ミリアとセイム01
幾度かの討伐依頼を受け、嫌というほどゴブリンやコボルト(狼顔の獣人)などの低位な魔物を嫌というほど殴り倒し、切り倒した。
相変わらず報酬は上昇傾向であり、以前と比較してかなりの収入があるのだが、グラニスへの支払い(これは先方が時折拒否するのでそこまでではないのだが)と、少し広い部屋への移動計画で、相変わらず資金に余裕は無い。
いい加減、毎日床で寝るのにも飽きた事や、レイスがその寝床について場所を変われ、若しくは一緒のベッドで云々と恥じらいながら言うもので、これは何とかしておきたい所だった。5番目の部屋には確かベッドが2つ置いてあり、それ以外のスペースも廊下から見る限り、今の部屋よりは広い筈だ。レイスがいつも眠っているベッドの脇の小さな戸棚にもブラシや手鏡、可愛らしい小物などが増え出し、溢れそうになっている。
もうじき宿代の先払いした期間に達するので、それまでにある程度の資金、最低半年分の宿代を集める、というのが当面の大まかな目的だった。
「リューン様、グラニスさんがまた頼む、と昨日言っていましたよ」
「あぁ、今日は少し休みたいから明日なら、と伝えて…いや、今日自分で言おう」
朝食のテーブルで、レイスから伝言を受け取る。昨晩依頼を終えて戻った所で、出来れば今日は休みたい。
肉体的には大した事でもないのだが、同行していた人間に死者が出た事や、依頼として出ていた魔物の数が実際には倍の10数匹だった為少し焦った事。そして、そのうち8匹をこの手で屠った事。
自分で分かるほど精神的に疲弊している。
魔物も生きるのに必死なのだろう、最後まで抵抗し逃げようとする。そしてそれに追いすがり止めを刺すのだ。
別に食べる訳でもなく金のために。邪魔になるから。殺す。
この所時折、人間と魔物の境について、答えなどある訳もない事を考え初めてしまう。
昨晩戻ったときにレイスがしっかりと眠っていて良かった。きっとひどい顔をしていた筈だ。
「……ごちそうさまでした」
考え事をしながら彼女が食べ終えるのを待って部屋に戻り、いつも通り彼女と養成所に向かう準備をする。準備と言っても俺は動きやすい服装に着替えるだけだ。その他諸々の準備をするレイスを暫く眺め、着替えを始めようとするところで部屋を出る事にしたのだが。扉に手を掛けた所で呼び止められた。
「リューン様。もしお疲れでしたら私、1人でも大丈夫ですよ?先程から、あの、少し怖い顔をしています」
心配そうな顔でこちらを伺う彼女に無理やり笑顔を作って見せながら、同行する事は変えない旨を伝えて部屋を出た。
店先で人の往来を眺め、それにも少し飽きた頃。後ろから掛かる声に振り向く。
「おまたせしました」
やはり1人ではないのが嬉しいのだろう、はにかむ彼女の鞄を受け取り、養成所に向かった。
時間に余裕があるのでゆっくりと歩きながら、ぼんやりと空を眺める。
抜けるような青さだ。
「なあ、レイス」
「はい。なんですか?」
「故郷、スノアだって言ってたよな?」
いつぞやの出会いの頃、聞いた事を思い出す。
「はい。でも、もうあまり覚えていません。小さな村で、両親は毎日畑仕事をしていました。今から考えるとあまり……裕福ではありませんでしたね。あと、馬がいました。たまに藁を集めるのを手伝ったり」
突然の質問に、表情を殺して淡々と答える彼女の目には少し涙が浮かんでいる。
「ごめん、こんな事聞いて。スノアって、どのくらい遠いんだろうな」
「……ありがとうございます。でも、きっと村にはもう何もないでしょう。村自体があるかどうか」
空のどこまでも続いている感覚に、行ってみようかと考え、軽率な事を口走ったことに本気で後悔した。
「あぁ。そうか」
それきりなんと声をかけていいのか分からず、暫く黙り込む。
「でも、今はリューン様がこうして居てくれます。それで私には十分です。」
「そうか。ありがとう」
朝から静まり返るような会話を交わし、それきり無言で養成所の前まで着いてしまった。
先程の意志を伝えるため、グラニスを探し明日は剣士の養成所に向かう事を約束して、入り口で彼女と一旦別れることになる。こちらに手を伸ばし、一旦躊躇い、やはり伸ばされた細い指先が俺の頬に当てられる。
「なんだ、どうした?」
少し驚く顔をする俺に、レイスが心配そうな顔で言う。
「やはり少し疲れているように見えます。私、帰りは1人で帰れます。先に戻り、休んで頂いた方が……」
やはり顔にも出ていたようだ。先程のやり取りも何の気なしに口走るような事ではない。
「……わかった。レイスがそう言うならそうしよう」
気遣いに応じるように答えた。
「はい。いつもありがとうございます。でも私、本当に居て下さるだけでいいんです。無理はなさらないで下さい」
終始心配そうに眉の端を下げる彼女が養成所の中に消えていく。
「何をしているんだ俺は」
深い溜息と一緒に独り言を吐き出す。それでもそのまますぐに戻るのはどうかと考え、養成所の入り口の階段に座り込んでぼんやりと空を眺めていた。
「あれ、先生、何してるんですか?」
どこかで聞いたような声に意識が戻り視線を落とす。時折養成所で実地訓練を請け負う折、必死に向かってくる姉弟の弟の方だ。確か名前はセイムといった。
初めて会って成り行きで約束をした後、片手ほどの日数手を合わせているが、姉に及ばずながら大した速さで技術を習得している。
俺が何年も掛けて蓄積したものに追いすがって来ている感があり少し焦りもあるが、それはそれで嬉しく感じる部分もある。彼らの存在に、グラニスが言う事も何となく理解できるなどと考えている程だ。
「空を見てるんだよ。空を」
「はぁ。空ですか?」
何を言っているか分からないといった表情で空を見上げる少年に、言葉を続ける。
「姉貴の方はどうした?」
「今日は休むって言っていました。先生、今日は来てもらえるんですか?」
「いや、悪いが今日はやめておく。少し疲れた。明日は行くつもりだ」
「疲れたって…。そういう柄には見えませんよ?」
「大人には色々あるんだよ」
「大人ですか。でも俺らにだって、色々ありますよ?」
「なんだよそれは?」
少しからかうような口調だったのが癇に障ったのか、少し憮然とした表情で答える。
「俺は黒い蜘蛛の手伝いしているんで、仲間とか色々あるんですよ」
「なんだその黒い蜘蛛ってのは」
「知らないんですか?マフィアですよ」
その単語に王都の売春街で出会った男達の事を思い出し、目の前の少年と見比べて脱力する。
この少年ではいい所使い走りか、下部の下部組織がいい所だろう。
「お前、それは体よく利用されているだけなんじゃないのか?上部組織とかあるんだろ?」
「ありますよ、でも俺たちは今ん所、殆ど負けないっす。うちは頼りにされてるってボスも言ってる」
口調が少し荒くなっている。
「そうか。お前、いくつだっけ?」
「14っす」
「そうか…。俺は14歳の頃、家族が全員死んだんだ」
凍りつくような表情を浮かべるセイムを見ながら続ける。
「何の事はない、国境近くに住んでいたからな。戦争ではそんな事はよくある話だ。親父が騎士だったから、貧乏だけど貴族だったんだぜ?」
「あと、これは不幸の自慢話じゃあない」
「……。」
「この間、護衛の依頼を受けて王都に向かった。その時、それが初仕事だった4人組が同行していた。
そうお前と年も変わらないような奴らでな。養成所にも来ていた筈だから、もしかしたらお前も会った事があるかもしれない」
無言で続きを聞く少年に、なおも続ける。
「こちらへ戻ってくる時に、物取りの襲撃にあったんだ。その内の1人のここに矢が突き刺さってね」
自分の首に指を押しあてて見せる。
「魔術師の女の子でな、苦しそうな顔で目を見開いたまま死んでいたよ。僧侶も同行していたが、あんな所に刺さってたら余程高位の人間でなければ、助けられない。あと3日、急げば2日あればパドルアに戻ってこられた距離でだ。」
「……そう……ですか」
「その仲間が取り乱して喚いて。幼馴染だったって話だ。やりきれなかったんだろう」
少しの沈黙。
「……なんで俺にそんな話を?」
返った搾り出すような声。それに何となく苦笑しながら答えた。
「わからん。だがな、帰る家があってそれで跳ね回っているのを見ていると。なんていうか悲しくなる。一方で同じような年の奴がのた打ち回りながらくたばる中で、帰る場所も生きる金もあるのにそういう事をしていると……。いや、違うな、生きる金があってそれはそれでいい事だ、だからそれを無駄に……」
「……。」
「駄目だ、やっぱ疲れてるのか。何を言いたいのか自分でもわからん」
明らかに怪訝な顔をする少年に、一応の結論を伝える。
「とにかくだ、お前、いつ死ぬか分からないような状況にある訳じゃないんだ、現況を悪くする選択をするな。それで、自分で金を稼ぐことを身に付けろ。いつ一文無しになるかわからない、とでも思っておけ」
再び流れる沈黙。
「……やっぱ先生、何言ってるのか良くわからねぇよ」
「そうか、奇遇だな。俺も何が言いたいのかよくわからん」
苦笑いする少年を見ながら、溜息をついて立ち上がった。
「時間を取らせて悪かった。ちょっと疲れてて余計な愚痴みたいな事を口走った。忘れてくれ」
「先生さ、あんた一体何者なんだよ?」
「知らん。人殺しだ。人以外も沢山殺したが」
その答えに困ったような表情で、少年が続ける。
「明日、来るんだろ?楽しみにしてるよ。次は少しくらい歯が立つと思うぜ。姉貴よりも先に先生に1発入れてやる。」
「あぁそうか、精々頑張れ。3倍殴り返してやる」
微笑む少年は、そのあたりに居る年頃の少年そのものだ。もう何か返すのも面倒になり、手を振りながら歩き始める俺に少年が頭を下げる。
「あぁ、本当に疲れた」
思わず口走る俺の顔は、やはりひどい顔になっているだろう。このままふらふらしていると、レイスがまた困った顔で休んでくれというのが目に浮かぶ。
素直に従い休む事にした俺は、宿へ向かい歩き始めた。