10
やがてその足は物音ひとつしない村へと辿り着いた。
自分とライネ以外には二度目である風景を眺めつつ、いる筈もない生存者を探して歩き回る。襲撃者の異常性を感じる幾つかの肉塊。隣のライネの小さな祈りの言葉を聞き流しながら、その4つめの恐らくは子供のそれに視線を落とす。
大剣の横腹か何かで叩き潰されたのであろう既に人の形と説明するには苦しい肉塊を眺めながら、かつて彼と共に打ち取った幾人かの化け物のことを思い出す。彼はそれを1人で3人屠ったと聞いていた。拘束する手段があるとはいえ、こちらが先に彼を見つけるべきだろう。拘束自体もそう距離が離れていて行使できるような類の魔術ではない。最低限、完全な有視界内かつ極力距離も近い方が望ましい。
「レイスさん。フライベルグさんは、これを為した者たちと同類になってしまっているということでしょうか」
恐らくは牽制じみた語り口に、しかし極めて中立的な風を装った言葉を返す。
「今は近い状態だと思います。ですが、すんでのところでアルメさんを見逃したと聞きました。幾らかは正気で……単純に化け物となっていると考えるべきだとは思いません」
「しかし殺し掛けたと……」
「狂気じみたものを抑制できさえすれば大丈夫な筈です。そもそも、その直前までは敵味方を区別して、迷いなく敵とだけ戦っていたんですよね?」
「それは……確かに。そう聞いてはいます」
危険だと強く思ってはいるが、しかし確信には至っていないのだろう。自分が相手では口に出しづらいだけかもしれないが。
彼女の動揺じみたもの。それに気づかぬふりのままで話を続ける。
「そういえば……あの人。オレンブルグの騎士だった方ですよね」
「えぇ、周りの方には伏せているようでしたのであまり話もできていません。スライも今は関係ねぇこった、なんて言って――」
「……少し。口調がスライさんに似ていました」
「え。」
少し顔を赤くして目を逸らす様に微笑んで見せる。別に世辞でも取り入っている訳でもない。それとこれとは別の話だ。しかし……少なくとも自分が殺害されそうな場面では無下にはしないだろう。そんな思惑には反吐が出るが、今は時間が惜しい。
そんなこと、などと口にしている彼女から視線を外し、まだ手付かずの小屋の中を確認しにその場を立ち去った。
国境が近いとはいえ、そう大きな村でもない。
あらかたの建物への探索が進む中。彼を救う側になってくれそうなもう一人を必死に探す。
かつてはオレンブルグの騎士であり、経緯はあったものの彼に命を救われているあの女剣士。ついでに言うと別れ際に手持ちの銀貨、更に王都まで護衛付きの道のりまで与えている。借りを返せなどというのはどうかと思うし彼も嫌がるだろうが……嫌がって狩り立てられては意味がない。
少なくとも自分の予想では、彼と遭遇してから意思を確認するのでは遅いのだ。
途中、オレンブルグの面子の弓使いに鋭い視線を向けられつつ、それを避けるようにわざとらしく建物の裏手側へと回り込む。
その3軒目。室内の物音に窓を覗き込むと、目的の人物と長剣の男が奥手の戸を開くところだった。動作の中で発せられた意志の強そうな女の声に、そっと気配を潜める。
「多分、あいつらはそのフライベルグの首を狙っていると思う」
「そうなった場合、リーク、あんたはここに向かう途中からやめておくって言ってたがどうだ? 俺もやめておくべきだと思うが。見ただろ? とてもやりあえる相手じゃあない」
「今だってそう思っている。まして他所の国、クラストのそこそこの地位の人間だと聞いている。碌なことにならない。……賞金だなんだと言っているが、そのあとで殺されかねない」
「だよなぁ。大体だぞ? 拘束できるって聞いていたが、それはあの片腕のお嬢ちゃんの魔術か何かだろ? もし襲ったらその拘束だって解くよなぁ? 馬鹿なこと始めなきゃあいいんだが」
「そもそも。私は依頼を受けている以上、基本的にそれに忠実であるべきだと考えている。賞金首だとか、そういう話に外れていくこと自体に否定的だ」
「わかったわかった。お前はそうやって固いから――」
雑談じみた内容に話題を移しながら遠ざかる二人の声。
変に口を挟まなくてよかったと思いつつ。冷静な部分は、自分の見立てた3人がおかしな行動をとった場合には早期に排除すべき、と結論付けていた。
逆にその目的が掴み切れないのは……スライさんだった。同行してくれたことでの心強さはこの集団の誰よりも大きいが、しかしその理由は明確に口にしていない。
自分にとって都合の良い解釈をすれば。友情や仲間意識、そういったものが動機だろう。しかし冷静に考えれば。最悪の場合には早期に危険分子、つまり彼を排除すべき、と考えているのが妥当だ。ついでに言うと自分が彼を拘束できるのはその彼自身からも聞いていることであり、最良の機会が今であるのは間違いない。
もちろんそんなことをさせるつもりは毛頭ないが……とは言え。その場合にはどうすべきなのだろうか。彼を解き放ち、自分を含めた全員の命を捨て、何かの機会に彼が正気を取り戻すのを願うべきだろうか。
これが最後とでも考えながら、彼に微笑みかけでもするのだろうか。
村を出た足は北へと向かう。
自分の目的である彼が向かった方角も同じだったと聞いている。目的も定かでない歩みの先など予想し得ないものの、逆に方角を変える意味も思い当たらない。
そういった意味ではオレンブルグの彼らの仲間の所へ向かったという最悪に近い状況も考えられるものの、しかし自分の目的からすれば足止めとなり助かる、という思いもあった。まさか口には出すまいが。
「そういや」
「?」
近くを歩いていたスライさんが思い出したように話を始める。
「オルビア達には少し手前の集落まで戻ってもらった。何かで散り散りになった場合……色んな意味で行けるかはわからねぇが、オレンブルグのどこかの町へ向かった方が近いかもしれねぇ」
「確かにそうかもしれません。じき、国境ですよね?」
「そうだな。それと……」
続かない言葉に、顔をスライさんの方へと向ける。同じようにこちらを向いた彼は苦々しげに再び口を開いた。
「レイスちゃんには悪いが。リューン、あいつが駄目そうだったら俺は火球で吹き飛ばす。ここにはライネも来てくれている。あいつだって色々な手立ては講ずるだろ。詳しい事はわからんが。……あいつに任せて、それでも駄目だったらの話だ」
リューンが彼を信頼するのが心底わかるような言葉だった。何しろ、そんな事を口に出す必要などない。わかっていれば自分は邪魔をする。意思表示さえしていなければ不意だってつける。彼を殺すのであれば後でも先でも私を手にかけるしかない。そんな事もわかっている筈だ。
だのに真摯というか馬鹿正直というか。
彼が正気を取り戻せなかった場合には殺すのか、などと聞くべきではないと考えていた。しかし、スライさんはその場合でも気休めの嘘などつかなかった。
そんな事を言われたら即座に敵と見なして排除に動く。自分はその程度には理性的でないと思っていたが……口に出す相手によっては理性的に受け止められるものなのだろうか。
巡る思考と言葉にならない唇の動きに、訝し気な表情が返る。
「考えは理解します。もしも戦うのであれば今が一番の好機でしょう」
「いや好機って。レイスちゃんよぉ」
「でも、私は絶対に認めませんし諦めません」
「まぁ。そりゃそうだよなぁ」
「……当り前じゃないですか」
穏やかな表情で軽口のように交わされる言葉たちは、しかしそこに含まれた冷たい事実をも明白にしていた。




