変わり始めた日常15
定宿、草原の息吹亭を出て、通りを歩く。
大通りへ抜け、先日の事件の折に取り掛かった裏路地を覗き、養成所の立ち並ぶ通りを行く。
彼女は、そのどこでも見つからなかった。
当たり前だ、この街の広さで、人間1人を探し出すのがどれだけの労力か。
言葉に出来ない、不安や寂しさにも似た感情が湧き上がるのを感じ、
随分と自分がそういった感情に飼い慣らされつつあるかを考えた。
少なくとも、あの時オルビアの依頼を終えてここへ戻るまでは、
いつも1人で、だがそこに何かを感じる事はなかった。
…本当は、寂しさや空しさを感じたことがない訳ではない。
だが、本当に最低限で暮らす以上の収入と貯蓄は、
それを解決する手段を容易に俺に与え、それで問題なかった。
あの頃は。
一回りして、部屋に戻る。
がらんとした部屋の入り口で踵を返し、再び街に出る。
もう、昼を回っている。
「俺は何をしている」
当初の目的も忘れ、空を見上げながら歩く。
再度大通りへ出た。
一本裏の女物の服屋が並ぶ通りを通り過ぎ、
以前安物の髪留めを買った露天…店員は相変わらず下を向いて興味がなさそうだ…を横目で見ながら歩く。
もうじき夕方と言ってもいい時間だ。
「…帰るか」
重い足が定宿への道を行く。
扉をくぐり、階段に向かう…俺を、知った声が呼び止めた。
「おい、無視するな」
振り向く先で、オルビアが端の4人掛のテーブルに荷物を広げて陣取っている。
どこかで会ったのだろうか。
一緒にレイスが座って…背を向け振り向かない。
それを見ながら、どうすべきか決まっている上で思案していると、苛立ったような表情のオルビアが手招きしている。
嫌な予感しかしない。
歩き出しながら、どこに座るべきか考え込む。いや、考える必要もないだろう。
「オルビア、久しぶりだな」
俺は、レイスの右隣に座り込んだ。
彼女の右目がそわそわと動いている。
「さっきは悪かった。探したぞ」
「…はい」
正面でオルビアが大きく溜息をついてみせ、話し始める。
「それじゃ、悪いんだけどまずは仕事をさせてもらうよ」
「仕事?」
雰囲気からすると理解しかねるといった顔の俺に、一振りの中型剣を差し出す。
特に目立つところもない、質素な鞘と柄。
「なんだ、これ」
「あと、これな」
二つ折りの手紙を渡される。
「まぁ読め」
表情を崩さず、手紙を広げる。
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口止め料代わりとして受け取っておけ。
あんな雑な獲物で早死にされても不本意だ。
質流れで取り返される当てもない代物で、こちらも不要だ。
素直に受け取って貰って構わない。
気が変わるまで、精々生き残れ。
アレン・コブレンツ
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なんだこれは。
今受け取ったものを突き返す俺に、オルビアが両手を広げて顔を振る。
「確かに届けたぞ、私に返されても困る。
ついでに言うと、素直に受け取れ、不用品だ、という伝言付きだ」
眉をしかめながらそれを、テーブルの上に雑に置く。
重い音をたて、鎮座するそれを忌々しげに眺める。
「またやらかしたんだって?」
オルビアが呆れた顔で話を切り替える。
「やらかしてはいない。仕方ないだろう」
「この間、お前の事話してたぞ。悪くは言ってなかった」
「嬉しくないな。本当にパドルアに居るのかよ」
「あぁ暫くは居るって言ってたぞ。うちのお得意さんだ」
「相手を選べよ…」
「それはお前にこそ相応しい言葉だろうが」
返答のしようもなく、前のめりになる。
「随分と気に入られているじゃないか」
冷やかすオルビア。
「この間、絶対に仲間にならないって決めた所だ」
「へぇ。ならこれはタダで貰えた様なもんだな。良かったじゃないか」
「タダより高いものは無いって言うだろ?」
「この場合、返す方が遥かに面倒だと思うがね」
「…確かにな」
頭を掻き、その厄介な代物に再度手を掛けようとする俺に、オルビアが切り出す。
「さて。仕事の話は終わりだ。次はお前の話だな」
「なんだよ」
警戒する俺から視線を外す。
「ほら、レイス、どうすんだ?」
視線の先の彼女に振り向くと、丁度こちらを見る目と視線が合う。
…近い。
こちらを真っ直ぐに見詰め、大きく息を吸い込む。
「リューン様、さっきはごめんなさい。つい頭に血が上りました。でも、分かって下さい。」
頭を下げようとして、俺との距離が近すぎて下げられず、椅子を引いて改めて頭を下げる。
何をやっているんだ…。
「よしよし、後は私に任せな」
オルビアが笑顔で手を振ると、
レイスが再度頭を下げ、立ち上がる。
「あーいいからいいから、な?」
オルビアがこちらを手で制し、レイスは視線を合わせず、浮かない顔で階段を登っていく。
「さて。続きをはじめようか」
「続きってお前」
「お前さ、どうするんだよ?」
「どうするって。どうもできないだろ」
「ひどいな」
呆れ顔のオルビアが吐き出すように言う。
「いや、ひどいな。本当に」
「オルビア?」
「お前な、欲しい物を目の前にずっとブラ下げられる方の身にもなれよ」
「……。」
「それをずっと我慢してるのにお前ときたら全く。
いや、お前の言い分も解らんでもない。
前に言ってたからな。いつどこでくたばるか分からん、とか」
「その通りだろうが」
「彼女はそんな事、どうでもいいだろうよ」
「こっちはどうでもよくない」
「ならそれを、ちゃんと言ってやれよ。伝わらん」
「わかった。それは確かに伝えるよ」
「それで、それをなんて伝える?」
「あぁ。俺はいつ死ぬか解らないから。えーと」
大事な部品が足りない。
「正味な所、お前はレイスちゃんの事なんだと思ってるんだよ?」
よく、わからない。
あまり、こちらに依存されても、消えた時に申し訳が立たない。
だからそれまでに、1人で生きていけるようにお膳立てしてやろう。
その世界を用意してやれれば幸いだ。
そこでいつも思考が停止していた事に今更気付く。
…彼女は一体、俺の何だ?
被保護者。家族。娘。妹。恋人。
その全てがそうで、全てが違うような感覚。
ただ、かけがえの無い、守りたい何か。
「話にならん」
オルビアが額に手を当てて俯いている。
額に当てた手が、髪をかき上げる。
「わかった。話にならないことがわかった」
返す言葉も無い。
「まぁなんだ。私はもうちゃんと受け入れてやれよって思ってる」
「それに、今まで変な虫も付かなかったから一緒にいられればいいって言ってたんだろうけど、
なんか、あったんだろ?」
「まぁ、な」
「それで、本人は焦るわ。
いつも2人の世界だった所に何か入ってきて、下手すれば持って行かれちゃう!取られちゃう!
焦るを通り越して恐怖だ。あの子に取っちゃ、お前が全てなんだから。
そこへ来てお前は、何を言うでもなくふらふらと…」
「一応聞くが、お前、レイスちゃん放り出して、そのなんとかって子の所行くかもしれないのか?」
「それは無い。無いな。」
「だったらさ、言葉に出来る範囲でいいから言ってやりなよ。
いやお前がレイスちゃんの気持ちなんぞどうでもいいのであれば別だが」
その後、改めて一通り馬鹿にされ、なじられ。
他にも用があったが時間が無いので改めるが、
とりあえず私に感謝しろ、との事だった。
オルビアを見送り階段を登る。
扉の前で、固まってしまう。
一度大きく深呼吸して、扉を開けた。
「…お帰りなさい」
「あぁ、待たせた」
彼女は、下唇を噛んで、こちらをじっと見詰め、俺が切り出すのを待っている。
沈黙。
「あの…表でオルビアさんと会って、その、すみません、私…」
「違う」
大きく首を振ってみせる。
「レイスの気持ちは大分前から、本当に前から分かってた。
でも、なんとなく答えも出せずにいた。
…悪かった」
「俺は、自分がいつどこで死ぬかわからない、
それまでにレイスがこの先を生きていけるようにする、
それだけしか考えていなかった」
「言い訳にしてた。何も考えてなかった。
オルビアに怒られたよ。一体何なんだって」
「俺にとってレイスは、大事な何かだ。
その何かがわからない。
だから、もうちょっと待ってくれ。
ちゃんと答えるから」
ただひたすら、冗長な言葉になってしまい頭を掻く。
必死に頭の中が回っている。
あと、何を言えばいいんだ。
言葉が詰まる。
眉間に皺を寄せる俺の頬に、細い掌がそっと当てられる。
「リューン様、大丈夫です…」
彼女が、下からじっと見上げる。
「私、いつまででも待ちますから、大丈夫です」
微笑む彼女に、情けない苦笑いを返す。
「でも、ちゃんと、話はして下さいね?
私、さっき、本当にどうかしてしまうと思いました」
「ごめんな…」
「もう大丈夫です」
流れる沈黙。
だが決して、重苦しい物ではなかったと思う。
頬を離れた手が、再度、俺の胸に触れる。
「リューン様、ご飯食べに行きましょう。あ、先生の方がいいですか?」
「勘弁してくれ…」
様子を伺うルシアに勤めて普通に振舞い、いつも通り、切り分けた食事を彼女の方に押しやる。
「リューン様、このお肉、おいしいですね」
「あぁ、そうだな」
いつも通り更ける夜。
その後も暫く、彼女の復讐は続いた。




