変わり始めた日常13
養成所に着くと、話を先ず聞いていた受付の女性が屋外の訓練場に案内してくれた。
訓練場では、講師が2人と生徒10人程が集まり、既にそれぞれ手に鈍らを持って整列している。
生徒は全般的に若く、皆動きが洗練されているとは言いがたいが、活気を感じる。
貸し出し用の鈍ら剣が無造作に差し込まれている箱から具合の良さそうな物を選んでいると、若い男の講師の1人が、こちらに歩いてきた。
短く刈り込まれた髪、日焼けした肌、それなりにしっかりした体格。
人の良さそうな顔と相まって、この場の講師に相応しい事この上なく見える。
「リューンさん、グラニスさんからお話を伺っています。私はランジと言います。お手数おかけしまして申し訳ありません」
ひたすら丁寧な言葉使いで手を差し出され、慌ててその手を握り返した。
「正直なところ、剣の扱いはあまり得意じゃないんですが、できる範囲でやってみます。こちらこそ宜しく」
ランジが続ける。
「所で、お話聞かれているかと思いますが、あの子、分かりますか?あの面倒くさそうに剣を振っている」
彼の視線の先で、長い金髪の少女と、やはり金髪の短髪の少年が、見るからに面倒くさそうに剣を上下している。
年の頃はレイスと同じか少し上、だろうか。比較的体格も良く、素養があるならばそれなりの物になりそうに見える。二人とも白いシャツと簡素なズボンで良家とは聞いていたが、それらを全く感じさせない無頓着な雰囲気だ。
何より。人数が2人だ。そんな事は聞いていない。
「あの子達、強いんですよ。基礎からしっかりと学んでくれれば、それなりの物に間違いなくなるんですが…」
「強いって。あんた達よりもか?」
「剣術だけなら負けませんが、どうもさんざ喧嘩慣れしているみたいで、実地訓練中に殴ったり蹴ったりするんです。
それでこの間怪我人が出まして。元々、グラニスさんが鍛えなおしてくれ、と連れてきたんですが、周りが萎縮してしまう物で…」
「あぁ、それはやり辛そうですね」
色々なところで面倒事は起こる物だな、と思いつつ、
取り敢えず負けなければいいのは変わらない、という事を確認した。
「それでは、いまより実戦の練習を行う」
「いつも通り、一人ずつ私たちと順番に戦う。本当の戦闘だと思って本気で望む事。
また、本日はこちらの方は臨時で練習に参加して頂いている。失礼の無いようにする事」
先程とはうって変わって、近くにいると耳が痛くなるような音量でランジが叫び、紹介される。
「リューンだ。正直剣術は得意じゃないんだが、お手柔らかに頼む」
これ以上ない程に簡潔な挨拶を述べる。
「それでは3列に並べ。順番に練習を行う……
生徒たちが3列に別れ、講師の前に1列に並び1人ずつ剣を合わせる。
鈍らな剣、もはやただの鉄の棒と言えるような物がぶつかり合い、がきんがきんという音が響き渡る。
頼りなげな風貌の少年と切り結び、何合目かで押し飛ばされた少年が無様に尻餅をつく。
なんというか、自分が高位の剣士にでもなった気分だ。
数度繰り返すと、頭をさげ、次の順番を待つため最後尾に並びなおし、相手が変わる。
3人目を同様にあしらい、次の順番に目を向けると、先程の金髪の少女がやはり面倒くさそうに剣をぶら下げて目の前に立った。
「さぁ。来い」
声をかけると、緊張感もなくのんびりと構える。
それを見て口元を少し持ち上げた少女が、凄まじい速さで鈍らを打ち込んでくるのを何とか受け流す。
先程の高位の剣士、なんていう気分は一撃で吹き飛んだ。
値踏みするようにこちらを見る視線に、本気を出す心積もりで答える。
数度の、乱暴だがそれなりに鋭い打ち込みを受け止め、いなし、押し返す。
幾度かの打ち合いで目が慣れ、少し打ち返そうか考えているその時、
打ち込み押し返される姿勢から、少女の右足が繰り出された。
反射的に体をそらすが、一瞬前まで俺の頭があった位置を、彼女の右足が振り抜いた。
ちっという舌打ちが聞こえ、再び口元を少し上げる。
戦う事が楽しいのか、それとも全力を出すこと自体が楽しいのか。
少し考えるが、別にどうでもいい事に気が付き、こちらから打ち込む事にする。
「そろそろ行くぞ」
余裕ぶって切り込んでいく。
本気で切り込んでいる訳ではないとはいえ、センスか、実戦仕込みなのか、…もしくは俺の技術力の低さか。
うまく鉄の棒きれを受け流される。これではどちらが教えているのか分からないな、などと考えながら、取り敢えず倒してしまうという事で結論が出た。
確か、それでよかった筈だ。
何度目かの打ち合いの最中、右足で押し込むようにわき腹に蹴り込む。
思わず下がる所に、上段から力任せに鉄の棒を叩きつけるのを、膝を突きながら何とか受け止めた。
追撃はやめ、一歩下がる。実戦であれば、あのまま止めを刺されていた事は理解できただろう。
立ち上がりこちらを睨む少女は、今度は真顔で再度こちらに切りかかる。
先程までのは本気ではなかったという事か。
幾度かの打ち合いの最中、俺の腹をめがけて突き出される蹴りを払い、逆に軸足を払って地面に打ち倒した。
地べたに無様に転がる少女がすぐに立ち上がり、剣を投げ捨てた。
「てめぇ、そんなオモチャ無しでかかってこい!」
大声を上げる彼女に気付き、慌てて2人の講師がこちらに来ようとするのを手で制し、
「上等だ。掛かって来い小娘」
口の端を上げて挑発してみせ、こちらも足元に剣を置く。
センスは悪くないが、こっちは何年もこんな事ばかりをやっている。
それこそ何年も、だ。
本気で打撃を見舞わないとは言え、何度倒されても立ち上がっていた少女は、十数度目にして、地面に大の字になった。
「くそっ、くそっ」
肩で息をしながら悪態をつく姿に、手を差し出して引き起こしてやる。
「俺は素手のが本職だ。残念だったな」
手を引きながら笑ってみせる俺に、余った手で一撃を入れて来ようとするのを再度足を払い、地面に倒した。
「くそー……」
悔しそうにゆっくりと立ち上がる。
先程手を離した鉄の棒を拾いながら、
「次だ、変われ」
という一言で退場させ、次の相手に目を向ける。
目の端で、こちらを見ながら列の最後尾に並びなおす少女が見えた。
次の金髪の少年も、それなりのセンスを垣間見せるが、先程の少女の方が年上なのだろうか、更に荒削りだ。
つい先程まで目の前で展開されたやり取りに、剣を置く事はせずにひたすら打ち込んでくるが、
なんとなく動きに目が慣れてしまった俺が、再び自分が達人だと勘違いするのにそう時間はかからなかった。
最後に柄近くを下から払い上げ、その手に持った鉄の棒を弾き飛ばす。
視界の端で、悔しそうな少年が悪態をつきながらそれを拾い、列の最後尾に並びなおしているのが見えた。
列が一回りすると再度基本の練習に訓練が移行する。
お役御免となった俺は訓練所の端で鉄の棒を適当に振り回し、何となく行っていた基本の動作を再度確認する事にした。
「ありがとうございました。グラニスさんがやり手だ、と言っていたのが分かりましたよ」
ランジが笑顔で握手を求める。
「自分なんてまだまだです。本当は自分の為に練習をしたかったくらいですから」
「またそんな。あそこまで鮮やかな捌きを私は見た事がありません。どうでしょう、またお手すきな時に、いらしてもらえませんか?」
少し考え、そうですね、時間が合えば、という曖昧な答えを返す。
グラニスから頼まれれば断らないが、少なくとも自分は人に物を教えるのは面倒で仕方がない。
自分の練習になるのであれば有難いが、もう収穫はなさそうだ。
誰か…、先日同行したユーリという剣士にでも何か教わりに行こうか、などと考えているその時、後ろから声がかかる。
「おい、おっさん、あんた次いつ来るんだ?」
振り向くと、先程の少女が仏頂面で腕を組んで立っている。
少年は少し離れたところでこちらを見ている。
ランジが慌てて追い払おうとするのを押さえ、
「おっさんはやめろ小娘。次は分からん。もう来ないかもしれない」
と答えると、明らかな落胆の表情を見せ、
「なんだよ、あんたみたいにおもちゃ抜きで強い奴、初めて見たのに」
「本当に、もう来ないのか?また教えてくれよ先生」
先生などという単語が出たことにランジが驚きの表情を見せている。
「おい、お前も来い!」
後ろを振り向き、少年のほうを呼びつける。
「私はミリア、こっちはセイムだ。なぁ先生、いいだろ?」
「俺なんぞより強い奴は幾らでもいる。筋は悪くなさそうだから真面目に取り組むといい」
と言って切り上げようとする。
その時、養成所の建屋の方に、グラニスとレイスが立っているのが見えた。
あちらの方が先に終わったらしい。
視線に気付き、軽く右手を上げる俺に、ワンピースをひらひらさせたレイスが嬉しそうに小さく手を振る。
「先生、ああいうのが好みなのか?」
同じようにレイスのほうを見ながら少女から声がかかる。
不躾な視線に明らかに動揺したレイスが、グラニスの陰に隠れるのが見えた。
「あぁ、もう。分かった、また来るから、ちょっと黙れ。あっちに行け」
「本当か?やったぜ、おい」
少女と少年が笑顔で顔を見合わせている。
面倒くさい約束をしてしまった事をすぐさま後悔し、溜息をつく。
「但し、剣術は剣術、素手は素手、あと座学もだ、それぞれ取り組め。さっきみたいなのは駄目だ、真面目にやれ」
「分かったよ、先生」
先生か…。凄まじい違和感に顔が歪む。
「それじゃ先生、またお願いします」
2人が頭を下げ、養成所の建屋のほうに戻っていく。
…すれ違うレイスが明らかに怯えた表情で避けていた。
「どうだ?」
と尋ねるグラニスに、
「それは一体どういう意味で聞いているんですか…」
と逆に質問を返す。
「是非また来て頂けるとありがたいのですが。あんなに素直に話を聞いているのは初めて見ました」
ランジがまた面倒臭いことを言う。
とはいえ、あと幾度か同じようなやり取りでもすれば、彼らも飽きるだろう。
楽観的に考え、思っていたより時間が遅いことに気付く。
「グラニスさん、それじゃあ今日はそろそろ帰ります。また明日」
「おぉそうか。リューンよ、助かったぞ。また頼む」
「…出来れば暫く間をあけて下さい」
「分かった分かった、またな」
手を上げ挨拶するグラニスの笑顔に、これは暫く面倒くさいことになるな、と思いながら養成所を後にする。
「待たせたな、レイス。あまり長い時間はないが、大通りに寄ろう」
「少し、疲れていませんか?」
「大丈夫だ、まぁ遊びみたいなもんだからな。あの程度なら」
「…そうですか、そう言って下さるなら」
微笑む彼女の鞄を受け取り、右肩に掛けた。
夕食までにはまだ少し時間がある。
彼女の失われた過去の時間を取り返すことは出来ないが、これからの為に少しでも色々な物を見せてやりたい。
少し早足で、遠回りする事にした。




