18
数日後。
街道を北へと向かっていた。
久々の再開だったオルビアとは村で別れ、指示通り追撃に向かっていたのだが。
戦場だった村周辺に転がる死体の処理に丸一日を要し、傭兵達との以降の報酬についても打ち合わせを済ませた後である。気が進まないのもあったが、翌々日の昼過ぎの出発だった。
遅れて出発したせいか敗残兵に出会う事もない。再び行列を後ろから眺めるだけの毎日ではあったが、このまま国境付近まで進めば少なくとも指示を受けた仕事は終わりとなる。
東の戦闘が気になりここから命令を無視してそちらに向かう事も考えたが……増援も来ているという。まずは順当にこちらを片付けるべきだろう。
「で、見つけたらどうすんだ?」
「向かってくるなら殺す。降伏するなら捕虜にする。両方嫌だろうからさっさと家に帰って貰いたい」
「まぁ順当な話だな。さっさと片付けっか。いまさら腹括って突撃されても夢見が悪りぃよなぁ」
隣の馬上、スライが軽く首を回しながら離れていく。
少し高い視点。後ろでごとごとと音を立てている馬車。同行する事となったライネと俺達を取り囲むのはイェーナの所の傭兵達だった。
カッセルの所はその素性も技術も信頼を置けるが、あまりそこばかりを重用するべきではない。残る二人にそっぽを向かれても困るし、先頭を行く部隊が信頼できるのは決して悪くない。
時々スライとくだらない話をして離れていくイェーナ。一応ではあるがこの集団の代表であり護衛対象である俺に話しかけるのは気が引けるのだろうか。
何の気なしに後ろを振り向くとライネがそれを眺めているのに気付いた。逆にそれを見られているのに気付いたらしく、慌ててそっぽを向く。当のスライは時折周りの傭兵達から睨まれているが。そんな緊張感のない光景に、昨晩スライが配置を変えてくれなどと言っていたのを思い出した。
少し責めるよう目を細めた右目が振り返る。
「あいつも大変だな」
「面白がっていません?」
「少し」
「いつも世話になっている、なんて言ってるのに」
「お前こそさっきからちょくちょく振り返ってただろうが。少しにやけてたぞ」
「……すみません」
時折後ろを振り向いていたレイスを見て俺もそちらを観察し始めたのだが。
何れにせよ今晩から配置は変えるつもりであり問題もない。
わざとらしい程に明るい雰囲気。
死は身近にある。それを再認識するような話にも俯いている訳にはいかなかった。
何しろ、俺達は生きている。
北の国境に至る夕暮れ時の道。それと交わる東西を結ぶ街道に差し掛かった頃だった。
先頭を進んでいたカッセルの部隊が足を止める。
「……敵か?」
「あ。一人こっちに走ってきてますね」
「あの調子なら大丈夫だな。一体なんだ?」
その表情は決して焦った風ではない。敵襲でないのは明らかだった。
「聞いていたクラストの正規軍です。あなたを呼ぶように、と」
「わかった。すぐ行く」
「お願いします。休憩を?」
「あぁそうだな、全隊に告知してくれ。もう今日はここで野営にしよう」
言いながらスライとライネを一瞥する。身内が周りにいる方が色々と具合がいい。ライネが馬車から降りるのを待って傭兵達の間をすり抜けるように列の前へと向かう。
列の先頭へと至り、クラスト正規軍の揃いの鎧を眺めていた。その間から一際小奇麗な甲冑を身に着けた若い男と、ひどく場慣れしている薄汚れた甲冑の二人が出てくる。
どうも見覚えのある小奇麗な若者にスライが思い切り顔を歪めていた。
「知り合いか?」
「お前なぁ……」
「あ。」
何か気付いたらしいレイスは間抜けな声と共に俺の後ろに隠れ、その若者本人までもが思い切り引きつった表情を浮かべている。今だに何が起こっているのかわからないが、気にせず口を開いた。
「傭兵の部隊を率いているパドルアのフライベルグです。東への行軍、ご心労痛み入ります」
恐らく丁寧であろう挨拶を述べる俺を見て更に歪むその顔。ついでに半歩下がったその姿。何処かで見たような気もするが。
「今回の指揮をしているルカネ・ヴァンゼルだ。昨晩ここで敗残兵と遭遇して大体は片付けた。お前はパドルアへ戻っていい」
「北上し、残存兵を押し返せと聞いていますが」
「だから大体は片付けたと言っている。一部の兵を北上させる予定だ。お前はもう戻っていい」
「であれば東に合流すべきでは?」
同行させるのを嫌がるようなその言葉に、一応は正論であろう探りを入れたのだが。最悪な事にそこでやっとその男の事を思い出してしまう。……以前王都での競技会などという物にレイスを参加させた折、不遜な言葉に激昂して殴り倒した青年だった。確かにヴァンゼル家の人間だとは言っていたが顔などすっかり忘れていた。まして名前など。
更に引きつった顔で沈黙したルカネと名乗るその青年に、一応の謝罪で取り繕う。
「あの折は本当に失礼しました。ただ今回の件は――」
「おいお前、ルカネ様に何か文句でもあるのかよ?」
そこで初めて口を開いたのはそのルカネの隣、薄汚れた正規兵用の甲冑。年は俺やスライと同じくらいだろうか。しかし正規兵のそれとはまるで合致しない雰囲気と軽く馬鹿にするような口調がひどく不愉快だった。とは言え、それを表に出す訳もなく。
「誰だか知らないがお前に用なんてないな。黙ってろ」
……出ていた。
「ルカネ様の補助を仰せつかったゲランドと申します中級騎士様。これでいいか?」
「お前が誰かもどうでもいいが意見具申が文句になるのか? 随分とおめでたい頭だな」
「お前。ヴァンゼル家に逆らってクラストで生きていけると――」
「もういい、やめろ」
慌てて割り込むルカネだったが、頭一つ分大きな俺とそのゲランドとやらとは睨みあったままだ。そこに更に上ずった声が響く。
「もういい。このまま北上して敗残兵を片付け、その後は東へ後続しろ」
「わかりました」
相槌を打ちながら視線を外し、ルカネへと報告を続ける。舌打ちが聞こえたような気もするが……まぁいい。
「捕虜がいますが」
「こっちに寄越せよ」
「お前には言ってない。……どうされますか?」
日に焼けたゲランドの顔には一瞥もくれず、再びルカネの回答を待つ。
「こちらで預かる。何人だ?」
「騎士階級1名と雑兵が数名。騎士は南下してきた部隊の指揮官かと」
「指揮官を?」
「はい。自分以外の捕虜を解放して欲しいと言っていましたが」
「それは東の局面で考える。他に?」
「今回の件。何かオレンブルグとの交渉が? 動きに納得のいかない点が多過ぎますが」
「それは……今は答えられない」
疲れたような声で戻ったのは、要するに何かあるという回答だった。
顔を横に振って簡単な報告は一度終いにし、詳細は後ほど改めるとして引き上げる事にする。何しろ、このゲランドとかいうのがいると余計な事まで口にしてしまいそうだった。
見下すような顔付きとがっしりとした体躯に一瞥をくれ、また夜にでも説明に向かう旨を告げて踵を返した。
焚火を囲んでいる。
正規軍と同様、明日の早朝出発する俺達も街道が交わったその地点で野営を行っていた。
「何であいつ、あんな喧嘩腰なんだよ」
「前にミネルヴから聞いたんだけどよ。あちこちで芽の出そうな冒険者なり傭兵なりを囲い込んでるらしいからその類だろ。で、頭ひとつ抜けて出世してるお前が気に入らねぇんじゃねぇか?」
「そんな事で突っかかられるのも迷惑な話だな」
「腕が立つのが条件で探してりゃあ色々問題ある奴もいるだろうよ。クラストもいよいよヤキが回った風だよなぁ」
穏やかではないスライの感想に頭を掻く。ついでにもう一方の小奇麗な甲冑への不満が口から漏れる。
「しかし。俺達と合流させたらお互いやりづらいなんて思わないのかよ」
「お前完全に忘れてたじゃねぇか。それに、あんなの無かった事になってるに決まってんだろうが」
「そりゃあそうだが」
「リューン様。でも、あの人がいなかったら……あなたはあのまま立ち去っていたのではないでしょうか」
眉を下げた右目がこちらを見上げている。あの折の気持ちを思い出しているのだろうか。
何れにせよ尤もな指摘だった。彼があの場で仕様もない愚痴でも吐かなければ、俺は二度とレイスと顔を合わせなかったかもしれない。そういった意味では有り難い話でもあった。
「そうだな。後で報告に行った時に礼でも言っておく」
「礼って。そりゃお前こそ喧嘩売ってるみてぇじゃねぇか……」
「確かに」
「そんな事よりお前よぉ。あんま蒸し返したくねぇけど、やっぱおかしいな」
「おかしい?」
「あんな調子の奴が相手でも、お前あんな口の利き方すぐにはしなかっただろ。気を付けろ。意識して心を落ち着かせて――」
おかしいという指摘で、オレンブルグの女騎士を蹴飛ばした折に感じた違和感を思い出す。そして先程も自然に口に出た少し苛立った言葉。
前者はオルビアやヒルダ、静かに話を聞いているライネの事もあり仕方ないだろうなどと自分で結論付けていたが、客観的に見ておかしいのであれば……事実なのだろう。
スライの言葉に黙り込んだ俺の隣、こちらを伺うように見上げるレイスに笑って見せる。
「いや、前にグレトナの所に捕まった時もあんな調子だった。言葉遣いには気を付ける」
「あぁそうかい。……だってよ?」
言いながら俺の隣へ視線を動かすスライ。視線の先のレイスは相変わらずこちらを見上げている。
「大丈夫だって。証拠に、今から極めて冷静な報告に行ってくる」
「……はい」
小さな一挙一動までも見逃さないようなその視線の前で、ゆっくりと立ち上がった。




