変わり始めた日常12
窓の外から差し込む朝日に、目を覚まされた。
床の上で体を起こし、欠伸をしながら首を回す。
ゆっくりと立ち上がり、軽く体をほぐすよう軽く右手と左手の拳を交互にゆっくりと突き出す。
少し体が重い。
ベッドの上をみると、レイスはまだ体を丸めるようにして眠っている。
まだ早いな、と独り言を呟きながら椅子に座り込み、先日打ち倒したオーガの事を考えていた。
大きな相手に対し、打撃では明らかに不利だった事を痛感する。
獲物なしと見せかけていたのが好転したのは事実だが、毎度うまくはいかないだろう。
これから魔物と戦う頻度が多くなる可能性を考えると、少し対策する必要がある。
対策とは…。先日、オルビアたちと出かけた際に武器屋で見かけた、刃渡りが自分の背ほどもある巨大な剣を思い出し苦笑する。
あれでは旅の途中で鉄板焼きに使うのがオチだろう。
仮に剣を使う頻度を上げるのであれば、再度ある程度の修練が必要になる事を考える。
自分は剣を使う事については、幼少時に基礎を習っただけで、後は経験に基づく雑な使い方だ。
今から養成所か?これから技術を習得しようとする若者達の列に並んで自分も一緒に剣を振るう姿を想像し、また苦笑いを浮かべ、その考えを打ち消した。
「…んん」
レイスが寝返りを打ち、顔がこちらを向く。
まだ眠っているようだが、そろそろ起こす事にしよう。
ゆっくりと伸びをして、ベッドに近づく。
規則正しく小さな寝息を立てているその肩をゆすり、声をかける。
ゆっくりと目を開いた彼女が、ゆっくりと体を起こしベッドの上に座り込んだ。
まだ少し寝ぼけているようで、ぼんやりと俺の顔を見ている。
「おはよう、起きられる?」
「…おはようございます」
消え入りそうな声を返すが、それで目が覚めたのか、
「おはようございます、す、すみませんいま着替え、いや、起きます」
再度の返事をし、あたふたとベッドから下りて靴を履く。
「おい、本当に大丈夫か?とりあえず食事に降りようと思ったんだけど。もう少し待つか?」
「いえ、行きます、あ…ちょっと待って下さいすみません」
ベッドの脇からブラシを取り出し、懸命に髪をとかし、服を少し調え、こちらに向き直り、
「すみません、お待たせしました」
安堵したような表情でこちらを向く彼女の口元に、涎の跡が残っている。
「おいおい…」
手を伸ばし、恥ずかしそうな顔の彼女の口元を指で、ごしごしとしてやる。
「よし、行こうか」
「あ、ありがとうございます…」
振り向き、部屋から出た。
「今度、鏡も買ったほうがいいな。今日の養成所のあと、また買い物にでも行くか?」
「鏡ですか。」
浮かない表情の彼女が続ける。
「私は、あまり鏡が…でも、あった方がいいですよね。」
右手が左目のあたりを撫でている。
「俺はその傷跡も別に嫌いじゃないぞ?」
何の気なしの言葉に、少し間を空けて嬉しそうに頷き
「買って頂けるのでしたら、嬉しいです」
俯きながら改めて返す。
「それに俺も今日は少し用事がある。早めに終われば行こう」
「あれ、おはよう、いま持ってくるよ」
椅子につく俺達の脇をルシアが通り過ぎ、すぐさま盆を持って戻ってくる。
「ずいぶん早いじゃないか。2人だと違うねぇ。」
俺の顔を見ながら皿を置く。
「俺はいつでも早起きだって」
早速、皿の上にナイフを入れながら適当に返事をし、切り分けたそれをいつものように彼女の前に移動する。
「あんたが早起きだったら世の中みんなどうかなっちまうよ」
再び戻ってきたルシアが今度は俺の分の皿を置く。
朝からなんだ、とでも言いたげな俺の視線をやり過ごし、ルシアは厨房に戻って行った。
部屋に戻り、出かける準備をする。
「あの、着替えるので…私は構いませんが…」
という彼女を置いて、宿の外に先に出て待つ事にする。
まだばたばたと忙しそうな食堂を抜け、朝の匂いがすっかり消え去った通りに出る。
暫く待つと、レイスが降りてきた。
ひらひらとした飾りがついたワンピースを着ている。
「お買い物に行くかもしれない、と思ったので…」
見詰める視線に恥ずかしそうに俯く彼女の荷物を持ってやり、養成所に向かう。
「おはようございます、グラニスさん」
「おぉ、戻ったか。どうだ、成果を見ていってやれ」
他の生徒そっちのけで指導を行っているようで、養成所には数日前から別の教師が増えている。
有難い事だが、こちらも立場が無い。
「グラニスさん、割といい報酬が入ったんです。費用、ちゃんと払わせて下さい」
「…そろそろ言い出すと思ってな」
懐から短めの杖を取り出す。俺の肘から指先ほどの長さだ。
「??いや、指導の正規の報酬を払わせてください」
「これは余り物でな、これを買い取ってくれればそれでいい」
「あぁ、分かりましたよ…。少し多めに払わせてください。いくらですか?」
聞いた事が無いような金額を平然と述べられた。
暫くその杖の成り立ちやその特性を述べられたがさっぱり分からない。
隣で心配そうな顔をするレイスは、その意味する所も理解しているようだが…。
「あの、グラニスさん、ちょっと待って下さい」
血の気が引いている俺に、
「ある時払いでいい。彼女に私が知る事を全て教えきる時まで払えば、残りはいらん」
とんでもない事を言い出すグラニスにそんな訳には行かない、と食い下がるが、
そんな事よりも彼女の修練の成果を見ていけ、とばかりに踵を返すグラニスは全く聞き入れてくれなかった。
目を伏せ、口元が囁くように動くと、レイスの手の上で空気が歪むように氷の槍が現れた。
俺の腕程の長さの槍は、凄まじい速さでそこから飛び立ち、屋外訓練場の端においてある適当な板に突き刺さった。
並べてある板切れを次々と氷の槍が貫いていく。
殆ど的を外していない…というか、全てほぼ板切れの中心に突き刺さっている。
7つ目の大きめの板切れに、大きさを合わせるように俺の背ほどの巨大な槍が突き刺さり、そこで一旦休憩する事にするようだ。
何かしらの用で呼び出されたグラニスが養成所の中に戻っていく。
「どうでしょうか?」
少し誇らしげに見える彼女の顔に、返す言葉が無い。
「あぁ、凄すぎて返す言葉が見当たらない。本当に」
思うままの感想を述べる。
「ありがとうございます。でも実は、この前に氷の塊をぶつけるという練習もあったんですが、そちらはどうしてもうまく行かなかったんです」
少し情けないような声を出す。
「あぁ、そうか。距離感っていうのは、両目で見ないと、どうしても感覚がずれる。
その点、さっきの槍なら距離があまり関係ない…真っ直ぐ的に飛んでいくから。いい選択だと思うな」
「え…。そうなんですか。私、初めて知りました。そうか、だから…」
少し驚いた表情で納得し、俯いて考え込む彼女。
他にも思い当たる節があったらしい。色々と思い出し、頷くような仕草をしている。
「しかし、本当にすごいな。俺なんかよりよっぽど…」
彼女の技術を殺し合いの尺度で測っている事に気付き、言葉が詰まる。
「私、リューン様のお役に立てるでしょうか?」
先程褒められた事で期待の眼差しを浮かべる彼女に曖昧に笑い、立ちあがる。
護身用に持ち歩いている小型のナイフをベルトから抜き取ると、氷の槍が突き刺さっている板切れを狙って上段から投げる。
放物線を描くそれは、縦に回転しながら板切れに吸い込まれるように飛んで行き、板の端にかろうじて突き刺さった。
「あぁ、負けたか」
悔しそうに言いながらナイフを回収しに歩く。
彼女の問いには答えない。
役に立つか?当然だ。圧倒的な火力となるだろう。
だが、そんな場に彼女を同行させるか?冗談ではない。
そんな場であれば、彼女に死の危機が迫るような場面が必ずあるだろう。
命に変えても守るだろうが、自分が先に死ぬのも残る彼女が心配で、当然本意ではない。
俺よりも後に死ぬ気はない、と彼女が以前口走ったことを思い出し、
同じような事を考えている事実に、頭を掻く。
その時だった。
「おい、リューン、ちょっといいか?」
グラニスが手を振っている。
ナイフを引き抜き、手を上げて答え、養成所の方に足を向ける。
「少し頼まれてくれないか?」
「あぁ、なんでも言って下さい。出来る事ならば大体の事はやります」
「すまんな、実は剣士の養成所のほうでな…
要約すると
実地の講師に怪我人が出ていて、臨時で少し指導を行って欲しい。
指導といっても基本実践練習なので、教える云々は適当でもいい。
講師に怪我をさせたのはグラニスの知人の子供。
その知人の家はかなりの良家だが、子供が非行に走ってしまいどうしようもない。
今後もあまりにもひどい様であればもう絶縁したい、という相談を受けたグラニスが養成所を紹介した。
その子供、センスだけは良く、下手な講師だと打ち負かされる事がある。
益々調子付き、困っている。
こういう事だった。
「要するに、講師として入って、誰にも負けなければいいんですよね?」
「…端的に言えばそういう事になるな」
「分かりました。丁度剣の扱いの練習を考えていた所だったんです。」
センスがいいといっても、流石にあっさりと打ち負かされることは無いだろう。
快く依頼を受け、午後はそちらに向かう事にした。
レイスが放つ氷の槍が、相変わらず正確無比に的を打ち抜いている。
杖をうまく使いこなせば、より効率よく魔力を扱えると、の事で、
午後からは先程の杖を使いその技術を磨く、との事だった。
「午後、剣士の養成所の手伝いに行ってくる」
「手伝い…ですか?」
小首をかしげるレイスに料理を切り分けながら、先程のグラニスの話と、世話になっている礼で、といった所を説明する。
「レイスの方が先に上がるようなら、グラニスさんが一緒に養成所まで送ってくれるそうだ。…わざわざ言われたという事は、少し待たせるかもしれない。
なるべく早く切り上げるようにするから、予定通り買い物にも行こう」
嬉しそうに頷く彼女と魔術師の養成所の入り口で別れ、俺は剣士の養成所に向かう。
久々に、半ば自らの技術向上を目的とした行動を起こす事に懐かしさを感じると共に、グラニスのそもそもの依頼目的を思い出し、重くなる気を引き締めた。




