07
大した情報を得られることもなく数日が過ぎていた。
オルビアは当人の言葉通り、昨日には王都へと出発した。
出発前にわざわざ俺の家に顔を出し、同日出発する旨と「やっぱり占いの結果も良くないから北に向かうのはやめておけ」などとどう取ればいいのかわからないような言葉を置いて行ったが。
まだ時々は続けていたらしい占いは兎も角、彼女の勘はあながち当たらない訳ではないのだろう。少なくとも、先日のウルムの時はそうだった。それでも自分の中では、やってられるか、などと言いながらも手綱を振るう姿の印象の方が強いのだが。
とは言え。彼女も既に古株ではあるものの、年や経験、立場の変化で心構えとかそういったところが変わるのも当たり前の話ではある。……自分だってそうだ。
少し懐かしい街並み。足は冒険者ギルドを通り過ぎ、かつての拠点、草原の伊吹亭の近くだった。
この角を曲がった先。レイスが着替えて出てくるのをよく店先で待っていたことを思い出す。先程からの思考もあり、少し感傷的とでもいうような感覚を覚えながら曲がった先の見慣れた店先。そこに、この所やたらと縁のある奴らの片割れが立っていた。
「何やってんだ? ここ、食べ物うまいよな」
「あ。あれ? フライベルグさん。どうしたんですか?」
出かけた欠伸を遮られたミデルが、相変わらずの力の抜けるような返事を返してくる。
「あっちの武器屋に用があってたまたまだ。それで、お前はこんなところで何やってんだ?」
「あぁすみません。アルメが着替えてるんで表で――」
「着替えて? お前ら、ここに?」
「あれ。言いませんでしたっけ?」
「……なんてこった」
「え?」
「2階だろ?」
「あら。珍しい客だね?」
ひどく懐かしいような、つい先日聞いたような、そんな声に振り返る。店先で話し込む男二人に声をかけたのは、店の女将であるルシアだった。
「ルシアさん。3番目?」
つい先日、仕様もない比較として目の前の当人を思い出したことを内心で謝りつつ。挨拶にしてはあんまりな内容ではあるものの、とりあえずの疑問点を少し上ずった声で口に出す。
親指で指されたミデルは隣で怪訝な顔をしているが。
「なんだ、あんた知らなかったのかい。そうそう、3番目の部屋で――」
「あー、おはようございますルシアさん……なんであんたがここにいんの?」
どうも締まらない話に更に、口の悪い小娘が1名が加わる。それが誰かは説明するまでもないだろう。
「俺が聞きたいくらいだ。ルシアさん、俺たちが出た後は暫く空き部屋だったって事か?」
「あんた少し余計に払ったままで出てっちゃって食事もいらない訳だし、貰った宿代のぶんだけは開けといたんだよ」
「そんな律儀な事しなくたって――」
「追い出されて戻ってくるかもしれないって思ったんだがねぇ」
「そんな事ないって……」
やり取りから経緯を理解したらしいアルメが、少し慌てて話に割り込む。
「ちょっと。じゃあ、あのベッドってこいつが寝てたってこと?」
「こいつって言うな。あと、安心しろ。ここから出る前はレイスだけが寝ていた時間が割と長い。俺は結構な間……床で寝ていた」
「え。」
視界の端、ミデルが何とも言えない顔をしているのが見えた。
「ほんと最悪なんだけど」
「それはこっちの台詞だ。大体、あの部屋にお前ら二人じゃ狭いだろ?」
ルシアとは少しだけ話し込み、店先を退散していた。
昼時を過ぎたとは言え、店仕舞い前に店先でいつまでも話し込む訳にもいかない。……そういえば、雨漏りしていた事は伝えていただろうか。
「あんたと違ってそんなに金まわり良くないっての。それにあの狭さなら……それはいいや」
「なんだよ? まぁ、床で寝るのも慣れれば苦じゃあなかったがな。逆に、たまにいいベッドなんかで眠ると却って調子が悪くなった」
「は? 平気なもんなの?」
「慣れれば別に普通だぞ?」
「確かにそうですね。慣れてきました」
仕様もない経験則に当然の如く同意を返したのはミデルだった。思わずそちらに振り向いた俺に補足するように言葉が続く。
「あぁいや、アルメが男は譲るもんでしょ、って」
「ちょっとあんた、余計なこと説明しなくて――」
「お前な、平気じゃないと思っててこいつを床で寝かせて……ああいや違うか。おいミデル? そういう事じゃない、こいつ一緒に――」
余計なことを言い出しそうな雰囲気を察したらしいアルメが俺の尻を蹴り上げた。
「ちょ、アルメ!?」
「痛って……お前なぁ……」
「うるさい。大体、なんでこっち着いてくんのよ」
「だから武器屋に用があるって言ってるだろ……」
「そんなの知らないし?」
「アルメ、さっき言ってたよ?」
「あんたねぇ。誰のせいで……」
思いきり顔を歪めながら再び俺の事を蹴飛ばそうとする小娘から一歩距離をとる。
「だからこっちに振るなって。ところでお前ら、金がないって言ってたけど仕事どうしてるんだ?」
「言われなくたって――」
「実はちょうど護衛の依頼を受けたところなんですよ。」
「えぇと。それは北に向かう便の護衛か?」
「え? そ、そうですよ。流石ギルドの担当ですね。人数が集まり次第出発だからしばらく待機なんですよ。食事もちゃんと出してもらえるらしいので都合もよくて」
「……ちょっと何。いわくつき?」
能天気なミデルの言葉、その後に続くアルメの声は心なしか鋭い。
止めるべきだろうか。今のところ聞いている規模での護衛であれば、オルビアの不満顔以外の不安要素はない。しかし、小娘の方は俺の表情からよくない物を察したらしい。
「いや。よくわからない、というのが正直だな。その情報収集もあってここにいる。とりあえず、あそこのギルドの仕事は食事が付くから俺もよく受けていた。味は保証しないがな」
「あんたも来ればいいじゃないの。あんな人数じゃあ誰か頭を決めないと混乱するし」
「お前、俺のこと監視しに来たんだろ? この間まで戦っていたの知らないのか? そんな相手のところに指揮していた人間がのこのこ行けるか。それに……」
「それに?」
「そろそろ大人しくしていないと叱られる」
「……。」
アルメの、何を言っているんだこいつは、とでも言うような顔から視線どころか進路も外す。
「冗談だ。じゃあな、目的の情報収集にいく」
「ちょっと。真面目に危ない話なら教えてよね。私は兎も角、こいつはまだ駆け出しみたいなもんなんだから」
「アルメ……。それは否定しないけどさぁ」
「本当に危ないってのが確定なら、仕事の内容自体が護衛じゃあなくなるだろ。さっきも言ったが本当にわからん。何か助けになりそうな話があれば出発までに一度来る。……住処も分かったしな」
軽口の応酬を終え幾らでもなく武器店の入り口にたどり着いた足が、そこで一度止まる。
彼らも含め、顔見知りや友人があれに同行するとして。
仮に何かがあった場合、俺は原因もわからないままに彼らを死地へ送り出してしまったことを悔やむのだろうか。仕方がない事だったと割り切れるのだろうか。
例えばそこに、金髪の魔術師が同行していたとして。何かの変更でオルビアが行くことになったとして。以前の仕事で同行した斧使いや名前も忘れてしまった若い魔術師や顔見知り程度の相手達。
そうならないよう一人一人にそっと、危険だぞ、報酬なんかより命が大切だ、今ならやめられるぞ、などと耳打ちして回るべきなのだろうか。
以前グレトナが、若い奴らが全線で死んでいるのを後ろで眺めているのなんて我慢ができない、などというような事を言っていた。俺もそれには同感だった。
立場が変わり、色々な情報が耳に入る。どんな事であれ知らないよりは知っている方がいい。そう思っていたが。
きっと東の英雄は一息の間にでも決断し、あの長剣を無心に振るっていたのだろう。
そして俺は……そんな風に全てを抱えていけるのだろうか。レイスは?ミリアは?生まれてくる子は?
再びの感傷じみた感覚をため息で吐き出しながら、武器店の戸をくぐった。




