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冒険者と奴隷少女の日常  作者: 超青鳥
ミリア・フライベルグの日常
219/262

ミリア・フライベルグの日常01

時間は少し遡る。

パドルアの北。リューンがルカネの率いる本隊と合流し、その晩の戦闘を控えていた頃。






「こんなの……誰が読むんだか」

テーブルの上に広げられた書類。

手に持っていた似たような文書をその上に放り投げながらミリアは大きく欠伸を吐き出す。

欠伸交じりの言葉は若干のやるせなさを含んでいた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




自分は、彼らの力にはなれない。

それは痛い程理解している。


先生に同行し、確実にその力となっているレイス。そこに劣等感のような物を感じつつも、そのレイスがまた別の劣等感じみた感情を抱いている事だって知っている。

しかし過去幾度か見かけた、一体となったような彼らの動作。そこに近寄る事も出来ないのであろう自分としては、彼女が羨ましいというのも本音ではあった。

自分は戦場やそういった場面への慣れという意味では、先日ここを訪れたオルビアは当然のこと、下手をすれば護衛か何かをしていたと聞くアンナにも劣るだろう。


先日ここを訪れたオルビア。先生に会ってきたとの事で、当然の如く無事であり首尾も悪くないなどという当人の宣言通りの話に安堵し、軽く涙さえ流したのだが。


「……ま、出来る事をやらないと」

持ち込まれ、そのままになっている文書たち。

独り言を小さく呟きながら、再びの欠伸と共にそれとの格闘を再開した。






「お茶持ってきましたよー」

気だるげな声の赤髪が、力尽きて突っ伏していた私の目の前にカップを置く。

流石にうんざりな気分だった。何しろ、半分どころか三分の一も読み終えていない。


「ありがと。所でアンナ、暇?」

「文字読む時間はないっすねー」

「何する時間ならあるの?」

「それ以外ならなんでも」

要するに、この作業以外なら手伝うという事らしい。


確かに手伝いたい仕事ではないだろうけど。大体、この町を出て数日北に向かえば、そこで血みどろの戦いが繰り広げられていると話だ。この状況でこんな作業が少し滞る程度、問題とは思えない。

そんな事を考えながらゆっくりと体を起こし、先程放り投げた文書に再び目を落とす。


「依頼者の身辺の確認について(再)」

要するに、訳の分からない奴の依頼を出させないように気を付けろ、という事だ。

しかし(再)とは。細かい文字を斜めに読み飛ばして右下に記載された履歴を見ると、どうやら同じ内容の文書が数十回も来ているらしい。恐らく定期的に発行されている注意喚起か何かだろう。

次に目についた文書を取り上げる。


「馬の有効利用について」

馬の修正と、簡単な乗馬術についての記載。

……少なくとも、先生にとっては無用な情報だ。


再び手元の書類を放り出すと、隣でアンナが軽く吹き出す音が聞こえる。


「あのさ。これ、どんどんサインしてくれないかなぁ」

「あ。買い物に行かなきゃいけないの忘れてたっす」

「読む以外ならいいって言ったじゃん」

「いやぁ。最近物価も高いんで買い物にも時間かかるんで」

「答えになってないってば……」

急がなきゃー、などという軽薄な声を残して去っていく赤い髪。


確かに彼女がサインしたのでは何かしら問題があるかもしれないけれど。当人でないのなら少なくともレイスか自分、あとは正式な秘書役か何かが目を通すべきだろう。

一度目を通して纏めてサインをするつもりだったが……それが一抱えもあるのでは流石にやる気も削がれる。それでもと考えながら、再び手元の紙を手に取った時の事だった。


遠慮がちに叩かれる戸の音。

やはり遠慮がちに「はーい」などと言いながら早足で歩くエステラの足音。


「ミリアさん」

「はいはい」

「あの。弟さんです」

「……え」

わざわざ自分を尋ねてくるというのは、何か余程の事があったか……若しくは暇なのか。




「姉貴。元気か?」

「あんたこそ」

「……太った?」

部屋に響く少し低い音。低い呻き声を聞きながら先程と同じ椅子に腰かける。


「で、何かあったの?」

「もう言うの嫌になった。本当に」

「私、喋りたくなる方法も知ってるけど」

「何が私だよ。猫被りやがって。先生に言いつけてやるからな」

再び部屋に響く低い音。




テーブルに飲み物を置いたエステラが、少し引きつった顔で厨房に帰っていく。


「そう言えば。セイムさぁ」

「なんだよ」

「子供ができた」

「あぁそう……はあっ!?」

先程のエステラと比べ物にならない勢いでセイムが顔を歪めている。


「まだお父さんとお母さんには内緒ね。先生帰ってきたら一緒に話に行く」

「いやわかったけど。そっかぁ……」

「で、今日はどうしたのって聞いてるんだけど」

「うーん」

「これ、読む?」

「読まない」

「あぁ。そう」

いつまでも目的を話さない愚弟から視線を外した所でやっと始まった話。

……それは。再び取り上げた紙切れを、置くまでもさせない切り口だったのだが。


「姉貴さ。昔の仲間にまだ付き合ってる奴っている?」

「どうしたの急に。……あの頃からまるで会って無いかな」

こいつの仲間とはまた別の集団ではあったのだが、そう行儀のいい連中ではなかった。

そんな事よりも「あの頃」というのは。

初めて先生に助けられた最悪の出来事を思い出す。そして目の前のセイムも、恐らくは同じ出来事を思い出しているらしく、少しの間の後に言葉が続く。


「この間さ。姉貴の事で色々ばらされたくなかったら金寄越せって言ってきた奴がいてさ」

「……。」

「色々の部分、何を知っているのかとか。どこの誰なのか、とか。聞こうとも思ったんだけど頭来てぶっ飛ばしちゃったから聞けなかった。正確には衛兵が来ちゃったから逃げたってのが正解なんだけど」


無意識に、右手をへその辺りに当てているのに気が付いた。恐らく不安なのだろう。認めたくはないのだけど。


その色々が何かはわからないけれども。

実際のところ明るみになって心底困る程の事に関わった記憶は無い。自分がやってきた事など、こそ泥と喧嘩くらいが関の山だ。

それもどうかとは思うけど、先生にはその類の話はさんざ説明済みで、落ち着いたら謝れる相手には謝りに行く事になっている。


いや、違う。噂というのはそういうものではない。

そこに少しの嘘や誇張を張り付けたとして。恐ろしく低俗な行為に自分が関わった、などという噂でそれが上塗りされていったとして。自分を守ると言ってここを発った先生は必死で戦って戻り、そんな噂話を聞かされて。心底疲れ切っていても、気持ちは分かるが噂なんて気にするな、などと笑って見せるのだろうか。


軽く唇を噛んでいた。

……更に思考は暗い水の底へと沈んでいく。


それでも、まだそれはましな話だ。問題はその色々がもう一方、あの出来事についてだった場合だ。それは本当に勘弁してほしい。

自分一人の事ならば虚勢を張ることだって出来る。

しかし。隣に立つ先生に、不憫さを内包した視線が注がれるなどというのは。


鈍い唇の痛みに気付いて開いた口から、無意識にため息が漏れていた。

何の力にもなれない自分は、本当に足手纏いでしかない。やる事なす事上手くいかず、いつも窮地に陥って助けられながらもやっと自分に触れた掌。大丈夫だ、なんて言いながら笑う顔。

自分は。今する事だけでなく、過去でさえ迷惑をかけ続けるだけなのだろうか。大人しくしていろ、などと言われる事もあるが、それさえも――


「――き?」

「え?」

「姉貴。大丈夫かよ」

「大丈夫。……ありがと」

軽く息を吸い込み、いつもの調子を取り戻す。


「気持ち悪いから礼とか言うなよ。それに姉貴っていうか、先生の為でもあるんだからさ。結局色々は聞けなかったけど」

「そういう奴がいたって事でいいのかな」

「そう。気を付けろって話」

「わかった。わざわざありがと」


「だから気持ち悪いっつの。あと親父がたまには飯くらい食べに来いってさ。先生も一緒に。レイスさんは……どうなんだろ」

複雑な表情を浮かべるセイム。

まぁ私が言うのも何だけど、おかしな事になっているのは事実だ。それでもお願いしますなどと言って送り出した両親には頭が下がる。


とは言え、当初薦められていた相手と比べて、人柄以外でも先生が劣るとは思わない。

戦争で家を無くした騎士の息子。そして冒険者として名を上げて中級騎士となった。王都の貴族に繋がりがある。隣国の中枢に近い人間と繋がりがある。絵本の中の存在だと思っていたエルフと親交がある。そして、今も英雄じみた戦いをしているという。まぁ、呆れる程に大した経歴だ。


逆に。私はどうなのだろうか。

ただ気に入らなくて考えなしに走り回り、いつも碌な目に遭わなかった。今聞いている話だって、結局は昔の自分が蒔いた種の詰襟でしかない。


「おい姉貴? さっきから本当に大丈夫かよ。まさか喧嘩でもしたのか?」

「してないよ。出がけに我儘言っちゃったけどそれくらい」

「先生のことあまり困らせるなよな。戦いに行くのって大変だぞ。まさかやられたりはしないと思うけど」

「縁起でもない事言わないの。オルビアがこの間寄って、無事だったって言ってた。本隊と合流するんだってさ」


「オルビアって輸送ギルドの人だろ。……人気あるんだよなぁ」

「知らないよそんなの。まぁ、男が好きそうな部類の女だよね。いつもあの手の格好はどうかと思う」

「それがいいんだってば」

「先生もああいうの好きなのかな。いや……ないか」

先生は古い仲間だと言っていた。気にはなるが、ただの仲間だというそこにあまり切り込んだ事は無かったのだけど。何しろレイスも彼女の事は好きだと言っていた。


「姉貴も真似してみれば?」

「……。」

無言で立ち上がると、セイムが顔を引きつらせながら同時に立ち上がる。


「暴力反対」

「だったら余計な事を言わなければいいと思う」

「今のやり取りも先生に言いつけるからな」

「もう今更だってば」


「開き直りやがった」

「あまり隠し事とかしてないからね」

「そこは隠した方がいいと思うけど。まぁたまには帰って来いよ。寂しそうだから」

「わかったよ。先生が帰ってきたら改めて報告にも行こうと思ってたからさ」

事は済んだとばかりに去っていくセイム。その後ろ姿を見送り、再び気の進まない作業に戻る事にした……のだけど。




しかし。できる事なんてこれくらいしかないにも関わらず、目が追う文章は何一つ頭に入らない。

こんな言い方は何だけど……こんな事をして何になるのだろう。

どうにもできない過去やよくわからない警告。これを読み終えたとしても、それがどうこうなる事もない。理性的に考えれば、それとこれとは別問題なのはわかっているのだけど。

軽く頭を振っていた所で、飲み物を持ったアンナが現れた。


「ミリアさんどうかしたんすか? なんか元気ないっすよ」

「そんな事ないってば。先生とレイスは元気かなぁ」

「殺し合いに出掛けて元気も何もないと思うんすけど。きっと今頃、元気に敵をぶっ殺しまくってますよ」

「ぶっころ……あのねぇ」


「なんか隠し事っすか?」

「別に隠す事なんてないってば。っていうか聞いてたの?」

「いやいや。だってそんな雰囲気っすもん。そのうち帰って来るんだからそれから相談すればいいじゃないっすか」

「まぁそうなんだけど」


「それとも話しづらい事っすか? お身体に障るんで、あんまし悩まない方がいいっすよ。とりあえず話すだけでも楽になる場合も多いんで聞きましょうか? 黙っとくんで大丈夫っすよ?」

「もうちょっと考えてみる。ありがとね」

「いえいえ。んじゃ買い物行ってきます」

「今から? 何やってたのよ……」


「薪の整理っす」

「……。」


アンナのやたらと軽い足音。

それを遠くに聞きながら、私はテーブルの上の文書たちを片付け始めた。


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