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体を流れる血が沸騰するような。仇を見つけ全身が震えるような。始まろうとしている闘争の喜びに、身体が燃えるようだった。
殴り倒してやろうと思っていた相手が目の前にいる。裏切者が目の前にいる。そいつらの仲間が、目の前にいる。
……こいつらの腸を引きずり出し、撒き散らせば少しは気も収まるだろう。
「□□□□□□□□-----!!!」
意味のない、一片の理性も纏わない咆哮が腹の底から響く。その響きの甘美さに恍惚さえ覚えながら駆け出した。
背中に聞こえるひどく聞き慣れた声は、悪いが何を言っているかわからない。
そんな事より。堪らなかった。兎に角。少しでも早く。もう我慢できない。
目の前のあいつらを殺したい。
地を蹴る足が、いつも以上の速さで体を押し出している。視線の真ん中で薄笑いを浮かべているバレスティ。彼の部下であろう汚い身なりの10人程が立ち塞がる。
走る速度は緩めなかった。
大斧の柄の端を掴んで背中から引っ張り出し、大した重さも感じないそれを力任せに振るう。
3人か4人だと思う。まぁ数なんてどうでもいい。その上半身を横薙ぎの大斧で吹き飛ばした。
それを見詰める彼らの仲間の顔が、可笑しくて仕方がない。目を見開いたままこちらに戻る視線。その瞳に、再び斧を振り上げた自分が映っているのが見えた。
背中を向ける者。逃げ腰ながら剣を向ける者。その何れも等しく、無力に人の形を失った。
込み上げる笑み。恐怖に凍った表情。大きく息を吸い込み、再び大斧を振り上げる。
情けない悲鳴を上げる小汚い背中を、吹き出しそうになるのを堪えながら2人纏めて吹き飛ばす。
その隣、似たような斧を持った男が肩口からそれを振り出してきた。振り出された先端にこちらも斧を叩きつけると、冗談のように飛んでいく男の斧。呆然としたその顔に斧を叩きつける。男を断ち割り地面に食い込んだそれを引き抜き、再び咆哮した。
楽しくて堪らなかった。逃げる? 何を馬鹿な事を。
血相を変えたバレスティが背を向ける。その隣、黒い甲冑が、先程の黒いローブに何か叫んでいる。
何をしているのか知らないが、逃がすつもりなど毛頭なかった。誰一人として。
引きつった顔で立ち塞がった数人に、氷の槍が突き刺さる。
崩れ落ちかけたその顔面に、左の拳をめり込ませた。冗談のようにひっくり返る男と、俺を取り囲む人の輪。
全員逃がすつもりなどないが、まずは正面のこいつらを殺そう。
ゆっくりと歩き出す先から、黒い甲冑が重たそうに駆けて来る。まぁこいつを頼りにしているのだろう、並ぶような位置にいた立木たちが数歩下がった。
あと数歩程の距離。肩に大斧を担ぎ、開いた道を弾むような足取りで歩く。
左後ろで、炎の矢が邪魔者を焼く音が聞こえた。
そうだ。楽しみの邪魔をするな。俺はこれから、あいつを殺す。殴り殺すか斬り殺すか。それはまだきめていないが、雑草を刈り取るのはその後だ。
「効き過ぎだ! くそ!」
黒い甲冑から漏れる意味の分からない悪態に、笑顔を返す。
「死ね」
笑いながら、思わず口をつく言葉。
その口を閉じる間もなく、黒い甲冑は長い刀身を翻す。
首元を狙ったひどく緩慢に見える刀身を身体を仰け反らせてやり過ごし、大斧を振り上げた。即座に踵を返し、再び空気を切り裂きながら戻る黒い刀身。
……予想通りの展開に、笑いが止まらない。
振り上げた斧を、肩薙ぎに枯れ枝へと叩きつける。明らかな重量差が、黒い刀身を一方的に跳ね飛ばした。辛うじてそれを手から離さなかったのは大したものだ。時間稼ぎにしかならないが。
剣を離さないよう開いた体に叩きつける斧。膝を地につけ必死にそれを受け止める姿が可笑しくて仕方がない。笑いながら、火花を上げている斧の柄に力を加えて行く。
ぼこり、という音と共に、斧を押し返す力が急激に失われた。恐らくは肩が外れたのだろう、だらしなく両腕が下がる。
「どうした?腕を上げないともう死ぬぞ?」
嘲るように笑いながら、無防備になった甲冑の鳩尾に思い切り右足を叩きつけた。
鎧ごと体にめり込むような感触と、くぐもった女の声。だらしなく転がった騎士の兜の面から漏れる吐瀉物。
俺の足元に転がる枯れ枝を見ながら、俺も斧を地面に突き立てた。
「うわあああああっ!!」
間抜けな声を上げながら駆けてくる正規兵であろう数人。しかし直後、どすどすという低い音を立てて勇気への報酬が支払われる。氷の槍に貫かれ、俺に辿り着いたのは只の一人だった。
驚いた表情のまま、捨て鉢で振り上げた剣。振り下ろされるそれを、全力で右の拳が叩き折る。
口を半開きにしたまだ若いその顔。これから長い人生を生きていく筈だったその顔に鉄塊のような左の拳がめり込み、残念ながらその人生はここで終いになった。
「足掻け。早くしないと雑魚から皆殺しだなぁ」
いつの間にか静まり返った空気の中、歌うように黒い甲冑へと語りかけ、それが立ち上がるのを待つ。
滑稽で仕方がない。何が鎧だ。それがどれだけ丈夫だろうが中身の人間は大差ない。
やがてふらふらと立ち上がったその脇腹に、再び右の拳をめり込ませた。再び膝を折る甲冑。その顔面を殴り潰す事に決め、右手をゆっくりと弓引きする。
頭は派手に飛ぶだろうか。それとも仰け反って終わりだろうか。
出来れば前者であって欲しい。その方が気分もいい。
突然、意識が右に引き寄せられた。
崩れ落ちる甲冑から視線を外し、間違いなく何かしらの方法で邪魔をしたそれを睨みつける。先程の黒いローブがこちらに向かって掌を向け、何かを叫んでいた。
決めていた事の邪魔をされ、ひどく気分が悪かった。……先にこいつにしよう。
すぐ脇に突き立っていた斧の柄。その中心を掴み、小うるさいそれへと全力で放り投げる。
会心の投擲だった。その黒いローブを守ろうとでもしたのだろうか。間に立った男の頭を跳ね飛ばしながら、まっすぐ黒いローブに吸い込まれていく長柄の大斧。それはまさに枯れ枝でもへし折るように、黒いローブの中の体をくの字に折り畳み、その中身をぶちまけさせた。
少し満足した気分で再び目の前のぼろ切れに視線を戻す。
「うう……」
声にならない呻き声を上げるその胸を踏みつけた。
面の隙間からこちらを見詰める怯えた目。それに笑って見せながら周りを見渡し、俺を取り囲む視線に一つずつ目を合わせていく。その5人目あたり。恐怖の声を上げた正規兵であろう男が、背を見せて走り出した。それに呼応するように視界の中の何れの視線もが悲鳴を上げ、それに続く。
恐慌状態に陥った敵を追い散らすカッセルたち。逃げていくバレスティと仲間たちの背中。
それを眺めながら、体から先程までの高揚が急激に薄れるのを感じた。
まだだ。まだ敵がいる。全員殺さなくては。
再び鎌首をもたげた暗い喜びと、たぎる様な熱さ。
しかしそれは、全身の酷い痛みと入れ替わっていく。その痛みが、異常な興奮と熱に支配されていた精神を冷たい井戸水の中へと放り込んだ。
「何やってんだ?」
自分自身の行動がまるで理解できずに、思わず口をつく言葉。そしてその思考まで麻痺させるような、全身がばらばらになりそうな痛み。
「痛ってぇ……」
腹の底から吐き出すように悪態をつきながら、数歩下がって座り込む。
目の前でひっくり返ったままの黒い甲冑。その更に向こう、逃げる敵兵を追うカッセル達。
そこから視線を外し振り返ると、こちらを無表情に見詰めるレイスと目が合い、苦痛に顔を歪めながら手を挙げて見せる。
小走りに駆け寄ってきたレイスの掌が、顔に触れた。
「レイス。俺は――」
「大丈夫です。一緒に居ますから」
頬に触れる柔らかい指先が、小さく震えていた。
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