ミリアとセイム09
「一体、何の用だ?」
アレンは切り出す俺を無視するように一度ゆっくりと座り直し、更に若干の沈黙を置いて語りだした。
「見ての通り、俺達には使える人間が足りない。そこでだ、
「断る」
最後まで言い切る前に否定した。以前の屋敷でのやり取りが記憶にあった。
この切り出し方では、それ以外考えられないだろう。
俺を無視し、尚も話し続けるアレン。
「条件は申し分無い物を用意できる。俺達の仲間になれ」
「だから断ると言っている。お前達がミリアに何をしたかわかっているのか?
セイムは自分で撒いた種だったのかもしれないが、お前達のルールをあんなガキに押し付けるな」
「それは出来る限りの贖罪をしよう。だが先程も言った。人間が足りない、と」
「何が人間が足りない、だ。管理が行き届かなかったから仕方ないとでもいうのか?
さっきアンタは、組織の姿勢を見せたのかもしれない。
だがあいつらにとって、そんな事は最早意味を為さないだろう。
俺はその、管理が行き届かなかった豚、を切り殺さなかった事を後悔している」
言いながら、ふと、スライの怒る様を見て冷静になったことを思い出し、
しかし彼のそれは、俺の行動を見越した物だったのだろうと、心の中で今更ながら気の回り具合に感謝した。
あの時、俺が1人でも殺していれば、アレンはこのような姿勢を取らなかったかもしれない。
それが、管理が行き届かない豚、でもだ。
「だが、やらなかったのだろう?随分と成長した物だな」
「もっと面倒な事になるのが判りきっていたからな。
お前達のような奴らが、どんなえげつない事をするかってくらい、わかっている」
「それでいい。及第点だな」
あいも変わらず見下すような態度と、噛みあわない価値観に苛立ちを覚えていた。
「…話はもう十分だ。悪いが帰らせてもらう」
「お前に預けた娘だが」
その一言は。
少なくともアレンが飽きるまで、俺をここに座らせておくのに十分過ぎる一言だった。
立ち上がろうとする姿勢から動けなくなった俺は、そのまま話を聞く他なかった。
「調子はどうだ。優雅な生活でも送らせているのか?」
「…そんな訳は無いだろ。普通だ」
彼女に手出しはさせない。
そんな事を口走るようであれば、この場でこいつを殺して他国にでも逃げる。
彼女はやっと平穏を手に入れた筈だ。それをまた奪わせる事など。
刺す様な視線をかわすように、アレンは話を続ける。
「あれはお前の所にやる。何も要求はしない。どうだ、少しは話の続きを聞く気になったか?」
「…どの道聞くしかないように仕向けているだろう。だが何度聞かれても一緒だ。
それに今更返せと言われても、悪いが返す気はない」
「気が向けば声をかけろ。歓迎しよう。
あのような連中を取りまとめるのに王都は遠い。
当面、俺はパドルアにいる。場所は改めて繋ぎを着けよう」
結局のところ、何の要求も無いという理解でいいのだろうか。
アレンの言葉を何度も頭の中で反芻するが、それ以外の意味が浮かばない。
意味がわからない、といった表情の俺を見て、再度アレンが言う。
「何も要求はしない。気が向いたら俺達の仲間になれ。あくまでその気になれば、だ。不満か?」
「……。いや。意味がわからないだけだ」
「もう一度説明する必要があるか?」
「…いや」
「…まだ話が?」
調子が狂う。何を考えている。
アレンは、暫しの沈黙の後、語り始めた。
「これは独り言のような話だが」
大げさにため息をつき、もううんざりだという態度を露にする俺が、まるで見えていないかのようにゆっくりと話し続ける。
「俺とコーネリアは長い付き合いでな。まだ本当に子供の頃から、貧民街の同じ区画で育った。
あいつと一緒に大人になりながら、世界の縮図を見た。色々と失う物が多かったお陰でな。
わかるだろう?ご大層に王都などと言っても、貧民街に暮らす者に、王都も糞もない。
泥水を啜り、ゴミ箱を漁り、必死に生き延びても、若い女はいつの間にかいなくなる。男だって何かの気まぐれ程度で殺される。
…ともかく、あいつは、こんなのはおかしいって言い出した。
その当時聞いた時にも思ったが、青臭い言葉だ。
ゴミみたい踏みにじられる奴等を掻き集めて、少しでも守りたい、ってな」
「お前、屋敷に来た時、あのあたりに女の店が沢山あったの見ただろう?
あれはほぼ全部、コーネリアが買い取った奴隷が働いて回ってる。
買い集めた奴隷に体を売らせる。それだけ考えれば、お前ならばふざけるな、とでも言うのだろうが…。
だがな、二束三文で売り払われる者を買い集めたとして、その奴隷に何が出来る?
生きるのには金が必要だ。だから、手段を選ばず教育して、金を稼げるようにする。
そして、金が集まればそれを守る手段が必要になる。
結果、俺達は今の成りという事だ。
わかるか?あいつは守ろうとしている。
知らない奴らには何とでも言わせておけ、と薄ら笑いを浮かべながらな」
深く、ゆっくりと一度呼吸し、さらに話し続けるアレン。
「俺は、今も昔もコーネリアの仲間だ。コーネリアが望む物の為に働くし、別にそれも嫌じゃない。
王都はあいつに言わせれば、出来る範囲は守れるようになった、だそうだ。
次はここだ。その為に、使える奴が必要だ。
ただの人好しはいらん。そういう奴らが死んでいくのを嫌になる程見てきたからな。
さっきの屑共のような奴もいらん。俺達の仲間に足り得ない。
お前のように、すぐに死ぬ心配の無い、性根の腐った屑ではない、人間が必要だ」
俺の目を正面から見据え、話を切った。
「話は分かった。だが、あんた達の仲間になるつもりが無いのに変わりは無い。お前が言う全てが真実とも限らない。
それにミリア達の事も、俺は、お前達を許す気にはならない。」
「だろうな。それでいい。だがな、良く考えろ。
これから恐らく、そういった助けがいる人間が溢れる筈だ。もっと大きく物事を考えろ。」
「溢れる?どういう事だ?」
「お前はそれを目の当たりにしてから考えろ。それでいい」
「…何を言っている?」
そういう俺に苦笑いのような顔を見せ、沈黙で答える。
これ以上、話す気はないのだろう。
「わかった。気が変わるとも思えんが。あと、笑うな。不愉快だ」
苦笑いを崩さずに、アレンが言葉を返す。
「そうか、では気が変わるまで、犬死しないように心がけろ。
あと、さっきの話は他言無用だ。コーネリア本人にもな。あいつは存外に、恥ずかしがり屋だからな」
そこまで言うとアレンは立ち上がり、軽く手を挙げ、俺が破壊した扉をゆっくりとくぐり、音もなく消えた。
静寂が辺りを支配している。
ミリアは。
彼女は立ち直れるのだろうか。
あの時の虚ろな目。
辛うじて発した声。
そして、俺達を守る為、命を捨てようと立ち上がった彼女は。
噛み締める顎が痛い。
俺が余計な事を言ったせいか。
訓練場でのいくつかのやり取りを思い出し、握り締める指が掌に食い込む。
セイムも酷い傷だった。
高位の神官の癒しだ。体の傷は癒えるだろう。
だが。
目の前で姉を。
復讐で立ち直る事だってある。
だが、敵を討とうとしても、その相手はどこに居るかも知れなくなるだろう。
あの姉弟に、俺がしてやれる事が何かあるだろうか。
彼らの都合がどうであれ、セイムはまだしも、ミリアに落ち度があったとは一切思わない。
何があろうとも、アレン達の仲間になる事は無いだろう。
先程の話が全て真実であっても、彼らの価値観は相容れない。
しかし、俺は一度、全ての考えを打ち切り、立ち上がった。
あった事が多すぎる。
一度ゆっくり考える時間が欲しい。
大きく息を吐きながら、吐息と一緒に独り言が漏れる。
「早く帰ろう」
悪い冗談のように破壊された玄関の扉をくぐり、既に朝焼けの空を見ながら歩く。
下着代わりの薄手のシャツ一枚では少し肌寒い。
人気のない道を早足で歩いた。
人気のない食堂を通り抜け、静かに扉を開ける。
彼女はベッドではなく、椅子に腰掛け、小首を傾げるようにして眠っていた。
俺の帰りをそこで待っていたのだろう。
沸いてきた安堵感が、その髪に手を伸ばさせる。
しかし、
一刻前に自ら投げ出しかけた命に近づく、死の足音の記憶が。
姉弟に起きた出来事が。
心に影を落とし、その手を止める。
「レイス、すまない、遅くなった」
彼女の右目がゆっくり開かれ、伸ばされた右手が、俺の手を握る。
「…どうしたんですか、その格好」
「あぁ、後でちゃんと話す」
訝しげな彼女の表情に、再度先程までの後味の悪い記憶が蘇り、だがしかし、彼女に微笑んでみせる。
「風邪引くぞ、ちゃんとあっちで寝ろ。…悪かった。待っていたのか?」
「はい。…でも、私が勝手にした事です。気になさらないで下さい」
「気にするさ。大丈夫、俺はそんな簡単にくたばらない。安心しろ」
先程の自らの行動に、若干の後ろめたさを感じながらも、続ける。
「…昼まで寝かせて貰ってもいいか?」
「だめです」
口を尖らせながら言う彼女。
「そうか。残念だ」
「嘘です。でも、お昼で起こしていいんですか?」
「あぁ、悪いがそうして貰えると助かる。昨晩の話もしないと」
「お話も、お出かけも、また今度で構わないですよ?ゆっくり眠らなくて大丈夫ですか?」
「夜眠れなくなるから…昼過ぎには起きるべきだと思ってね」
「…そうですね。じゃあ、ルシアさんに遅めのお昼をお願いしておきます」
「あぁ、すまない」
自分の中で整理した上で、彼女にも何があったかを話すべきだろう。
なんとなく、黙っているのは気が引ける。
ミリアのこと、セイムのこと、グラニスとスライ、アレンのこと。
俺は、いつも通りの薄汚れた布に包まり、記憶を、その感情を、整理する間もなく。
レイスに起こされる筈の昼下がりまで、眠り続けた。