09
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「どうだ?」
戻ってきたライネに声を掛けた金髪は、返事代わりの渋い顔に再び視線を焚火へと戻す。
首尾を聞いていたのはアルメの右腕の治療についてだった。何しろ握り潰されるなどという普通ではない傷を治療させているのだ。生半可な切り傷や刺し傷、もっと言えば切断された四肢でさえ彼女は繋げて見せる。しかし彼女の弁によればああいった怪我が一番治療しづらいらしい。
「十分な時間と運動があれば遜色ない程度には。違和感は消えないかもしれませんが」
「いや十分過ぎんだろ。お前さんがいてくれて助かった。本当に。……大変だっただろ」
「い、いいえ。気にしないでください。ただ、体よりも精神的な所が問題でしょう」
「そうかもな」
ため息交じりの返事をしながら焚火の中へ小枝の切れ端を投げ込む。
あの後。
立ったまま気絶していたミデルと、激痛の筈にもかかわらず気絶できなかったらしいアルメを何とか馬に乗せて戻ってきたのだが。
前者は兎も角。後者はまるで生きた屍であり、出血量と恐らくは直前までの恐怖で呼びかけにも応じない始末だった。
肉体的な損傷は腕だけで、首を握りつぶされなかったのを幸運とする考えもあるだろう。しかし、明らかに分が悪いとわかっていた相手とは言え、覚悟を決めて対峙した挙句に一方的に殺害される直前まで追い込まれた所で命拾いした。そりゃあ心だって折れる。
その彼女は意識を取り戻したミデルに寄り添われているが……あの後、一言も口を開いていないらしい。
「彼らのことにあなたが責任を感じる必要はありません。むしろ命拾いさせたと考えるべきです」
「そりゃどうだかな。さっさと逃げてりゃ無傷だったかもしれねぇんだ」
「スライ。それよりも……同行するつもりですか?」
「あー。正直まだ迷ってんだよなぁ」
「ここで引き返しても誰も責めませんし、私がそんなことはさせませんよ」
顔を上げると決意じみた顔でこちらを見つめる彼女と目が合い……再び炎へと視線を落とす。
「させませんってお前なぁ。そりゃまぁいいとして。ここで引き返したら、次はあれの討伐で出かける羽目になるかもしれねぇ。レイスちゃん無しでだ。それなら拘束する手段だけでもある今のうちに、だろ?」
「その役目は誰かに託せばいいじゃないですか。あなたが責任を感じるのはわかります。友情やそういった所も。しかしそれであなたが命を落とす事にでもなれば……」
恐らく。顔を上げれば、今度は先程とは違った感情の瞳で見つめられているだろう。
「大丈夫だろ。楽観的かもしれねぇが、動きさえ止められりゃあ」
続く言葉は口にしなかった。
今朝までは友人だった物。恐らくその時にはそれに寄り添っているであろうレイス。状況次第では2人を纏めて吹き飛ばす、むしろそうなる見通しの方が濃いかもしれない。同行する目的はその時までのレイスの護衛でもあるが、実際には……吹き飛ばす方が自分の責務だ。
そんな覚悟を決めさせた理性。しかしそれを口に出すのを友情や恐怖といった感情が拒否している。ライネにもそれがわかっているのかもしれない。
隣に座る彼女が願うような胸の中の温かいものを、そんな思考が朝露か何かのように冷やし切っていた。
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やがて迎えた朝焼けを眺めながら、レイスはゆっくりと体を起こした。
大きく息を吸い込む。体の芯の部分を冷やすような感触を覚えながら、今日一日、あるいはこれから数日のうちに起こり得ることについて再び巡る思考。しかしさんざ繰り返された行為は大まかな纏めで締めくくられる。
目的は少しも変わっていない。どんな犠牲を払おうが彼を探し出し連れ戻す。
冷たいままの体の芯に言い聞かせるように、まるで隣の彼がいるように小さく囁く。
「……早く。帰りましょう」
無意識に近い、ともすればただの吐息と大差ないそんな言葉。
「そうだな、そうしろ」
口にしたつもりもない、そう大きな声でもなかった筈だが……隣で眠っていたオルビアが目を開いていた。
「すみません。起こしちゃいましたね」
「なぁレイス。私たち、友達だよな?」
言葉の真意を量り兼ねて――いや、言いたい事など本当はわかっている。しかし。
「オルビアさん、大丈夫です。一緒に戻ってきます。戻ってきたら私だけじゃあ足りないのでオルビアさんからもあの人に、リューン様に文句を……」
震える言葉の先は続かなかった。代わりに出てくるのはため息じみた嗚咽。
歪む視界と抱きすくめられる震えるようなあたたかさの中。一晩中あらゆる可能性についてさんざ巡った思考は、静かに泥の中に沈んだ。
一刻ほどの短い眠りから覚め、集合場所である隊列の先頭部分、更にその先で待つ。
あの後、オルビアは何も語らなかった。胸の中で眠っていたのは少し小恥ずかしかったが、見上げた顔に笑いかけてくれた。それで十分だった。……語るべきことも聞くこともない。
久々に感じる人の温もりを記憶の端に追いやりつつ、死地かもしれない行き先への連れを待つ。
振り向いた先の大所帯から目を逸らし軽く瞳を閉じてからどれほどの間だろうか。やがて現れた見慣れない面々にゆっくりと立ち上がった。
「よろしくお願いします。昨日お話しました通り、私は彼を拘束する手立てを持っています。その段階で……申し訳ありませんが、正気に戻してあげてください。お手間を掛けます」
「わかっている。俺たちにしてみれば遭遇しないのが一番助かる話だけどな」
「はい。しかしスライさんも言っていました。今回遭遇しなくとも今後必ず彼を探す必要が出てくると」
「その通りかもな。いま解決できてしまうのが一番望ましいのは事実だ」
そんなやり取りをしつつ、彼の後ろで控える残る面子の様子を窺う。この中の3人ほどだろうか。最初から彼に得物を突き立てるつもりの者は。
その程度は想定の範疇であり怒りを露わにすることもない。彼らの主導者役の目の前の男からは恐らくはそんな雰囲気を感じない。それで十分だ。
軽く頷いて見せ、目的地へと踏み出そうとした時だった。
「おいおい、ちょっと待てって!」
聞き慣れた声に足を止めた。
振り向くと、背にしていた大所帯からスライが小走りに駆けてくるところだった。その荷姿にも、その後ろをついてきているライネの姿にも大して驚きは感じなかったが。正直に言うとそうであれば有難い、と考えていた節はあった。
「……スライさん。どうしたんですか」
「置いてくつもりかよ」
わかっていながらの問いに、非難じみた風な返事が返る。
「お礼やお詫びは戻った後に――」
「んなこたいいっての。待たせて悪いな、さっさと行こうぜ」
社交辞令じみた言葉を大柄な金髪が掌で遮りながら歩き出す。それに誘われるように歩き出した集団の背中を眺めつつ。この幾つかに氷の槍を突き立てる羽目になるかもしれない、そんな事を考えながら自分も少し重い足を動かし始めた。




