10 使用人B(アンナ)が一方的に喋る話(後半)
聞いてもいない過去を一方的に叩きつけられ、浴槽の上でゆっくりと天井を眺める。
とは言え。そんな事をする理由も、なんとなく理解しつつあった。
「その時に死んでりゃ良かった、とか思ってるのか?」
「あー、痛いのはもう勘弁っすね。毎日楽しいっすよ、みんな優しいし」
「今はどうだ?」
「だから楽しいって言ってるじゃないすか。ずっと毎日こんな感じならいいっすよね」
その言葉が嘘でないのなら。
エステラを気に掛けていたのも。聞いていない事まで勝手に説明したのも。痛くないのなら死んでしまいたいような言い草も。今の状況が気に入っているという事なのだろう。
語る過去が本当だとすれば、この先いつまでも隠しきれるものではない。まして俺は、彼女を使っていた組織の人間とやり取りがある。それは必ず露呈しただろう。
気に入った環境が馴染んで体の一部になった頃に取り上げられるなどと言うのは、苦痛以外の何物でもない筈だ。いつか露呈した過去でお払い箱になる可能性を残していくのなら、早い方がいいと考えるのは間違いではない。
「大体わかった。色々語らせて悪かったな。取り敢えず、気にしなくていい」
「……何言ってんすか?」
「アレン、下手すりゃその上のお墨付きなんだろ。じゃあそのまま守ってくれ。俺は留守にする事も多いからな」
「……。」
「居心地も悪くないし、出来ればここに居たい、って事でいいか? 皆には一時期護衛をやっていた事があるらしい、とでも言っておく」
薪が灰の中に突っ込まれる音。そしてそれが燃える小さな音だけが響いている。
言葉は帰らないが、その答えは概ね正しかったのだろう。
「そう長くはなかったすけど今まで黙ってたし、暗殺者出身で――」
「いいって言っている。まさか自信がないとかそういう話か?確かに殺しに行くのと守るのとじゃあ立ち回りも違うだろうが」
「いやいや、そういう話じゃないっすよ」
「何れにせよ、元々そんな事を期待していた訳じゃあなかったし、ついでに戦っても強いくらいに思っておけばいいだろ」
「……なんかすごい考え方っすね。」
「事実だけ見れば、何かあっても少し安心できるってだけで悪い話じゃあない。それよりも、重ね重ねだけど悪かった。わざわざ話したい事じゃなかった筈だ」
「……。」
「包み隠さず話してくれたのは嬉しい。信頼されているって思うしな。そんな話されたら、こっちだって信じてやろうと思う」
「うわーご主人。惚れるかと思ったっすよ。でも残念っすね。私はやっぱ年下の方がいいっす」
「快楽殺人者でもなきゃ過去は過去だ。以前やっていた事のような指示を出す事はないから安心していい。あと、少し真面目に話せよ」
「……すいません。えぇと。昼間、余計な事しちまったな、って思ってたんすよ。あれ、私手出さなくても間に合ってましたよね」
「もしかすると間に合わなかったかもしれなかった。ありがとうな。それに、結果的にはいい切欠だった」
「またまた。あぁそうだ、ご主人」
「またふざけたこと言うのか?」
「いやいや。色々、ありがとうございます」
「別に礼を言われる話じゃない。今までと何も変わらないだけだろ? これからも宜しくな」
「エステラにはうまく言っとくんで」
「……最初の頼みはそれだよな。本当、勘弁してくれよ」
「大丈夫っすよ。……あーやばい」
「やばい?」
唐突な意味の分からない言葉に、声が飛び込んできていた小窓の方へと振り向いた瞬間だった。
小窓とは逆側についている浴室の扉が開き、そこからミリアが訝し気な顔を覗かせている。……あまり見た事のない、何か探るようにも見えるその表情。
「ちょっと先生、何やってんの? 長くない?」
「おま、開けるなよ……」
「アンナは? 見当たらないんだけど」
別にやましい事をしているつもりはないが……女の勘というのは恐ろしい。何と答えるべきか、などと考え始めたその時。
「どうしたんすか?」
ミリアが、うわっ、などと驚いた声を上げながら顔をひっこめる。先程まで小窓の外に居た赤髪の声が、扉の方から聞こえてきた。
「先生が遅いから見に来たんだけど。アンナも何やってたの?」
「同じっすよ。薪の整理してたんすけどやたら静かなんで声かけたらご主人、寝てたっす。取り敢えず、薪足してきた所っすね」
「……そっか。ちょっと先生さ、家の中で溺れるとかやめてよね」
「悪い。大丈夫だ、もう出るから」
「レイスー。もう出るってー」
間延びした声を響かせながら再び閉まる扉。
それを見ながら、話す相手のいない浴室でゆっくりと立ち上がった。
「で。先生さ、何話してたの?」
広いベッドの上で手足を伸ばし寝転がっていた。その右腕を軽く握るミリアが汗の引いた額を脇のあたりに押し付ける。やはり腑に落ちなかったのだろう。
「エステラに嫌われている話したろ。本人からは何も聞き出せそうもないからアンナに聞いた」
「実は私も聞いたんだけど、困った顔で別に何もないです、なんていうからどうしようって思ってたんだ。なんて言ってた?」
「あぁ。それなんだけどな……」
いまだに付き纏ううんざりする経緯と、確かにわざわざ訂正する程の話でもない事を、気だるく説明する。
それを少し憮然とした表情で聞くミリアが、軽くため息をついた。
「そっか。わかった。でも本当はそこじゃなくてさ。疑う訳じゃないんだけど、あまり2人で話し込んだりしないで欲しいなぁ」
わざとらしく拗ねた顔が上目遣いで見上げている。しかし確かにいい気分ではないだろう。
「分かった、気を付ける。……ちょっと待て」
「ん?」
「この話って元はと言えばお前が――」
「知らなーい」
「お前なぁ。それに、別にやましい事なんてないからな?」
「わかってるよ。でも嫌なんだってば」
「……。」
今度は本当に拗ねたような表情。その頭を軽く抱き寄せた。
ま、いいか、と小さく言いながら素直にそうされるミリアに、わかったわかった、などと返す。
腕の中に納まった白い肌と長い髪。それを見下ろしながら長い溜息を吐いた。
あまり隠し事をするのは気が進まないが、赤髪については何か適当な説明をしておく必要があるだろう。
何れにせよ、この屋敷の中に関して言えば当面は赤髪の希望通り居心地の良いままだと思う。
「そう言えば。ドレス、どうなんだ?」
ふと思い出した疑問ではあったが、しかし返ったのは小さく唸るような声だった。加えて寝息を立て始めたミリアが胸の上に転げ上がる。
胸の上で器用に寝返りをうつ温かい重さを感じつつ。ゆっくりと目を閉じ、俺も長い1日を終わらせていった。




