変わり始めた日常14
いつも通りの食堂の朝の活気。
レイスの右手が、口を皿の往復をするのをぼんやりと眺めていた。
「どうしたんですか?先生」
訝しげな表情の彼女は、ちくりちくりと先日の件の恨み節を挟んでくる。
実際には、恨み節というのは誤りだろう。
必死で誤解を解いた筈。なのだが。
昨日、朝食を終え部屋に戻り、ふとベッドに腰掛けた折、何の気なしにミリアの部屋のベッドが云々と言う話をしてしまった。
「…やっぱり高いベッドは作りが違うんだろうな。ミリアの所のは、もうちょっと硬いというかなんというか。」
最後まで言い切る前に、これは不味いと思った。せめて後半に差し掛かる前に気付いていれば。
聞こえてなければいい、という希望を込め、ゆっくりとレイスの方を見ると、既に手遅れだった。
俺を見詰める目が、潤んでいる。
「ちが、違う、座る所がなくて、いや椅子はあった。けどな…
「すみません、私、でも…」
焦る俺の弁解を聞いてくれる筈もなく、顔を抑え、その場で座り込んでしまう。
本来、焦る必要もない筈なのだが。
慌てて彼女の震える肩に手を掛ける。
「だから違う、そういう…
言い切る前に手を払われ、彼女の細い右腕が、俺の胸の辺りを必死に押し返し、距離を取ろうとしている。
その間も下を向いてしまった顔からは、ぼろぼろと涙が落ちている。
ひどい拒絶に力ずくで迫る気にもなれず、顔を塞ぎ座り込む彼女の正面で、俺は頭を抱え込みたい気分だった。
「私は、そうです、居られればいいと思って####
あの子は、きれいで、髪だって####
私とちがって#####
…最早何を言っているのか聞き取れない。
「だから違うんだって…」
諦め半分で口から漏れた言葉を最後に、部屋には一刻、嗚咽だけが響く。
やっと落ち着いた彼女が、意を決したように、こちらを見る。
目が真っ赤だ。
決意を込めて話し始める彼女を止める元気もなく。
とりあえず最後まで喋り終えるのを待つ。
「リューン様、グラニスさんからも彼女は良家の方だと伺っています。
先日の事件のときの彼女に報いたい、とも言っていました。
リューン様は優しい方です。あの方をずっと見守るのも私、構いません。
だから、宜しければ、傍に置いてください。
あの方は美しい方です。家柄も申し分ないでしょう。
二番も三番でも…いいです。お願い…です。」
最後まで言い切る前に、再び嗚咽で声を詰まらせながら話す彼女。
俺は天を仰いだ。
…天井に染みが出来ている。
雨漏りか。ルシアさんに言わないと。
などと完全に関係がないことをぼんやりと考え、慌てて立ち上がる。
座り込む彼女が見上げるその右目は真剣だ。
「あのな、レイス、落ち着いて聞け」
「はい」
「最後まで聞け。意味が分からない時だけ聞き返せ。いいな?」
「…はい」
その後溜息混じりに、少なくともここでは渦中となっているミリア、リンダウ家を訪問した折の出来事を、順に話す。
ミリアの名誉を考え、胸中を独白されるもそれを断ったとし、心の中で詫びながらやんわりと話す。
本当に全てを、今この場で話すのはさすがに気が引けた。
そして当然ながら、口止めもする。
我ながら。自分が大昔読んだ本に出てきた、民衆を導く無欲な聖人であるかのような説明に、若干の自己嫌悪を覚える。
「…という事だ。それで俺は養成所に戻り、お前が出てくるのを大人しく待った。わかったか?」
「…はい」
レイスの眉間に皺がよっている。
全て納得がいく説明だったと思いつつ、内心焦る。
「リューン様」
「あぁ。なんだ」
「なんで、すぐに話してくれないんですか?」
「話すタイミングを逸した。…悪かった」
当たり前だ。特に最後のくだりなど、話すべきではないだろう。本来は。
俯く彼女が誰に問うでもなく、小さく呟く。
「私は…何なのでしょう」
答えに困る。
被保護者。娘。妹。…少なくとも、彼女が求める答えは俺の口からは出ない。
いつか掻き消えるであろう俺は、多分、違う。
「レイス…俺はな、
「ちょっと、すぐ戻りますから大丈夫です」
「おい…」
立ち上がり彼女は、俺に有無を言わさず、部屋から出て行く。
部屋に1人残り、ぼんやりと天井の染みを眺める。
視線を落とし、部屋を見渡し、部屋が広く感じるな、などと考えた。
彼女がこの部屋に住み込むようになり、もう半年が過ぎた。
すっかりこの環境に慣れてしまっている。
狭いと感じ、移動先を模索もした。
しかし最低限発生するコストが増え、結果必死に働く羽目になるので、
もう暫くルシアさんの好意に預かり、この部屋で1人分の費用で頑張ろうという結論に達していた。
「なんだか、広く感じるな」
先程思っていた言葉が口を突く。
ゆっくりと立ち上がる。
やる事がない。
大きくかぶりを振り、俺は。
「探しに行くか」
やたらと広く感じる部屋を後にした。




