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冒険者と奴隷少女の日常  作者: 超青鳥
ミリア・フライベルグの日常
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ミリア・フライベルグの日常04

久し振りに感じる玄関の戸を開く。

見慣れた風景。右手の応接間の扉。そして左手の扉の向こうにあるのは戻るべき日常の筈だった。




「あの。ミリアさんが」

丁度扉を開いた先で顔を合わせたエステラは、少し考え込むような顔をしている。


「どうかしたのか?」

「その。昨日から降りてこないので」

「昨日から?」

それは確かにおかしい。それに、戻れば彼女が出迎えてくれるというのが今迄の常だった。

何かあったのだろうか。先に帰ったレイスは? しかしそんな疑問を打ち消すように響く赤髪の声。


「あれ、ご主人。遅かったっすね」

「……レイスは?」

「後はご主人が二階に上がればそれでいいっす。多分」

「なんだ? 全然意味がわから――」

「だから早く行って下さいってば。で、あとでベルタさんからも話聞けば大体大丈夫っすよ」

やはり意味が分からないその言葉に首を傾げつつ、しかし目的地が変わる訳もない。少し早足になった右足を階段に掛けたのはその直後だった。






「開けるぞ?」

可愛らしい装飾の施された扉。見慣れたそこに手をかけ、軽く開いたままだった戸をそのまま押す。


ベッドの上で足を崩し、口に人差し指を当てて見せるレイス。そして、その膝の上で静かに眠っているミリア。俺の目に飛び込んだ光景は、恐ろしく穏やかな光景だった。

とは言え飲み込めない状況に、軽く首を傾げながら後ろ手に戸を閉じる。


ミリアの透けるような髪に掌を当てるレイスが、その横顔へと視線を落とす。そんな様を眺めながら、彼女の指示通り物音を立てないようそっと隣に座り込んだ。


「遅かったですね」

「ああ。けど、大体済んだ。どうした?」

「少し、不安なんですよ」

「不安? 何か話したのか?」

「話し疲れて寝てしまいました。色々あったみたいです。後で直接聞いてあげて下さい」

「……わかった」

やはり釈然としない顔をしていたであろう俺の隣。高級絹のような髪の中をレイスの傷だらけの指が通り抜ける。


「リューン様。私、ずっと羨ましかったんです」

「羨ましい?」

「きれいな髪。肌も、顔だって。私が持っていない物を、ミリアはみんな持ってるんですよ?」

「お前な。そんな――」


「ミリアには内緒ですよ?」

「ああ、わかったけど……」

「私は。まだ足りないかもしれませんが、あなたの力になる事ができた。何の恨みもないどこかの誰かを手に掛ける、そんな事でも私にはとてもうれしかったんです」

「足りない事なんてない。お前がいなきゃ、もう何度か死んでると思う。それに……恨みもない誰かを、なんて言わないでくれよ」

恐らくは曇った表情を浮かべたであろう俺に、レイスが慌てたように笑顔を浮かべる。


「すみません、それでもうれしいっていうお話です。それに、少し話す事を間違えました。私の事は置いておいて。ミリアも昔の私と同じことを考えていたみたいです」

「……。」

昔というのは。出会ってそう間もない頃の事だろうか。


「自分は何の力にもなれず、ただ、あなたの庇護の元で生かされているだけだと」

「俺はそんな風に考えた事なんてないって」

「分かってます。あなたは何も求めない。だから却って辛いんですよ。そのあなただけを死の淵に立たせて、時々疲れたような顔を見ている事しかできないのは、少し辛かったです」

「……ああ」


「でも最近、あなたの気持ちが少し分かりました。帰る所があるのは、とてもうれしい。どんなに血に塗れていてもお帰りって言ってくれる。だから辛い事だって耐えられるし、きっと帰る事を諦めたりしません」

かつて住んでいた、狭い部屋を思い出す。

そこで生きていくための仕事。命を失うかもしれなかった幾つかの場面。確かに自分の命を繋いでいたのは、帰る場所があるからこそだったのかもしれない。

穏やかな笑みを浮かべた右目が見下ろすのは、少し涙の痕が残るミリアの横顔。

視線は彼女たちの姿を幾度か往復し、やがて軽く息を吐きながら明後日の方向へと泳いだ。


「だから、ミリアが居てくれるだけですごくうれしいんだって。何があったって迷惑だなんて思わなくて大丈夫。私が言うんだから間違いないよって。――そんな話をしていました」

「確かに迷惑だなんて思った事はない。……世話の焼ける、なんて思った事はあるけどな」

思わず浮かべた苦笑い。そこに帰る右目の視線は、やはり暖かい苦笑いを浮かべていた。


「少し疲れた顔をしたあなたにミリアが飛びついて。そんなとき、あなたがどれだけ穏やかな顔をしてるのかはミリアから見えません。……少し羨ましいくらいなんですから」

「結局、早く帰ってきたいなんて思うのはそういう事なんだよな」

「そうなんですけれど……」

「けれど?」


「あの。あなたは自分が本当はどう思っているのか、あなた自身が全然わかってない風な時があります。ついこの間にも思いました」

「この間って……何かしたか?」

「戦いが始まる前ですよ。覚えてないんですか?」

「始まる前? スライに確か西門へ回れとかって――」


「西門? 違いますよ。早く湯に浸かりたい、なんて突然言い出したの覚えてないんですか?」

「俺、そんな事言ったか?」

「言ってたじゃないですか。もう」

「ぶっ」

「……。」

「……。」

2人の視線が突き刺さるのは。

先程まで静かに寝息を立てていた、ミリアの目がゆっくりと開かれた。少し気まずそうな苦笑いを浮かべ、膝の上からゆっくりと起き上がる。


「少し気まずいな、って思って」

「えぇと。戻った。遅くなって悪かった」

「いやぁ。……お、おかえり? あの、盗み聞きしてたんじゃないよ?」

「ミリアごめんね。ちょっとうるさかったかもしれない」


「いやいや、そんな事ないよ?」

「どこから起きてたの?」

「先生が穏やかな顔をして、何とかって」

「そっか」


「お説教が始まりそうだし、少し静かにしていようって思ってたんだけど」

「ミリア、お説教じゃないよ」

「そっかなぁ。先生、違う?」

「……答えなきゃ駄目か?」

「ちゃんと違うって言って下さいよぉ」

困った顔を浮かべるレイスと、それを見て照れくさそうに笑うミリア。その顔には未だ少し涙の痕が残っているが。


「なぁミリア。気にしないって訳にはいかないかもしれないけど、俺はお前が――」

「もうわかったってば。だからちゃんと帰って来てよね」

「折角なんだから最後まで言わせろよ」

「恥ずかしいってば。ねぇレイス?」


「そうだね。そういう事を言うのは二人の時……に……」

「どうしたの?」

「うん。少し……私も恥ずかしい事を言ったかなって」

「そうだねぇ。ちょっとびっくりした」

「ひどい」

再び楽しそうに笑う二人。


「先生。なに関係ない、みたいな顔してんの」

「そうですよ。大体、いっつも大事な時にいないんですから」

「いやいやちょっと待てって。あのな、暫くは――」


「先生。今帰ってきたばかりだからやめて欲しいよ」

「そうですよ、そんな話をするといっつも厄介ごとに巻き込まれるんですから」

「俺のせいじゃないだろうが……」

ミリアの顔に残る涙の痕に、下がった目尻からの薄い涙が塗り重ねられる。

そして流れる少しの沈黙。それを破ったのは、一度大きく息を吸い込んだミリアの声だった。






「あのね先生。相談があるんだ」

その言葉に薄い笑みを浮かべて立ち上がったレイスが、ちょっと飲み物を貰ってきます、などと言って部屋を出る。

再び訪れた静寂に、ミリアの言葉が静かに流れた。


セイムから軽い警告を受けた事。その警告通りの者達が現れた事。アンナとベルタがそれを殴り倒した事。

一瞬全身の毛が逆立つような怒り。そして……その内容への既視感。


「わかった」

「やっぱり迷惑ばっかりかけちゃうな、って」

「別に迷惑じゃあない。それに、少なくとも俺はあの時の事も……言い方は悪いが気にしていないが、吹聴して回るような奴は殴り倒すに決まってる」

「……あの時もごめんね。私、今でもあの時の先生の顔を覚えてるよ」


「謝るなよ。大体、あの時は俺が甘かった。それに……ミリア?」

「うん」

「お前は俺のその、なんだ。えぇと。……奥さんだろ?」

「え。……ど、どうしたの?」


「だから。頼ったり守られたりする事に疑問や不安なんていらない。俺はお前の事が好きだから、そうしたくてやってる」

「……うん」

「それに、自分の嫁に面倒ごとを吹っ掛けるような奴ほっとける訳ない。そういう輩に強い奴に心当たりがある。さっき聞いた特徴で、居場所を知らないか今から聞いてくる」

「え!? 今から?」

静かに俺の手を握りしめる細い指をそっと振り払って立ち上がった。

こちらを見上げる、何かを必死に考えているような視線。それに軽く笑って見せる。


「一度顔を出してくるだけだ」

「でも――」

静かに扉が開く音。

水の入ったグラスを持ったレイスが穏やかな顔で戻ってきた。


「ちょっと出かける」

「今からですか?」

その言葉で再び軽く俯くミリアに、レイスがそっと肩を寄せる。


「レイスも留守を頼む。分からなければ明日セイムにも聞こう。夕食までには帰る」

「……。」

「なぁミリア。ここを出る時にもいっただろ? お前を守る為なら失敗する気がしないって。この間と比べればパドルアの中で、目と鼻の先だ。すぐ帰って来る」

「わかったよ。……気を付けてね」

彼女に向けた笑み。そこに薄い笑顔が帰るのを確認し、俺は部屋を出た。






確かアレンは、何とかの手袋とかいう店だと言っていた。翌朝には襲撃する、などとも言っていたが……あの時浮かべた笑みはこれの事だろう。


「それならちゃんと説明しろ。あいつ」

独り言を吐き出しながら階段を降り、そのまま玄関へと至った時の事だった。

背中から掛かる赤髪の声に、一応立ち止まる。


「あっれ。ご主人。また出掛けるんすか」

「用ができた。夕飯までには戻る」

「奇遇っすね。私もにんにく買うの忘れて今から買いに行くんすよ。またベルタさんに怒られちゃうんすよねぇ」

「そうか。何時もみんなが色々としてくれるから助かる。俺は――」


「暗がりの手袋」

「……おい」

「昨日の夜、聞いたんすよ。私もその店で買い物っす」

「……。」


「昨日の夜の予定だと残りは話の出元の3、4人。心配してないけれど念の為ついて行け、だそうっすよ」

「アンナ。一人でいい」

「いやいや、それだと私が叱られちゃうんで。でも今度はベルタさんにも怒られちゃうんで夜じゃ駄目っすか?」

「お前には悪いけどな。正直あたまに来る話で、待つ気になれない」


「そうっすよねぇ。しっかしアレンさん、なんであいつらだけ最後に残したんすかね」

「……。」

この流れからして。要するに、俺の手で話を締めさせようとしているのだろう。

世話焼きが過ぎるというかなんというか。


「まぁいい。好きにしてくれ」

「あーでもベルタさんに何て言おう。あーこまったっすねー」

開いた玄関に響く、棒読みの小声。


「後で俺から謝っておく。場所を教えてくれ。夕飯に間に合わなくなる」

「さっすがご主人。話が早いっすね」

「いいからさっさと行くぞ」

「ベルタさーん、にんにく買いに行ってきます!」

遠くから響く、まだ行ってないのかい!?というベルタの呆れた声を背中で聞く。

買い物袋をぶら下げた赤髪に先導されるように、俺は再び家を出た。


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