リューンとレイス07
レイスが馬車に戻った。
その表情を見てミリアが馬車から飛び降りようとするのを、彼女の右手が引き止める。
振り向くミリアにただ首を振って見せ、レイスはそのまま横になった。
溜息をつくミリアがその隣で横になる。
その場には交代で見張りを行う護衛たちの立てる小さな音だけが、朝まで響いた。
恐れていた再度の襲撃を受ける事もなく、荷馬車は順調に進む。
夜には王都周辺の野営者が集中する地点にまで到着し、襲撃を受ける心配も皆無となった。
「明日町に入りその足で、出場する皆で手続きに向かう。その間に宿の手配を頼めるか?」
食事を取る俺に、グラニスが聞く。
…正直、これは当てにされても困りオルビアの方を見ると、
話を聞いていたらしく、任せろ、と小さく答えた。
「場所の繋ぎはどうしますか?」
「競技会は王都中心の大宮殿で行われる。その正門で落ち合おう。人は多いだろうが、そこが一番分かりやすい」
正直、あまり王都の地理には明るくないので、そういった分かりやすい目印は助かる。
オルビアは話を普通に聞き流していた。恐らくわかっているのだろう。
こちらは護衛の人間を含めると7人だ。最悪全員で探せば何とかなる。
翌日の行動方針も決まり、一応の見張りも1人で十分だった。
自分に割り当てられた順番は早朝の為、さっさと横になる。
こちらをじっと見ているミリアが視界の端に見えた。
まぁいい。
俺はそのまま交代で早朝に起こされるまで眠った。
…レイスの夢を見ていた。
ひどく悲壮感の漂う顔をしていたらしい。
起こしたノイスに謝られ、変な物を見せたと逆に謝り、
不要だと理解しつつも自分の仕事をこなす。
今は呆けたようにここに座り続けることがその仕事だ。
空の端が赤く染まり始める。
今日から数日は忙しくなるだろう。
悲壮感というのはあながち間違いではないが、
もう、決めた事だ。
以前、他人の悲壮感に文句をつけた事を思い出す。
遥か彼方の地にいる少年兵はいつか夢を叶えるのだろうか。
手紙は、返せそうにない。
暫くすると皆が起き始めた。
時間にあまり余裕は無い。
場を煽るように自分の準備を始め、
俺達は見える範囲の野営者達の中では一番に移動を始めた。
王都外周の市街地を歩く。
まるで気にもしていなかったが、競技会、というのはそれなりの知名度があるようだ。
過去数度来たことはあるが、今までで一番、人の流れが激しい。
…宿など用意できるのだろうか。
市街地を抜け、王都の中心地に入る付近で立ち止まった。
この辺りで別れるべきだろう。
「それでは、頼むぞ」
グラニスが競技会に出場する皆を連れて歩き始めた。
すれ違い様、レイスと目が合う。
それに微笑んで見せた。
彼女の顔が驚き、そして微笑み返し、視界の端に消えた。
最後尾を行くスライが俺の顔をまじまじと見詰めている。
「…なんだよ?」
返事は無かった。
皆の後ろ姿を見送り、自分の仕事に取り掛かる。
オルビアは慣れた様子で大通りから脇道に入り、更にその脇道に入る。
その先にある何とも特徴の無い宿にオルビアは入っていき、すんなりと宿を押さえた。
どこかの宿と同じで1階が食堂、2階が宿になっており、何をするにもまぁ困らないだろう。
任せろ、とふんぞり返ってみせるオルビアに苦笑する。
護衛たちはそこで一度解散となった。
集合地点は先程の通りの先のようだ。迎えに行くのは俺とオルビアだけで十分だろう。
彼らは帰りの日まで、この宿を拠点に自由に過ごしていい事になっている。
「さてリューンよ、まだ迎えに行くには早い。少し付き合え」
早速食堂で酒を注文し始めるオルビア。
仕方なく、並ぶグラスにボトルを傾け、オルビアの前に差し出した。
水を頼もうとするのを止められ、その片割れのグラスを握らされる。
オルビアは一気にグラスの中身を飲み干した。
それを眺めながらグラスに軽く口を付ける。
「まずお前、いい加減にしろよ。何をぐたぐた言っている。何がこっち側だ」
「…聞いていたのかよ。悪趣味だろ」
「私の趣味なんてどうでもいいんだよ。お前は何がしたいんだよ」
「もういいだろ…」
誤魔化すように笑って見せ、オルビアのグラスにボトルを傾ける。
「俺達は、どうしても周りに同じような立場の連中が集まる。
どうも世の中の普通っていうものから外れていくな」
「どうした、珍しく自分の将来でも考えているのか?」
「そのあたりがこっち側、って話しだ」
椅子に寄りかかり、天井を見上げた。
「私はあっち側だな」
にやりと笑う彼女の両足がある所は、精々俺の一歩手前がいい所だろう。
「お前は十分に染まってるだろ…」
「違うな、そういう話じゃない。あっちもこっちも無いんだよ。馬鹿かお前は」
天井を眺める俺の視線は、目の前のオルビアを映す事無く、グラスに戻る。
彼女の真似をして、思い切りグラスを傾けた。
熱い物が喉を下り、腹の中が燃えるような感触を感じながら、目の前にグラスを置いた。
…グラスの中身は、8割方残っている。
「やっぱりお前は飲ませても面白くないな…」
目の前で再びグラスを開けたオルビアが、俺のグラスを取り上げて残りを片付けた。
「行くぞ。こうしているよりは、突っ立って待つ方がまだマシだ」
それを見て苦笑する俺の前で立ち上がる。
「だから飲めないって言ってるだろ…」
「少しは努力しろよお前は。牛乳でも頼んでやればよかったな」
「水を頼もうとしてただろうが。お前が止めたんだろ?」
「私が酒飲んでてお前は水なんて有り得ないだろ?」
前を歩くオルビアがこちらを振り返り、笑っている。
稀に彼女に付き合って飲みに行く事があった。
俺はいつもひたすら水を飲みながら一方的に文句を言われ、
適当に答えながら彼女が満足するのを待った。
…大概は背負って帰る羽目になっていたような気がする。
「久しぶりだな。なおさら水飲ませてくれよ」
「…またその内に誘ってやる」
有難くない、と返す言葉も聞かず再び振り返ったオルビアは、
俺を置き去りにするような早さで歩いていく。
なんとか追いすがり、目的地に到着した。
…これは間違えようが無い。
大宮殿。
具体性のない名前にどれ程のものかと思っていたが、大したものだった。
巨大な正門から左右に伸びる塀。登れる高さではない。
その正門だけで、俺が何年掛かっても稼げないような金額なのが分かる。
地図を眺める。
正面にある闘技場。
正門は小さく描かれ、正面に見上げる建物は、その数倍の大きさだ。
名前からして、明日から行われる競技会というのは、ここで行われるのだろう。
更にこの先に宮殿とやらがあるらしい。
これらを総括して大宮殿というらしい。
全く無縁の世界に、つい苦笑いしてしまった。
「なんだお前、あれで酔っ払ったのか?」
振り返って俺を見たオルビアは呆れ顔をしている。
「流石に大丈夫だ。…大丈夫でもないか」
情けないが、少し顔が熱い。
「お前、本当に弱いな。少しは強くなると思ったんだが」
「勘弁しろよ。それにお前、別に強くていい事なんてないだろう?」
「ある。私は飲んでいるというだけでも、割と楽しいぞ?」
…つい先日の、吐き出す瞬間の顔を思い出し、その吐いた物を見るような目で彼女を見詰めた。
「まあ、いつもって訳じゃないがね」
オルビアは涼しい顔で俺の視線をかわし、人の波に目をやる。
「なぁリューンよ、本当にうちに来る気はないか?」
「ないな。長期間の仕事は…
唐突な質問に、ついこの所の生活の基本方針が出て口篭ってしまった。
…何かを吐き出したくなる。
不自然な沈黙に、見透かされているような感覚を覚え横を見た。
オルビアは相変わらず人の波を見詰めている。
「まぁ気が向いたら言えよ。自分で身も守れて大口の客にも顔が通っている。重宝されるぞ」
「…あぁ。わかった」
目の前をひたすら飽きもせずに人の波が続く。
お互いに、そのまま口を利くことは無かった。




