ミリアとセイム02
宿に戻った俺は、とにかく眠る事にした。
ルシアにレイスが1人で帰ってくる事と夕食は2人とも食べる事を伝え、いつもの様にボロ布に包まる。
自分では大した事がないと思っていた体の疲れは実際にはそれなりだったようで、日差しが差し込む部屋の床で俺はすぐに眠りに落ちた。
どれほどの時間が経っただろう。
ふと目が覚める。
ひどい悪夢、全てを失う夢だった。手に残る喪失感が生々しい。
白々しい宿の表の通りの喧騒で我に返り、立ち上がる。
今までこんな事があっただろうか。
短期間ではあるがかつて傭兵のような事もしていた。
ある戦場で行われた略奪に嫌気が差し、その場に居た全員を殴り倒してそのままおさらばしたのだが。それでもその殺し合いの毎日はひたすらに無味乾燥で、流れる血に何かを考えた記憶は全くない。
……頭の中で巡る何も生み出さないであろう考えを頭の隅に押しやって再び横になる。
大した時間を要するでもなく、意識は再び闇に落ちていった。
再びの悪夢に、それでも必死に抗っている。
全てが奪われ焼く尽くされる情景。死体の山は全てどこかで見たような顔をしている。
何者だか分からない相手に、必死で抗おうとする体は鉛のように重い。
やがて損傷し、動かなくなる体と鮮明な意識。横たわるレイスの冷たい指の感触。
怒り、悲しみ、憎悪。あらゆる負の感情が渦巻く中で最後に残る、失う事の恐怖。
食いしばる歯が震える。
何かを叫びたくなる衝動で震える唇に、そっと冷たいものが重ねられる。
……顔に触れる暖かい指の感触。その感触に現実の世界に引き戻される。
目を見開くとレイスの驚いた顔が目の前にあった。慌てて離れる彼女は顔を赤くしながら、俺が酷くうなされていた事を説明している。
そうだろう、ひどく汗をかいている。ついでに食いしばっていた顎が少し痛む。
「帰ってきたのか」
顔に掌を当てながらゆっくりと起き上がった。
「そう、そうです。今帰ってきたところだったんですが」
まだ取り乱している。鞄がすぐそこに置いてあるので本当に今戻った所なのだろう。
先程……いや。何も言うべきではないと自分の中で決め、椅子に座り込んだ。
窓の外を見ると日が落ちかけている。
「ありがとう。ひどい夢だった」
夢からとはいえ救われた事に礼を言う。
あたふたと掌を見せながら口ごもる彼女に、食事前に浴場に行くことを提案した。
浴場については彼女もそれなりの回数の客で、当初のように奇異の目に晒される事は殆どないようだ。それはほぼ全てルシアのお陰だと言っていい。
数回のルシアの同行によってレイスはルシアの店の云々という扱いになったようで、気さくに話しかけてくる人もいる程だと聞く。レイス自身がそれを歓迎しているかはまた別だが。
浴場で汗を流し良く洗濯された下着に着替えると、食事を取る為に食堂へと降りた。
「……先程はすみません」
いつものように食事を切り分ける俺に彼女が切り出す。
「謝られるような事はないだろ。最悪なところで呼び戻されて目が覚めた。あのままあの絵面眺めているのは耐えられなかったからな。助かった」
「そうですか」
俯いたままの彼女に続ける。
「またあんな調子だったら水でもかけて起こしてくれ。あれなら眠らないほうが余程いい」
「水なんて……わかりました。また同じような事があれば私が起こします。大丈夫です」
顔を上げ、任せて欲しいと言わんばかりに微笑む彼女の顔はまだ赤い。これもまた問題だろう。
少し気を重くしながら食事を終え、ゆっくりと食事を楽しむ彼女を眺めていた。
心を淀ませる感情や、苦しみに苛まれたとき。
自分を心から省みる人が居ると感じる事で、それだけで心の闇を打ち払える事がある。それを飲み干す事が出来ることがある。
本人も気付かないうちに。
その晩。
俺は悪夢にうなされることもなく。
夜中に幾度となく目を覚まし、様子を伺う少女の苦労の甲斐もなく。
朝まで泥のように眠った。