ミリアとセイム08
必死に考える俺の頭は、混濁するばかりだ。あの時と同じ。開ける道が全く現れない。
スライも動けずにいる。
もし、魔術を行使するための詠唱を始めれば、それは戦いを始める合図になるのは分かりきっている。
彼も、戦いたくないのだろう。
目の前の男は、ここに現れただけでこの屋敷の空気を支配している。
できれば、俺も戦いたくない。
率直に戦うのが恐ろしいのも事実だが、その後も恐ろしい。
ただのチンピラの集まりならば、こちらに向かう途中グラニスが言っていた通り、
後から細工してギルド経由の仕事をした事にすれば、それほど問題にもならないだろう。
彼らもギルドとの直接の対立は望まない筈だ。
しかし、目の前の男はどうだ。
仮に、俺達が勝利したとしよう。
幹部を殺害された彼らは、面目を保つために俺やスライ、グラニスが関わる人間を、皆殺しにするだろう。
そう、俺が関わる人間。
きっと今頃ベッドでいつも通り髪飾りを握り締め、寝息を立てているであろう人物。
彼女もその対象となる筈だ。
敗れた場合は。俺達はここで命を落とし、後ろでうずくまる2人もどうなるかも、想像出来ない。
更に、やはり俺達の周りの人間の安全が保障されるとは思えない。
答えは簡単だった。
暫くの沈黙の後、俺は。
迷いながら構えていた剣を鞘に収め、階段の下からこちらを見上げる男に放り投げていた。
心の中で、すまない、もう暫く一緒に居てやりたかった、と謝る。
スライが後ろで小さく、え、という情けない声をあげたのが聞こえる。
「降参だ。弄り殺しにするなり、見せしめに晒すなり、好きにしろ」
俺が放った剣を右手で受け取ったアレンは、相変わらず無表情に答える。
「自殺志願か?諦めがいいのは感心だが」
「だが頼む、俺だけにしてくれ。他の奴は助けてもらいたい。俺はどうなってもいい。お願いだ」
「おま、何言い出してんだ!」
隣で喋りだすスライに手の平を向け、黙らせる。
「頼む。1人見せしめが居れば十分だと考えてくれないか」
「…俺達の面子は、そんなに安いと思っているのか?貴様の命だと?笑わせるな」
懇願する俺に冷たく言い放つ。
やめてくれ。
沈黙が流れる。
アレンは考えているのだろうか。
どうすれば。
譲歩させる策は?
俺の右肩に手が掛かる。
「スライ、やめろ」
振り向く俺の目に、殴られた跡や涙でぼろぼろの顔をしたミリアが、ボロ布を片手に立っていた。
肩を引き、俺の前に立とうとしている。
「何してるんだ、やめろ」
「…先生、逃げて」
「ふざけるな、あっちに行け」
「早く、逃げてよっ!」
半ば悲鳴のような声。
アレンの目が一瞬大きく見開かれる。だが一瞬だった。
すぐに元の全く表情が読み取れない顔に戻る。
ミリアの歯ががちがちとなっている。
恐ろしいのだろう。
何をしている。奴が少しでも譲歩してくれれば、少なくともお前達は助かるはずだ。
無理矢理にでも彼女を押しのけようとしたその時、絶望的な空気は、あっさりと終わりを告げた。
「安い芝居は見飽きている。…安心しろ。お前達、全員このまま返してやる」
何を言い出す、という顔をした俺に、先程放った剣を投げて寄越し、近くに居る男…先程俺が窓から放り出した男に向き直る。
「対立するグループが突然攻め込んできて助けを求めた、お前達はそう言ったな?違うか?」
直感的に危機を感じ取ったのだろう、目を泳がせながら口ごもっている。
アレンがその隣に立つ男に視線を動かす。
今日、俺はこいつを見ていない。外から騒ぎを察知し、助けを求めに走ったのだろうと想像できた。
「嘘の報告をした。そういう事でいいのか?」
いつの間にか、男の首に、片刃のナイフが押し当てられている。
「ちがっ、あのガキが逃げ出そうとしたんで…」
「あの女は何だ?」
「いや、ちょっと…
最後まで言い終わる前に、その喉にナイフが突き刺さり、引き抜かれ、
言い切れなかった言葉であろう、ひゅうひゅうという音を出しながら、男が仰向けに倒れる。
俺が先程窓から放り出した男も、何が起きたのか理解出来ていないうちに、鮮血を撒き散らしながら、絶命した。
目の前に突如展開された鮮烈な場面に、ミリアがへたり込む。
俺の肩に載せていた手は、そのままずるずると俺の体を撫で落ち、
ズボンの太腿の辺りを震える手が握っていた。
「おい」
場の支配者が声をかけると、グラニスとアレンの配下であろう男が数人、玄関から入ってきた。
「話を聞いて来てみれば、この御老体が表で様子を伺っている。気になって詳しいお話を聞かせて頂いた」
「ふざけるな、刃物を突きつけて聞かせて頂いたとは。笑わせる」
グラニスはこの状況でも強気だが、こちらを、正確にはミリアの姿を見て、更に怒りを露にする。
「お前達、こんな下種な真似をして、ごほごほ…
激昂し咳き込むグラニスに、アレンが深々と頭を下げる。
「今回は直接の配下ではないとは言え、このような醜態を晒し言い訳のしようもない。
この埋め合わせは、約束する。だが、今日はこのまま帰ってもらいたい」
言い返すことが出来ない迫力に、グラニスの言葉が詰まっている。
近くの部下に何事か告げたアレンが、再びこちらに向き直った。
「お前達もだ。じきに馬車が来る。悪いが隠れて帰って貰いたい。指定の場所で下ろさせる。
この者達の処遇も任せて欲しい。悪いが、これは譲らない」
…俺を見た。
「お前は残れ」
スライが何か言い出そうとするのを再び手で制し、素直に従うよう頷いてみせる。
「先生…」
ひどい顔をしたミリアが、こちらを見上げた。
「お前は自分の心配をしろ」
シャツを脱いで彼女に掛けてやり、悪いが任せる、とスライに目配せし、階段をゆっくりと下り始めた。
「何も考えずに噛み付く間抜けではなくなったようだな」
侮蔑するような目でこちらを見ながら、ソファを顎で指す。
「ふざけるな。そもそも何でお前がこんな所にいる」
「説明した通りだ。相も変わらずただ吠える犬であれば殺そうと思ったが。
度々目の前で吠え回られるのは不快だからな」
先にソファに座ったアレンに促され、向かいに腰掛ける。
先程アレンが言っていた馬車が到着したようだ。
階段に転がっていた男達は、先程別の馬車に乗せられていった。
手配のよさに内心舌を巻きながら、その光景を眺める。
到着した馬車からローブを着た女が降り、2階に上っていく。
あのローブは高位の僧侶が見に着ける物だ。
こんな者をこんな夜更けに一体どこから連れて来たのか。
2階から癒しの祈りの声が聞こえ、程なく何とか歩けるまでになったセイムが、スライに肩を借りて降りてくる。
スライは俺と軽く目を合わせると、軽く頷いてそのまま出て行った。セイムの件は任せて大丈夫だろう。
続き、先程のローブの女が、やはりミリアに肩を貸しながら降りてくる。
緊張の糸が切れたのだろう、涙を流している。玄関から出るまで、その目がじっと俺を見詰めていた。
最後にアレンがグラニスに1言2言告げ、グラニスはこちらを一度見てから、玄関からその姿を消す。
…アレンの部下が頭を下げ、やはり出て行く。
一瞬の静寂。
「一体何の用だ」
俺は切り出した。




