06
オルビアのところを出た足は、そのままアレンの屋敷へと向かう。
人の多い幾つかの通りをすり抜け、もうこんなところには来ない、などと何度同じことを考えたかわからない光景を目にしていた。
じきにその朝を迎える売春宿が立ち並ぶ通り。まだ商売用の顔でないその主役たち。既に顔見知りとなりつつもあるその一部からの視線を無視して見慣れた路地へと入り込む。
向こうも見慣れた光景になりつつあるのであろう、見張り役の若者はこちらを見付けると軽く頭を下げて小じんまりとした屋敷の中へと早足で入っていった。
大した間も無く戻った若者に促され、二階への階段を上る。
「……改めての用という訳でもないんだが」
「丁度いい。此方から繋ぎを取る手間が省けた」
「何の用かは知らないが遠慮しておく。来たのは一応聞いておきたいことがあっただけだ。この所――」
今日二度目になる説明を始めた俺の目の前で、アレンが軽く掌を見せる。
「大体わかっている。何しろうちも迷惑を被っている話だ」
「何か心当たりが?」
「それを聞いてどうする。俺たちの代わりに犯人を見つけて川に沈めてでもくれるのか?」
少し間違った質問に、アレンが軽く顔を歪めながら答える。
「……。」
「騎士殿の問いに答えるならば、身に覚えはない、だ。それを聞いてどうする?個人的な答えの場合でも結果は一緒だがな」
「?」
「要するに本当に何も知らん。襲われた荷には比較的に高価なものが含まれていた。それを狙った線は捨てきれないが」
「今回だけ狙われる覚えはない、と?」
「そういうことだ。俺達はいつ背中を刺されるかわからないとは思っているが、ちょうど今回が特別という訳ではないし、荷物もそういった性質のものではない」
確かオルビアは何か武具の類だった、というようなことを言っていた。ただ特別に名のある物でもなければ改めてこいつらの荷物を襲う理由は薄いだろう。
今でこそ荷の往来は少ないものの、本来オレンブルグとは魔術の絡む武具の行き来が多い。どんなものでも金になればいいのであれば、こいつらが絡む物を狙うのは得策ではない。
「そうか。急で悪かった。邪魔したな」
少し予想通りでもある結論に立ち上がろうとした俺の目の前で、再びアレンが掌を広げて見せる。
「まぁ待て。あれから報告を受けている」
「あれ?報告?……アンナか」
「報告など聞くまでもなかったがな。遅れてしまっているが、祝いの品を用意している途中だ」
「いらん」
「そう嫌うな。盗品でもないし、賄賂でもない」
あれ、というのは赤髪のことだろう。
何か改めて報告されるほど内密に進めていたつもりもなかったが。
「本当に何も欲しい物がないしミリアも嫌がる。一応、礼は言っておくが」
「そうか。用はそれだけか?」
「ああ。強いて言えば……いや。何もない」
「そうか。てっきり輸送ギルドの件で何か言いに来たものと考えていた」
今まさにつぐんだ内容を口にされ、思わず顔が歪む。
「……。」
「騎士殿の頼みという事であれば手は引くぞ。口にしなかったのは賢明だと思うが」
「口を出すべきじゃない話なんだろ。どうかと思うが、弁えてはいる」
苦し紛れの返事をしながら、言葉までも立場に縛られている事実に内心で悪態をつきながら立ち上がる。
「そうだな。まぁ商売の一環だ。あまり口を挟まないでもらいたい所ではあった」
「……。」
「何かあれば知らせるようにはしよう」
あまり意味もなさなかった話をしていた時間。その間に朝を迎えたらしい売春宿の並ぶ通りを歩く。
若い客引きの女がこちらに寄ってくるのを、近くにいた年上が引き留める。別に声に出すでもない礼じみた感情を、左手を軽く上げて見せる。
まだ闇に染まっていない空を一瞥し、家に戻る脚を少し早めた。
夕食を終えたあと、再び眠いなどと言い出したミリアに付き添い、枕元に腰かけていた。
流石に毛布の上からもわかるようになりつつある膨らみに軽く触れる。その手に重ねられる白い掌。
軽く振り返った先、枕から軽く微笑んで見せる顔は、少し肉付きが良くなったように思える。……まさか口には出すまいが。
「先生さ。さっきの話なんだけど」
さっきの話。俺が留守の間にヴェツラの話を大まかに聞いていたらしいミリアから今日の首尾について聞かれ、それを説明していた。当然、アレンの所で聞いた話は説明するわけにはいかなかったものの、その内容はオルビアの所で聞いていた事と差異がない。
「ああ。結局、何が目的なのかわからない」
「あのね。私怨がどうのって話がきっと分かりやすいんだろうなって思って」
「被害者の共通点がわからないって話だったよな?」
「そうそう。それでさ。このくらいの被害だと多分さ、先生が行く羽目になるんじゃないかなって」
「嫌だ」
「私だって嫌だけどそういう話じゃないってば。仮定の話でさ、私怨の先が先生だったりすると辻褄が合うのかな、なんて」
「……。」
確かに仮定として成り立つ話ではあった。
オルビアの言葉ではないが。オレンブルグに俺の首を持ち込めば、いくらかの報奨金は貰えるだろう。報奨金は兎も角、恨みを買っているかもしれないという点ではアレン以上に敵が多い可能性が全く否定できない。しかし。
「ひどく回りくどいな」
「そうだよねぇ。さっき考えてて無理やり理屈を繋げただけだからさ。ごめんね?」
「なんで謝るんだよ。身重の家内にこんな心配させている俺の方が謝らないといけない」
「あぁ、そうだ。……心配な話。レイスからも色々聞いてるけどさ、本当に大丈夫?」
それは、何が?と聞くような話ではないだろう。
「自覚はまるでないんだけどな」
「知ってる。レイスもそうなんだと思う、なんて言ってたけど。とりあえず、最近食べすぎなのは気付いた方がいいと思うよ?」
肉付きが良くなったのは俺の方だという事だろうか。別に太るとか痩せているとか、正直どうでもいい所ではあるものの、思わず残った手が顎のあたりを撫でる。
「えぇと。少し太ったか?」
「全然そうは思わないけどさ。あんだけ食べてるのに太らないんだからいいよねぇ……」
「あのなぁ。けどお前は逆に二人分食べないといけないんだから頑張れよな」
「うーん」
「なんだよ?」
「子供が産まれた後に太るとかなんとかって聞くからさぁ……」
「別にお前が太ろうと俺は気にしないぞ?」
「そういう問題じゃないんだってば。それにさ、そんな事言って後悔しても知らないよ?」
「別に後悔なんて――」
口の端を上げて笑って見せるミリア。その体が例えば草原の伊吹亭の女将ルシアのようであったとしたら。そんな事を考えつつ、そういった例えとして思い出したルシアに心の中で小さく詫びる。
「ほーらー。やっぱり、少し目のやり場に困るくらいじゃないとね」
「……。」
「でしょ?」
「いや……他所で見せびらかさないなら」
「あのねぇ。他人になんて見せないってば。でも、たまには嫉妬とかしてもらった方がうれしいけどねぇ」
何という事もない、指先がゆっくりと触れ合うような言葉のやり取り。更に指が絡むような幾つかの言葉を交わすうち、そこに欠伸が交じり始めたミリアの瞼に掌を載せる。
掌の下で目が閉じられる感触。それと同時に大あくびを見せ付けつつ、ベッドの上のミリアがごそごそと横にずれ始めた。
その意図を理解しつつ若干迷う俺の背を押すように、彼女の右手がベッドの空いた部分を少し乱暴に叩いて見せる。
「わかったわかった……」
「たまにはいいでしょ? 寝相も最近よくなったって言ってたじゃん」
「そういう問題じゃあないって」
何と言うか。いい訳じみた言葉を述べつつ、首を上げて見せた彼女の枕の下あたりに左腕を通す。位置を調整するように小さく何度か動いたミリアの頭は、ちょうど座りのいい位置で再び静かになった。
「どういう問題? あ。この間さ、先生……ややこしい。お医者さんが、もう少ししたら落ち着くからあまり無理しなければ大丈夫って言ってたよ?」
「……。」
「言ってたよ?」
「わかったって。しかし無理しなければってどういう説明だよ……」
以前、一度顔を合わせた医者の顔――確かライネの知り合いで、その筋では比較的有名な女医だと聞いていた――を思い出す。そんな事をわざわざ言うような人物には見えなかったが。
伸ばした左腕の先。寄り添った太腿。彼女の指先がその辺りを一通り撫でまわし……大した間もなく、隣から満足したような寝息が響き始めた。
やたらと安心するようなその息遣いを聞きつつ。明日からすべき事を整理すべく、今日あった出来事を一度記憶の中で反芻し始める。
しかしその確認がオルビアの家に至ったころには既に、俺もその寝息がまるで聞こえない程度の寝息を立ててしっかりと眠りこけていた。




