスライを眺めたまま、オルビアが話しかける。
「レイスは、後半だと言っていたな。リューン、少し聞きたい事があるんだが」
「なんだ。次はお前が買いに行けよ」
「違うな。そんな事じゃない」
オルビアは、正面に視線をやったままだ。
「私は、お前が決めたのならば、何であれそれを否定しようとは思わない。好きにすればいい。
だが本当にお前はそれでいいのか?」
「オルビア。あの時、最初に言った。彼女が1人で生きていけるようにしてやりたい。
元からそういう話だった。それだけだ」
「もういい、黙れ」
「…ああ」
目の前で今も続けられる光景は、ひたすら破壊だけを繰り返している。
これで俺たちの世界とは別なんていうのは、なんというか滑稽な話だ。
ただの背景のように繰り返されるそれに、くだらない事を考えていた。
会場の端の方に、グラニスに付き添われたレイスが立っているのが見えた。
明らかに緊張しているのが見て取れる。
前の競技者が終了し、グラニスに見送られるレイスの顔色が悪い。
彼女の容姿からだろう。
会場内に軽いざわめきが起こっている。
…思わず、手を握り締めていた。
それを無視するように時間は進む。
開始の数秒前。
レイスがひどく焦った顔で振り返り、客席を大きく見渡す。
今すぐにでも立ち上がってここにいると。
大丈夫だと。
叫んでやりたい気持ちだった。
必死に視線を動かす彼女の顔は、益々強張っている。
開始の鐘が鳴り響く、その時だった。
…俺は立ち上がっていた。
彼女がこちらを見付け、目が合う。
それは一瞬だった。
その顔から焦りが消える。
開始の合図が鳴ったにもかかわらず後ろを振り向いていた彼女に、
会場のざわめきは大きくなるばかりだ。
しかしそれを意にも介さず、ゆっくりと振り返る彼女が手を伸ばす。
小さく動く口元。
その腕の周りの空気が歪み、丁度彼女の腕ほどの長さの氷の矢がばらばらと浮かぶ。
口元はそのまま小さく動き続け、薙ぎ払うようにかざされる彼女の手の先に、
冗談のような破壊がばら撒かれた。
解き放たれたそれがあった所に補充されるように新しい矢が浮かび、
それがまた再び解き放たれ、並ぶ木板の全てに数本の氷の矢が突き刺さり、打ち倒した。
最後の1枚には先程の数本分の大きさの、
もはや槍ともいえる大きさの氷が2本突き刺さり、板は真ん中で裂けて倒れた。
そこで時間が終了となった。
彼女の光は、くだらないざわめきを沈黙へと変えた。
静まり返る客席は、一瞬の間を置き、今までで最高の歓声を上げる。
割れるような歓声に耳が痛む。
前列の貴族共が彼女を指差し、しきりに何か話している。
歓声に驚いているレイスにグラニスが小走りに駆け寄り、共に客席に頭を下げていた。
俺の予想は、今確信となった。
心の中が少し暖かくなるような気持ちと、
認めたくはないが、少し失敗を願っていた部分がある事に今更になって気付く。
もう、十分だ。
俺は振り返り、出口を目指した。
もう心配する事もないだろう。
出口で一度振り返ると、殊更に遠く見える視線の先に彼女は更に小さく見える。
…それは遥か昔に見た演劇のような風景で、別の世界の事のように思えた。




