ミリアとセイム10
何か聞こえ、目を覚ましたのは昼過ぎだった。
「……っ。」
起き上がり、ぼんやりと周りを見渡す。
ベッドの上で、レイスがひどく苦しそうに何か寝言を言っている。
ひどい汗だ。額に螺旋のように髪が張り付いている。
名前を呼びながら肩を掴んで揺すり、こちら側に呼び戻す。
掴んだ肩が少し熱い。
目の前で揺れる顔の、涙が残る右目がゆっくりと開く。
混乱しているのだろう若干の間を空け、彼女は安堵の溜息をついた。
「大丈夫か?」
「…すみません、昔の、夢を見ていました」
未だ少し荒い息と、憔悴した顔。
額に手を当てる…ひどい熱だ。
「レイス、ひどく熱がある。ちょっと何か貰ってくるから待ってろ」
立ち上がろとする俺の手を、震える右手が握る。
「すみません、少し、ほんの少しでいいので、まだ行かないで下さい」
消え入りそうな声に、震えている手を握り返してやる。
昔の記憶。
碌な物ではないのだろう。
「…ありがとうございます」
力なく微笑む彼女の右手はまだ震えている。
「昨晩、体が冷えたんだろう。もう少ししたら何か暖かいものを貰ってくる」
「いえ、大丈夫です、何も食べていないのでしょう?私なら大丈夫です」
思い出したように離そうとする手を握る。
「もう暫くここにいる」
「…はい」
どれ程の時間が経っただろうか。
手から伝わる震えは収まり、彼女は再び眠っていた。
その手を薄い毛布の中にしまってやり、立ち上がる。
1階に下りると不機嫌そうなルシアが丁度階段を上ろうとしているところだった。
「あんた、昼、どうするんだい。朝方レイスちゃんが昼には起きるって言ってたけど」
「あぁごめん、実は…」
ルシアは追加の毛布と洗面器に水、タオルを用意した上に、
目が覚めたら何か用意してやるからすぐ言え、という言葉まで用意してくれた。
…ついでに俺に、昼の食材であろう余り物を挟んだパンも。
話の折に、昼頃、グラニスが尋ねてきた事を聞いた。
宜しく伝えてくれとの事だった。
部屋に戻り、彼女の額にゆるく絞ったタオルを置いてやる。
薄く目を開けこちらを見て微笑むと、再びその目を閉じ、少し苦しそうな寝息を立て始めた。
「レイス、俺は、余計な事をしたかもしれない」
その寝顔を見ながら呟く。
椅子に腰掛け、改めて昨晩の事を整理する。
高ぶった感情は、もう成りを潜めた。
出来事と、その対応を考える。
まず、あいつらの仲間にはならない。
むしろ敵意を持つに十分な被害を受けている。
主義主張は理解した。だが、勝手にやっていろ。
その被害だ。
ミリアとセイム。
…セイムのほうが、立ち直りは早いだろうか。
レイスの体調が戻ってから、グラニスに様子を聞こう。
グラニスとスライは。
グラニスは姉弟の両親に何と説明したのだろうか。
スライには礼を言う必要がある。
一通り、自分の中で整理を終え、タオルを変える。
ゆっくりと時間が流れ、表通りのざわめきと、彼女の苦しそうな寝息だけが聞こえてくる。
ベッドに腰掛け、俺の意識も眠りに沈みそうになった頃。
ドアがノックされた。
「リューン、いいかい?」
ルシアが少し訝しげな顔で部屋に入ってくる。
「まだ眠っているんだ。面倒かけてごめん」
「そんな事はいいんだよ。大事にしてやんな。そんな事より、グラニスさんがまた来てるよ」
「…ここに居る。レイスの体調が戻ってからこちらから顔を出すよ」
「あんたね。なんだか用があるみたいだから、暫く私が見ててやるから顔だけでも見せといで」
「あぁ。……わかった」
ルシアに看病を任せ、食堂に下りると、疲れた顔のグラニスと目が合った。
「リューンよ、昨晩はすまない。大変な思いをさせてしまった。スライから、中での事は聞いた」
「グラニスさん、とりあえず生きているので謝ったりしないで下さい。俺よりも…2人は?」
「両親には、セイムが概ねの所を話したようだ。その両親に先程会って来た。
憔悴していたが、お前とスライに感謝の言葉を述べていた。その内に一度会わせてくれ、との事だ」
会って、どうするのか。
俺は間に合わなかった力不足を詫びればいいのだろうか。
余計な事を言ったと言えばいいのだろうか。
「グラニスさん、2人は?」
「セイムは…折角直してもらったのが無駄な位に親父さんに殴られていた」
「それは…仕方ないでしょうが」
「あぁ。責任を感じひどく塞ぎこんでいた。何か仕出かさないといいが」
「恐らく、それは大丈夫でしょう。もし心配なら、ロランを連れて行ってやって下さい。あれは多分、良くできた友達です。
彼が立ち直るきっかけになってくれるでしょう」
「そうか。…考えてみよう」
暫くの沈黙。
「グラニスさん」
「ミリアか」
「はい」
溜息をついて話し始める。
「あの後、自分の部屋に篭り、誰とも口を聞かないそうだ。食事を差し入れても手をつけない、と」
「…そうですか」
まだ昨晩の出来事だ。
自分の中で整理がつくのには時間が掛かるだろう。
…1人で立ち直ることが出来るのであれば、だが。
「彼女は、時間が掛かるでしょう。普通の怪我云々とは違う。そっとしておいてやった方がいいのでは」
「やはり…そうだろうな」
悔しそうに唇を噛むグラニス。
あの時、彼女は立ち上がった。
俺達を生かすために自分を犠牲にしようと。
幸い、そういう結果にはならなかったが、その思いには報いたい。
「グラニスさん、少し間を開けて顔を出してみます。何か力になれるかもしれない」
「出来れば、頼みたい。あの2人、お前さんの言う事なら素直に聞くだろう」
「それは…どうですかね。行く前に養成所に顔を出します。それで大丈夫ですか?」
「あぁ、構わん。家まで案内しよう。…所で、レイスはどうした?」
「実は、寝込んでいまして。彼女の体調が戻ったら行きます、という所です」
「あぁ、それは悪かった…」
グラニスが立ち上がる。
「よくしてやってくれ。あれは良く出来た子だ。お前さんに依存し過ぎているのが心配だが」
「やはりそう見えるんですね」
苦笑いを浮かべながら俺も立ち上がる。
「リューンよ、あれはお前さんの為なら本当に何でもするだろう。気をつけてやれ」
「はい。考えておきます。…それではまた」
頭を下げ、帰路に着くグラニスを見送ると、俺は部屋に戻る。
階段で再びルシアと顔を合わせる。
「今起きたよ。何か持っていくから部屋で待ってな」
「わかった。本当に手間を掛けて…」
「だから、そんな事はいいんだよ。早く一緒に居てやんな。調子が悪いときは人恋しいもんだからね」
「はいはい…」
部屋に戻り、やはり力なくベッドから微笑むレイスの横に座る。
「大丈夫か?」
「…すみません」
「何を謝る。看病くらいするさ」
「…こんな事、されていると、いつも調子が悪いといいなって思っちゃいます」
「何言ってんだ。早く直して出掛けるんだろ?」
「ふふふ…そうですね」
「レイスちゃん、お待たせ。悪いねこんなもんしか残ってなくて」
ルシアが、パンをミルクのスープで煮た物を持ってきた。
「あんた、ちゃんと食べさせてやんなよ」
俺に皿を押し付け、レイスににやりと笑いかけ、出て行く。
仕方なく、ベッドから起き上がらせ、彼女の口に運んでやる。
「もう本当に…」
「なんだ?」
「…なんでもないです。ルシアさん、優しいですよね」
「お前にはな」
皿の中身をあらかた平らげたレイスを再び横にならせ、皿を返しに行こうと立ち上がる。
「リューン様」
「皿返してこようかな」
「独り言、沢山言っていましたよ」
「さっき起きた時か?」
「リューン様。どんな事があったのか分かりませんが、私は今が一番幸せです」
「…どうした?」
「そういう事を、言っていたように思います」
「…そうか」
どうしようもないぼやきを聞かれたのか、感じ取ったのか。
昨晩言われた事を思い出す。
もしかすると今よりも安定した生活を送れていたのかもしれない。
ああいった店で働き続ける事で為し得るのかもしれないが、
下手を打つと生きるのに困る、といった事はないだろう。
あの時俺は…余計な事をしたのだろうか。
ずっと付き纏っていた思いは、今の一言で成りを潜めた。
「早く直して出掛けよう。早く眠るといい」
「…はい」
彼女は、翌日の昼過ぎにはすっかり体調を戻した。