遠い空05
窓から差し込む光で目が覚めた。
転がった位置が悪かったらしく、朝日が丁度顔に当たり、ひどく目が覚めてしまった。
いつもと同じように目の前に広がる床に、今自分がいる場所がどこかを忘れてしまう。
…いや、目の前が床なのは、普通な事じゃないだろう。
呑気な事を考えながら体を起こした。
レイスは、まだ何も知らずに眠っている筈だ。
目覚め、養成所で一日を過ごし、ルシアが運んでくる料理を食べて眠るのだろう。
そういえば、空を飛ぶ、と言っていたのはどうなったんだろうか。
結局、その後の詳しい話も聞けていない。
今回生きているのは奇跡に近い事だと思う。
…何があっても一人でも逃げろ、と言われていた筈だ。
自ら死地に飛び込み、結果、護衛という目的は果たせた。
しかしそれで自分が死んでは意味がないだろう。
つい自分を軽んじてしまう。
別にいつ消えて無くなっても構わないと考えていた以前とは、状況が違うのだ。
「このままじゃあ、まずいんだろうな…」
物音一つしない空間に、独り言が響く。
だが、自分が行動を起こさなければ、あの男はあのまま正規兵を切り刻みながら歩みを進め、
もっと早く町全体を確保していた筈だ。
自分がした事に、意味はあったと信じたい。
仮に。
あの時、依頼者であるオルビア、若しくは、あの場にいた全員。
それらを見捨てて逃げたとしたらこの状況は無かっただろう。
だがそれで自分は納得するのだろうか。
パドルアに戻り、レイスにこう言うのだろうか。
「皆、見捨てて逃げてきた。皆、死んだ。だから俺は生きている」
想像するだけで吐きそうだ。
…それでも彼女は。
それでも構わない、と言ってくれるだろうか。
多分。困った顔をするだろう。
しかしその後。それでもいい、と、言うのだろう。
彼女の困ったような微笑みが浮かぶ。
軽くため息をつき、頭に手を持って行こうとして、縛られていた事を再度思い出した。
それにしても。
今まで、さんざ色んな人間と戦った。
しかし、あそこまで緊張して戦った事は、記憶の限り、無かったと思う。
その上、負けている。
確かに今までも緊張する事はあったし、危ない場面もあった。
だが結局今まで生きている。
昨日はその気になられたら、もう死んでいた筈だ。
何者だあいつは。
あの戦場での立ち振る舞い。
圧倒的な技量。
ビュートが何か言ったにせよ、結局俺を生かしておくような心の広さ。
長剣の男。グレトナ。
例えば、英雄と呼ばれる存在は、ああいった男の事を言うのだろう。
…まずはこの街を取り戻した英雄だな。
俺たちは撃退される侵略者か。
苦笑いを浮かべ、再度横になる。
何れにせよ、その英雄に頼み込み、手紙を出す。
まずはそこだろう。
表が騒がしい。
そろそろ皆起き出したのだろう。
暫くすると、音の中に昨晩の様に、金属の食器がぶつかりあう様な音が混じる。
昨晩の食事は最悪だった。
甲斐甲斐しい少年に世話をされる、病人か老人の気分だ。
…表でずかずかと、該当する人間が一人しかいないような足音が聞こえ始めた。
間もなく扉が開き、英雄が登場した。
「よう、元気か?」
「お陰で捕虜と老人の気分が味わえた。礼を言いたい」
「気分じゃねぇよ捕虜だろお前。老人てなんだ」
「監視付でいいから、食事の時だけでも、これほどいてくれないか?口にスプーン持って来られるのは本当に老人になってからにしたい。ビュートにも悪いしな。良かったら礼を言っておいてくれ」
「何言ってんだ?」
沈黙。
グレトナが疲れた顔をしながら、あいつ…、などと言っている。
「とにかくだ。お前みたいな体力余っていそうな奴に飯は出さない」
「すまない、もう喋る気力もないんだ」
「じゃあもう黙ってろよ…」
更に疲れたような顔をする。
「…余計な事を言ったか?」
「さっきから余計な事しか喋ってないだろうが」
「すまない、違う。ビュートの事だ」
「あぁ。お前には飯出さなくていいって言ったんだ俺は。甘いんだよ」
「あの若さだ。それでも何となく人に親切にできるような奴は希有だろ?」
「お前な、そんな調子で生きていけると思ってるのかよ」
「やろうとして出来る事じゃない。本当にいい奴なんだろ。…ずっとその調子じゃあ、いつか死ぬだろうが」
「それじゃ、駄目だろうが」
「…そうだな」
グレトナがため息を付く。
「とにかく、だ。お前に飯は出さない。後で移動するがお前は何するか分からないから俺が付く。余計な事するなよ?じゃあな」
締めるように喋るとグレトナは出ていった。
…喋りすぎた。
だが、奴はどうもなんというか。ふざけた事を言ってみたくなる雰囲気がある。
なんと言えばいいのだろう。垣根が低いのか、話しやすいのか。
多分、奴もひどくいい奴なんだろう。
やたらと気に入ってしまった。
捕虜の立場で言う事ではないが。
暫くすると数人の配下を連れたグレトナが戻ってきた。
「馬車まで自分で歩け。もう一度言うが、余計な事するなよ?殺すからな」
部下の男が足の縄を切り、久しぶりに自分の足で立ち上がった。
「大丈夫だ。世話をかけて悪いな」
「あぁ、本当に面倒くせぇよ」
先頭を歩く男に従い、建物の外に出る。
俺が居た建物は、中心付近に位置していた。
昨日荷馬車が置かれていた辺りに、グレトナの軍の馬車が停まっている。
荷馬車の近くに、赤いローブを着た女が立っていた。
背が高く、整った顔立ちだ。
その整った顔立ちが、俺達が近付くにつれ、…険しい顔つきになっていく。
「兄様。何故捕虜を連れていくのですか?」
「ここに置いていけないだろうが。兄貴が見つけたら間違いなく、即殺すだろ」
「そもそも、なんで助けたんですか。こいつらが何人殺したと思ってるんです」
「こいつは荷物の護衛だそうだ。恐らく誰も殺しちゃいない」
「そういう問題ではありません。それに、連れて行ってどうするんです」
「…とりあえず転がっていて貰えばいいだろ?兄貴に言うなよ?」
「こんな事、言える訳ないじゃないですか!」
「そう怒るなよ…」
「怒っていません!そうやっていつもいつも適当な事をしているから、出世が遅れるんです」
「勘弁してくれよ…」
「もういいです!」
後ろを振り向き、歩いて行ってしまった。
…がっくりと肩を落とす俺の英雄。
周りの兵も苦笑いを浮かべている。
「もういいからお前、取り敢えずそこ乗れよ。おい、お前、足縛っとけ」
グレトナは、先程よりも更に疲れたような顔をしている。
黙って従い、荷馬車の上で足を再び縛られ、
床よりも更に心地の悪い荷馬車の床板の上に転がる。
荷馬車の外の兵たちは俺を放置して立ち去った。
グレトナをからかう様な軽口を言いながら。
あの女、話を聞いていた所だとグレトナの妹なのだろう。
そして、火球の魔法を使ったのも。恐らく奴だろう。
少なくとも、今見回していた限りでは、魔術師の姿は見えなかった。
…別に戦う訳ではないので気にする必要もないのだろうが。
暫くすると、表が騒がしい。
兵の数が先程とは段違いに感じる。
先程の不穏なやり取りを考慮に入れ、荷馬車の中で静かにしている事にした。
遠くで声が聞こえる。
「俺たちは、これからガロウェイに向かい、奪還する。斥候によると、駐留しているのは小汚い傭兵団との事だ。略奪の報いを受けさせろ!正義の鉄槌で、我らマルト聖王国の地を取り返す!」
呼応して、兵が雄叫びを上げる。
グレトナだろう。
結構な距離があるように感じるが、大した声量だ。
恐らく後発部隊の到着を待っていたのだろう。
このままグレトナは次に進むという事か。
本当、大した英雄様だ。
程なくして。
荷馬車が動き出した。