ミリアとセイム12
少しやつれた顔をしたミリアがベッドの上で上半身を起こしている。
いつものような適当な服でなく、所謂寝巻きなのだろう白く清潔な印象の薄いシャツだ。
「邪魔するぞ」
入り込んだ部屋はなんというか。予想に反し……極めて女性らしい部屋だった。可愛らしい装飾品などが目立ち、思わず周りをぐるりと眺めてしまう。それを見るミリアは口の端を上げ、いつものように話しかけてきた。何もなかったかのように。
「らしくないとか思ってんだろ」
「正直、そう思った」
「正直すぎるだろ」
「悪かったな」
可愛らしい装飾が施された椅子を引く。
「借りるぞ」
「あぁいや。先生さ、こっち座ってよ」
言いながらミリアがベッドの上を指差した。そこを見て露骨に変な顔をする俺にミリアは笑いながら説明を付け加える。
「変な事考えてんの? あのさ、大きい声で話すと疲れるんだよ」
「……あぁ。わかった」
彼女が指さすベッド中腹、その更に足の方へずれるように座り込んだ。宿の安ベッドとの感触の違いに愕然としつつ、本題に入る。
「大丈夫か?」
「あぁ、大丈夫。別に初めてって訳でもないし」
「そういう問題か」
「そうでも思わなきゃ、やってられないって」
ミリアが少し震えている。
堪らない気持ちだった。あの豚共。やはり切り殺しておくべきだったのだろうか。
……それで何か変わったとも思えないが。
「すまない。俺が余計な事を言ったばかりに」
「余計な事?」
「優しくしてやれ、とか」
「あぁ、そういうんじゃないからさ。大丈夫だよ」
「そうか」
「ミリア。死のうと思ってただろ」
「あの時はさ、なんとかしなきゃって思って」
「ああいうのはやめろ。お前を置いて逃げる訳ないだろ」
「その言葉、そのまま先生に返すよ」
「……。」
力なく、だが気丈に微笑みながら切り返され、それに溜息を返す。
「先生こそ。なんであんな事言うんだよ」
「あの場ではあれが一番犠牲が少かっただろ」
「私たち置いて逃げれば逃げられたでしょ」
「さあな。逃げ切れたとは思えんが」
「そもそも、なんであんな事したの?」
「何が?」
「全部だよ。全部」
「グラニスさんに頼まれた、こういう事か?」
「ちょっと違うかな」
「さっきセイムにも言ったんだがな」
「うん」
「お前達はもう少し後ろを振り向くことを覚えろ。人に頼れ。誰か助けてくれる奴がいるだろう」
「……あの時さ。私、セイムが困ってるの知ってたんだ」
「そうか」
「本当はさ、先生も言ってたし優しくしてやろう、助けてやろうって思ったんだ。私馬鹿だからさ。変に自信持っちゃって。本当、先生の言うとおり誰かに助けてって言えばよかったよ。自信あったんだ。その辺の奴には負けないって。でもさ、何人もいたら全然敵わなかった。……もう少し強くなったと思ってたんだけど」
震えが止まらない肩を自らの両手が抱きしめている。
少し虚ろになった視線が宙を泳ぎながら、震える言葉は続く。
「あいつら、どこかに売るとか、どこで殺すとか。そんな事話してた。もうお終い、このまま誰にも、先生にも会えないで何処かに連れて行かれるんだって。痛いし、怖いし、悲しかったよ」
「……あぁ」
話し声に嗚咽が混じる。
「そしたら、先生が立ってた」
「私、汚かったし、情けなくてさ。でも、あいつが出てきて何とかしないと先生殺されちゃうって思ったらあんな事言ってた」
「ありがとうな。気持ちは素直に嬉しい」
「私がありがとうだよ」
涙を流しながらも懸命に笑顔を作って見せる彼女から視線を外す。
「ミリア。お前は――」
「先生。あのさ」
「あぁ」
「私、口堅いよ?」
ふと逸らしていた視線を戻すと、泣き笑いのミリアがシャツのボタンを外していた。
……恐ろしく鼓動が早くなる。
掌に汗が滲む。体が熱い。
俺の左手は。
シャツを脱いだ彼女の白い肌、大人の女を感じさせる、その体に伸びる。
俺を見詰め、そしてミリアは涙が流れる目を閉じた。
がっ、という音を立てるように、俺の左手がミリアの頭に載せられた。
驚いた顔をしてこちらを見るミリアの髪の毛を乱暴にぐしゃぐしゃとしてやる。
「ちょ、せん、なんだよっ!」
「大事な生徒を自分で傷物にする訳ないだろうがっ」
「普通今の流れはさぁ…」
頭をかき混ぜる手を掴もうとする彼女を手をかわし、手を引っ込めた。それを見るミリアが少し呆れるような表情で大きくため息をつく。
それを見ながら俺はベッドから立ち上がった。
「10年経ってから出直して来い」
「何が? 10年?」
「とりあえずそれ着ろ。目に毒だ」
「結局見てるのかよ」
「そういう話じゃない」
「一体なんなんだよ。10年してから土下座してもやらせないからな」
「あぁ。それくらい、いい女になったらいい」
再び大げさに溜息をつくミリア。……もう頃合いだろう。
「そろそろ行く。またな。何かあったら言え。何でもとは言わないが、大概の事は助けてやれるだろ」
「あぁもう。わかったよ。……またね、先生」
「じゃあな」
不満顔で髪を直すミリアに軽く手を挙げてみせて振り返る。
「あ、先生」
「なんだ?」
「……ありがとう」
「ああ。じゃあな」
軽く口の端を上げて見せる彼女に胸を撫で下ろしつつ、扉を閉めた。
そのまま進み階段を下りる。
その三段目あたり。
体中の空気が全て出る様に感じる程、息を大きく吐いた。
……冗談じゃあない。
俺は聖人でもなんでもない。目の前にあんな物差し出されて大丈夫な訳がないだろう。
全身から変な汗が噴き出している。膝に手を付き、もう一方の手が乱暴に頭を掻く。記憶を消し去るように目を強く閉じ、剣術の型を頭の中で思い描く。
「……先生、何やってんだ?」
下から階段を登ってきたセイムが曲がり角でこちらを見て硬直している。
「うるさい。大人には色々あるんだよ。……本当に」
「はぁ?」
頭を掻きながら立ち上がり、セイムには帰る旨を伝えて裏口から出た。
……グラニスは先に帰ったとセイムから聞いた。
養成所に向かう曇り空の道を行く。
レイスの前で変な事を口走らないだろか。丁度昼過ぎだ。彼女が訓練場での午後の練習の間、心を落ち着けよう。
余談だが。
俺はこの数日後ベッドの感触について口を滑らせ、泣きべそをかくレイスに一日口を聞いてもらえない事になる。