新日常パート03(休憩)
テーブルの上に並ぶのは少し固い鶏肉と湯がいた芋。昼食には十分だ。
以前何処かで食べた胸やけするほど脂の乗った料理も捨てがたいが、無駄に豪勢な物ばかり口に入れるのは体に毒なように感じられる上、何よりどうも安心する。……自分の舌が貧しいためだろうか。
それでも芋は自分で皮をむく必要がないし、肉には嫌味ではない程の味が付いている。
旅先でただ腹を満たす為に口に放り込むやたらと塩辛くぱさぱさした肉や固い芋とは違い、他所に気を向ける余裕もできる。
要するに――彼女達のいつまで続くのかわからない話をぼんやりと眺める程度には余裕がある、という事だ。
昨日ドレスを確認に行った2人はその話を起点とし、先程から「おまけ」について話し込んでいるらしい。それが一体何かは分からないが――そのうちに何か意見でも求められるのだろう。
とは言え。フォークを突き立てた小さな芋の先に見えるレイスの方はどうも考え込んでいるように見える。
「でも……どうかなぁ」
「かわいかったよ。そんな心配する事ないってば」
「うーん」
「あれだけで見るから派手に見えるんだって。後で先生にも見てもらえばいいじゃん」
「何の話をしてるんだよ」
「内緒」
「なんだそりゃ」
「いやあの……」
ミリアは俺からの、そして隣からの少し困ったような視線を気にもせず、小さめに切られた肉を口へと運ぶ。
そしてそれをゆっくりと飲み込んだ後、相変わらず向けられたままの視線にやっと答えた。
「まぁどうせ? 大丈夫だ似合ってる、とか言うんだろうけどねぇ」
「それじゃ全然わからないだろ……」
「まぁいいじゃん。そんな事よりレイス、肩口の――」
再び俺の知らないドレスについての話をひそひそと始めた。こちらに申し訳ないような視線を向けながらも移った話題について真面目に答えているレイスと、流れとは裏腹に大真面目な様子のミリア。
結局取り残された感もあるものの、確かに彼女達にとっての事の重大さは認識しているつもりである。
大体の場合それは一生に一回の出来事で、その晴れ舞台に身につける衣装に無頓着な訳などない。
いつものような溜息を吐き出す事もなく再び芋にフォークを突き立てながら……以前、オルビアとそういった話をした折の事を思い出していた。
「お前はそういうのどうでもいいとか思ってそうだよなぁ」
「そんな事は……ないと思う。あいつら色々考えてるみたいだからな任せてるけどな」
相変わらずの上からの物言いに、しかし心底否定も出来ない話ではあった。
「あぁ最悪だな。一緒に行って色々と肯定してやって……いや、いいのか。この場合。なんだってこんな奴に」
「勝手に納得するな」
「お前が恵まれ過ぎているって話だ」
「だから一体なんだよ?」
大げさにため息をついたオルビアはそれきりその話はしなかった。
……何れにせよ、ふと思い出しただけで何かその答えが出た訳でもないのだが。
残り1つとなった鶏肉の切れ端を、二人に確認の視線を送りながら口の中へと放り込んだ。
「で。どうだ?」
「もうほぼ完成。本当に手直しだけ。……ドレスの話でいいんだよね?」
ベッドに座ったミリアからの笑み交じりの確認に、軽く頷いて見せる。
「合ってる。いい加減、一度くらいは見たいけど。いいか?」
「明後日なら丁度いいかな」
「? まぁいいか。じゃあ明後日、店に着いて行かせてくれ」
「うん。ところで――」
脇に置いてあった数枚の紙、そこに整然と書き連ねられたものを取り上げた。
その当日、ここに来るであろう客の一覧を読み上げ、俺が担当する範囲についての確認をてきぱきと済ませていく。その一覧の数と確認された数、そこに大きな開きがあるのは兎も角として。
一度確認を終えたミリアは次に上から名前を読み上げていく。
「なんだか。知らない名前が多いな」
「え。見れば思い出すんじゃない? 例えばこのラールって人」
「ラール? そんな知り合い居たか?」
「ミネルヴ……さま経由で話が伝わっていたらしくて。使いを寄越すって手紙が来てたよ?」
「誰だ? 取り敢えず、当人の肖像画でも持ってきてくれれば有難いな。結局分からないではその使いも顔が立たないだろ」
「あのね、先生。そんなの持って来る訳ないでしょ。もう、明日レイスにも確認しなくちゃ」
大げさにため息をつくミリアに苦笑いを見せつつ、彼女の上からその名前たちに目を通していく。一部にまとまって並ぶ名前は、ミリアの家の縁者なのだろう。
今更ではあるが、彼女はこのパドルアにおける所謂名家の娘だ。
自らも選択した事とはいえ……この少し歪んだ婚姻について、何か不都合があったりはしないのだろうか。
「なぁミリア。今更だけど……この辺りの人たち、何か言われたりしないのか?」
「ないない。先生はさぁ、自分の名声にもう少し気を配ってさ、その何て言うか。利用した方がいいよ?」
「利用? 名声?」
「前にも話したけどそれなりに有名だからさ。もっと自分は云々をしてきたって広めると、色々と役得だよ?」
「?? 話がずれてる気がする。とりあえず広めるってどうやってだ? でもそういうのは面倒くさいから――」
「背中に名前とか書いた紙を張っておくといいかもしれない、かな?」
「貼るか、そんなもの。」
憮然とした表情に、ミリアはけらけらと笑いながら手元の紙を束ねる。
「だから。そんな人の所にくっついて行くのに、文句言う人なんていないよ。あぁ先生が色々失敗すると言い出しそうな人はいる」
「失敗すると?」
「失脚すれば、だから私はあの時やめた方がいいって言った、とか言い出しそうな人はいるけど」
「……責任重大だな、って答えでいいか?」
「責任重大だよ。そんな人の話なんてどうでもいいけど、この先ずっと私と……レイスを守って貰わないといけないからね」
再び笑みを浮かべるミリアは、束ねた紙を半ば放り投げるように傍らに置く。もうそこへ目を落とすつもりがないのだろう。
「分かってるって。そもそも護衛が仕事の殆どだった。守る方が得意だ俺は」
「……あのね、先生?」
「冗談だ。分かってるって」
少しふざけ始めたやり取りを交わしつつ、彼女の隣に座り込んだ。
「じゃあ明後日見に行くってメニルさんにも伝えておくよ」
「あぁ、頼む」
「はいはい」
軽い返事を聞きながらも、一瞬その名前に人物を思い出せずに軽く巡る記憶。……確か服屋の店主でミリアの古い知人だ。
自分の記憶のいい加減さに内心ため息をつきつつ、逆に未だ新しい記憶を掘り返す。
「そう言えば。昼間話していたのは結局何の話だったんだ?」
「昼間?」
「おまけ? がなんとかって?」
「あぁ……」
「気になるだろ?」
「えぇとね。それは明日にでも直接聞いてよ」
滅多に聞かない程度に気が乗らないその声に、軽く彼女の方へと振り向いた。
その声色通りに軽く視線を落としていた彼女が、ゆっくりと顔を上げる。
「あのね、先生?」
「……なんだ。改まって」
「すっごく言いづらいんだけどさ」
「ああ」
こちらを見上げたまま、続かない言葉。
懸命に考えている様子の彼女を眺めつつ……俺はある種の結論に辿り着いていた。
「あのさ。」
「いや。さっきの話は流れで気になっただけだからもういい。それよりも、お前のドレスの話を聞かせてくれ」
「へ?」
「実物見るまで内緒ならそれでもいいけど。先に少しくらい……いいだろ?」
間の抜けた顔に苦笑いしつつ、嫌か?というだめ押しに、しょうがないなぁ、などと言いながらミリアは立ち上がり、近くの戸棚に手を掛けた。
引き出されたのは、以前彼女達と一緒に立ち寄った店で見た、簡単な絵。それは何枚か重ねられており、あの時の物とは書き込まれた線の数が明らかに違う。
最後の一枚を後ろに隠したミリアは、そこに描かれた華やかな線の数々について嬉しそうに説明を始めた。
胸元から始まり、足元で大きく裾の広がった曲線の集まり。
良く知っている事ではあるのだが。その体形通り膨らんだ胸元、それとは対照的にくびれた腰回り。そして、並んで歩きづらそうだったから、という彼女の説明通り、その内側に幾分か収めた線が書き重ねられている。
そこに書き重ねられた装飾の花とレースの意匠。それらへの説明に、ああ、そうか、などと相槌を打ちつつ、時折確認のように見上げる表情に、笑いながら頷いて見せる。
「なぁ。お腹は大丈夫なのか?」
「もうどんどん出てくるって。いそがないと」
その気はないが、また衣装を作り変える訳にもいかないだろう。何かでまた先になれば何時になるかも不確かな上、既に何度も延期しているようにも感じる。
先ほど紙を指さして説明していた時の、願いが叶った子供のような嬉しそうな顔に、「また今度」などと無粋な言葉をかけるのはもう流石に遠慮したい。
そして。そこに描かれた雑然とした絵は、正直なところ文句のつけようがない物だった。
……そもそもだ。改めて口にする事はそうそうないだろうが。
彼女を一言で表すのなら、ひどく美しい、だろうか。先ほどからの嬉しそうな表情も、少し憂鬱そうな表情も、男なら間違いなく目を奪われるであろう体の曲線もだ。
そして。その曲線の中には新しい命が宿っており、更にそれを包んだ繊細なレースの上には、この嬉しそうな顔だ。
それがどんな物であれ、文句を付けるところなど……何処にあるのだろうか。
「なぁ、その隠したやつが最後なんじゃないのか?」
「こっちは完成品とまるで一緒だから見せない」
「なんだよ」
「明後日には見られるからね? あんまり変わらないけど。何かご意見は?」
「ない」
「えぇ? ちゃんと見てんの?」
「いやいや。さっきから懸命に考えて、これを身につけたお前を想像したんだけどな。何て言うか」
「なんて言うか?」
「えぇと。なんていうか。美しい?」
「……やだなぁ、もう」
目の前で手をひらひらとさせているその顔に、強いて言えば、の意見を続ける。
「なぁ。でもこれ、ちょっと胸元開き過ぎじゃあ……」
「そう言うと思って、完成品はもう少し上まであるから大丈夫だよ」
「……そうか」
「やだなぁ先生。見せたくないとか?」
わざとらしく意地の悪そうな笑みを浮かべて見上げる顔、そこからは視線を逸らしつつ、そりゃあまぁ、などと曖昧な相槌を打った。




