26
やがて閉塞しつつある戦場。
それは夜明けを迎える頃に至りつつも、相変わらず俺はそこで座り込んでいた。
視線を落とした両腕に纏わりついていた死の痕跡は、洗い流される事もなくただ乾きつつある。
戦いと呼べるような音は先程から全く聞こえなくなった。怒るのにも流石に疲れた風なレイスも先程から隣に座り込み、ぼんやりと開かれた北門を眺めている。
腕の痛みがなければとうに意識を失っていただろうが、結果的には都合よくこの状況でも意識が保たれていた。それでも濃い疲労は頭の回転を止めさせ、先程まで戦場だった風景をただ見詰めているだけだ。何も考えなど浮かばない。強いて言えば、町の内部に侵入していたスライ達は無事かといった所だが。
立ち上がるのさえ困難な状況下にあるものの、配下の傭兵部隊も街の中へと進ませており、役目を終えた彼らが目の前の門から歩み出てくるのを待つほかなかった。
座り込む俺達の近くを通り過ぎる、幾つかの部隊。
その幾つか目、聞き覚えのある声が響く。
「あれ。あんたら何やってんの?」
錆付いたような体を捻り、見上げた先。魔物たちの対応に向かっていたイェーナがそこに立っていた。
後ろに並ぶ傭兵達には大した損耗もない様子で、体力さえ考えなければもう一戦でも行けるだろう。とはいえその戦力を向ける先は既にない。
「休んでる、というか治癒魔法が使える人間が通るのを待っている。痛むし疲れたしで動けないって所だ。あっちは?」
「もう片付いたよ。後半は魔物たちも素面に戻ったから追い散らすばっかりでね」
やはりスライ達は魔術の使い手を屠ったらしい。その使い手が何人いるのかはわからないが、結果的にはうまく回ったという所だろう。当人が無事である前提だが……正直な所、そう心配はしていない。
「こっちも大体片付いた。じきにスライ達も戻って来るだろ」
「親分が負傷して待機? みっともないねぇ」
「みっともないのは否定できないな。暇ならあいつら迎えに行ってくれないか? もう中も落ち着いてるだろ」
「へいへい。人使い荒いねぇ。みんな連れて戻ってくりゃいいの?」
「そうだな。一旦の点呼と被害の報告もしたい」
部隊の大半を残して町の中へと向かうイェーナ達。その後ろ姿はすぐに見えなくなった。
「で。俺はやめろって言ったよな」
「勘弁してくれよ……」
すっかり明るくなった空を眺め、疲れた顔のライネに左腕を差し出す。
ライネの両手に光る暖かい光は少し変形した左腕に吸い込まれるようにして、その痛みをゆっくりと取り去っている。じきに動かす程度であれば問題ない状態にまで戻るだろう。
「なぁスライ。レイスが危なかった。それも守れたし、首尾も悪くない」
「ふざっけんなお前」
「確かに途中で記憶は飛んでるし、何人殺したかもわからない。次は元に戻らないかもしれない」
「……。」
「もうやらない。というか、怖くてやれない」
「あぁ。もうやめとけ」
一応納得したような表情の金髪が大きく息を吐くのを見て話を切り替える。
「俺の事は兎も角。うまくやってくれてよかった。何か報酬としてふんだくって来て欲しい物でもあるか?」
「別にいらねぇ。多すぎる金も立場も身動き取れなくなるからよぉ」
「少し大きな家に移った方がいいんじゃないか?」
「そりゃ……一理あんな」
考え込む金髪を見ながら、俺の左腕を解放したライネが軽く微笑む。
軽く曲げる限り痛みはもうない。戦うとなれば別だろうが、取り敢えずは放っておけば十分だろう。
「ライネ、疲れていた所で悪かった。本当に助かる」
「いえ。でも、流石に疲れましたね」
言いながら欠伸をするその目は既にこちらを見ていないが。
「で、隊長様よぉ。報告が幾つかあってな」
「もう皆休みたいだろうが代表だけでも集めて話をしておこう」
「カッセルはじきにこっち来ると思う。他は?」
「グライツを呼んでくる。ここに居てくれ」
日の光に覚醒されながらも、相変わらず重い体を立ち上がらせる。
いつまで眠らずにいられるかわからないような所だが……役目は果たすべきだ。近くでイェーナと話し込んでいたレイスを伴い、少し離れた所で休憩に入っていたグライツの所へと歩き出した。
「まずは概要ですね。諸々の魔術を行使していたと思しき数名は、パドルアの正規軍が片付けました。いい所を持っていかれた感はありますが……早い方が良かった訳で、その助けができただけでも十分でしょう」
「それで報酬の上乗せになるのか? 別働していたなら上手くやってくれ。こっちは最悪だったんだ。前に聞いていたフライベルグさんのような連中を相手にする羽目になって結構な数がやられた。その親分があいつら蹴散らして回ってたから風向き変わったが、あれがなきゃ危なかったかもしれない」
「なんだい、うちが遊んでいたような話になっちゃうね。実は正規軍の連中とうまく混ざって戦っておいたから印象は悪くないと思うんだけどね。で、報酬って上乗せ貰えるんだよね?」
カッセルの冷静な解説から始まった傭兵団長3人の話は、結果的にこちらに視線を寄越す事となった。
堪え切れず欠伸をしていた所で向けられる視線に苦笑いしながら口を開く。
「皆の働きが上手く回ったからこそ俺も生きてる、と思っている。報酬は数の分だけじゃなく上乗せするよう掛け合ってみるつもりだ。……グライツの所の犠牲が一番多いよな」
「当たり前だ。あんたには悪いがあんな気狂いの相手をするなんて聞いていない。殺せるなんて言うけどな、こっちだって被害が出る」
「分かってる。割に合うかはわからないが死人の数の上乗せは約束する。これは他の所もだ」
「殺した頭数の話は?」
「こんな所まで連れて来たんだから何とかして貰う。安心しろ」
やっと溜飲を下げた顔のグライツ。そしてその隣のカッセルは少し困ったような顔をしている。
「何か疑問が?」
「いや。……スライさん、どうします?」
「あー。あのよぉ、途中で武器捨てて投降してきた奴が何人かいる」
あまり気の進まない話に、思わず顔を歪める。
敵は生かしておくなという命令だった。戦いの中での殺害には心もそう痛まないが、事を終えた後に投降兵を殺害するには自分の中での理由が欲しかった。そしてその理由に思い当たり、更に重くなる気分。
軽くため息を吐き、それを飲み込む。
「わかった。そいつらは倒したものとして扱うから気にするな。けど、あまりいい加減に上乗せするなよ? 同じ戦場で正規兵も戦ってる。あまりに数がおかしいと突っ込まれる」
当たり前だが、傭兵団が倒した敵の人数など誰も把握していない。基本的に自己申告にはなるのだが、往々にしてその数を水増しし過ぎて発注者と関係が悪くなるのも知っていた。かつて自らが属していた集団もやっていた事だからなのだが、いまそれをされると割増の報酬の話もしづらくなる。
「わかってるって。でもちゃんと山分けしてくれるんだよね?」
「これからそれをふんだくってくるのが俺の仕事なんだろ」
「分かってるねぇ。あんた、出世するよ?」
レイスから聞いていた気の乗らない話を持ち出され、思い切り顔を歪める俺を囲む苦笑い。
そしてそれを振り払うように頭を振る。
「残念だが俺達は街の中で寝泊まりって訳にもいかないと思う。取り敢えず昼過ぎまでは休憩だ。じきに死体の片付けの手伝いしろって指示が来るから覚悟しといてくれ」
気の乗らない返事を残して仲間の中へと戻って行く背中を見送り、軋む音が聞こえそうな体でゆっくりと立ち上がる。
「で、スライ。その投降した奴らは?」
「カッセルの所だ。行くのか?」
「付き合ってくれるか? レイス、ライネとここで待っててくれ」
「私も――」
「ここにいろ。戻ってきたら俺も休む。先に寝ていてもいい」
「……はい」
意図する事は分かっているのだろう。それでも……無抵抗の人間を切り殺す姿などわざわざ見せたいようなものではない。伏せられる彼女の右目にため息をつきながら、やはり気の乗らない表情の金髪と共に歩き出した。
「んで、結局どうすんだ?」
「聞きたいか?」
「その言葉で十分だ。まぁ、しゃあねぇ」
「俺がやる。仇だし、建前を言えば俺は一応騎士だ。命令にも従わないとな。そんな事より、早く済ませないと歩く事も難しくなりそうだ」
吐き気がする建前を述べながら軋む体を進ませ、重い足取りはやがてカッセル達の部隊の野営範囲の端へと辿り着いた。
俺の顔を見て、黙って余り物の剣を差し出すカッセル。腰の後ろの獲物を無くした事も気付いていたらしい。流石に全員を殴り殺す気にもなれない所であり、有り難い話ではあった。
自分の所の部隊の人間にやらせてもいいなどというカッセルの申し出を断り、小汚い天幕の影に転がる七人の兵士の前に立つ。
手首と足首を縛られて転がっている兵士たち。更に最低な事に女が一人混じっていた。
重い体。重い右腕。……最も重いのは気分だが。
「一応、遺言は聞く」
その言葉に、転がったままでびくりとする面々。投降して引きずられてきた結果、この場で殺害されるとは思っていなかったのだろう。
くつわの中で何かを喚きながらばたばたと暴れる男が、足首を縛られたままで器用に立ち上がろうとする。地面にこすりつけるようにして目隠しを外し、体を起こした所で……右手にぶら下げた剣をその頭にめり込ませた。
その一振りでもうんざりな程に体を駆け抜ける激痛。手を下す側でありながら顔を歪ませつつも、転がる死体を見下ろす。
流れる沈黙。最初にそれを遮るのは静かに咽び泣く女の声だった。
「もう一度言う。遺言を聞く。恨みでも望みでも、吐いてから逝け」
近くで見ていたカッセルに彼らの轡を外して貰い、一人ずつその名と言葉を聞く。残る6人のうち5人が国に残る家族へ伝えて欲しい言葉を述べ、残る1人は純粋に俺への怒りを吐いた。
そして神への祈りか、その家族の名か、その大小は有れど何かを口走る声。その頭に借り物の刀身を振り下ろして回る。
誰か他人にやらせるべきだったのかもしれないが。自らの手を汚さずに口先で死をばら撒く事に対する嫌悪は、くそのような役目を自らの手で果たす事にも意味を持たせていた。
その意味があろうが無かろうが、無抵抗の相手を殺害する事に喜びなど微塵も感じないが。
「おかえりなさい」
「昼くらいまでは休めるといいんだが」
「昼どころか、明後日くらいまでは起きる事も出来ないと思います」
「……そうだよなぁ」
何をしてきたのか分かっているのであろうレイスは、いつもと変わらない微笑みと言葉を向けてくる。そしていつもと変わらないような言葉を返しながら彼女の隣に座り込み、そのまま横になった。
隣で横になった彼女が少し体を寄せ、囁くように言葉を続ける。
「本当に、少し休みましょう」
「……ああ」
「大丈夫です。きっとあなたは正しい」
「……。」
最低な気分が拭われる事などなかったが、それでも自らの行為に後悔せずに済むような。
しかしそんな思考はあっさりと疲労に敗北し、意識は泥のように溶けて行った。




