06
再び庭の中を走り出した俺は。
結局、子供達からだらだらと逃げ回るのにも早々に飽きてしまい、その役目を子供の中で最年長であるリーザへと押し付けた。彼らの中で上手く役割を分担してもらうべきだろう。
……そんな物は言い訳で、面倒になっただけなのだが。
しかし手の空いた俺が振り向いた先では、レイスとミリア、そしてティアとアンナまでが座り込んで話しており、流石にその中に座り込む気にもならない。勿論、再び子供達の中へと舞い戻る気になる筈がない。
この状況で手持ち無沙汰などと言うのは今ひとつしっくりとこない表現ではあるものの、先日武器の類を整備に出したことをふと思い出した。
「ちょっと整備に出していたものを貰ってくる」
「え。先生、今それ行くの?」
ミリアの少し疑問を含んだ声。それと共に立ち上がろうとするレイスを片手で制し、用はそれだけだから遅くとも昼食までには戻る、などと追加の説明を添えて振り返った。
「あれ、どこ行くんだい?」
奇声が響く庭を離れ門へと向かう途中、声を掛けられる。丁度洗濯物を干していたベルタが少し驚いた顔でこちらを眺めていた。これだけ客が来ているのを放って出掛ける家主がいるか、といった所だろうか。
「別に居なくても大丈夫そうだし、武器の引き取りだけ行ってきます」
「もしエステラに会ったら早目に戻るように言ってくれるかい?昼に使いたいものもあるから。今日は人数も多いからね」
「……はい」
気の進まないのが顔に出ていたらしく、ベルタが笑っている。
「そんな顔しないでおくれよ。あの子、真面目でいい子だよ?」
もう一方の赤髪はどうなのだろうか。何れにせよ、別に人格に文句がある訳ではないのだが……気が進まないのは事実だった。とは言え、それは声を掛ける程度の事も断る程でもなく。
もしも見かけたら言っておきます、などと生返事を返しつつ、この所では珍しく一人で家を出た。
最近、外出時に気になっていた視線はそれほどには感じない。1人だけならそこまで注目されるでもないらしく、しかしそれは一体どういう事なのだろうか。
そんな事を考えながら武器店の扉をくぐる時だった。視界の端、見覚えのある後ろ姿が荷物を両手で抱えて歩いている。
扉の前で方向を変えそれを追い、声を掛けた。残念ながらそれはひどく余計な事だったのだが。
「エステラ?」
もう手が届きそうな距離で口を開く。
その瞬間、思い切り体を縮こまらせながらこちらへと振り返る見知った顔。そこには少し恐怖までもが混じったように見える。
「すまない驚かせた。荷物、持つか?」
「……す」
「え?」
「大丈夫です!」
「そ、そうか。重くないか? どうせ暇潰しみたいなものだから別に……」
「……。」
以前ほどではないものの、それでも刺さるような視線と必要以上の音量で戻る拒否。
客観的に見れば、体格のいい男が大荷物を持っている少女に何か禄でもない声を掛けているようにも見えるかもしれない。いや。大半の人にはそう見えているだろう。
「わかった。わかったから」
通り過ぎる人の視線を感じつつ、呻くように沈黙に答えた。
正直に言えば、もう振り向いてこの場を立ち去りたい気分でもあったが。幸いと言うかなんというか、相手もそういった雰囲気だ。
顔を歪ませる俺の前、荷物を一度抱えなおすエステラが意を決したような表情で言い放つ。
「私が大人しそうだからですか?」
想定の斜め上を行く意味不明な言葉に、必死に思考が巡る。しかし、立ち尽くしている訳にもいかず。
「大人しいというか、真面目なのはベルタさんも褒めていた。そのベルタさんだけどな、昼に使うものがあるからーー」
「手当たり次第なんですね。レイスさんとミリアさんに言いつけますよ?」
「……何を?」
「お洗濯の時にハンカチ見ました。いつも出掛けられている折、何をしてるんですか? 私、知ってます。あれは口に引く紅ですよね」
先日西の町へと向かった折、確かに紅を拭き取った記憶はあった。
それはそうなのだが。
「あれは色々あって拭き取っただけで。何もやってないって」
「そうですか。」
色々とまずい説明に返される棒読みの返事。
こちらを伺うような表情を見ながら懸命に記憶を辿る。一応、俺は彼女達の所有者という立場だったような気がするのだが。違っていただろうか。
別にそこに敬意や畏怖など求めてはいないし、所有を声高に主張するつもりもない。……正直に言えば、食事の準備だけはして貰えると嬉しい。
とは言え、追及される謂れもないだろうなどと思いつつも、しかし皆に訳の分からない事を吹き込まれるのはそれこそ勘弁して欲しい。やましい事がない俺としてはただの難癖であるものの、潔白を証明する手段もない。
間違いなく勘違いされるようなやり取りを周囲に晒しつつ空を仰いでいる所に、救いの声がかかった。
「あれリューンさん、何してるんですか?」
現実に引き戻されつつ振り向く。
恐らくは王都で空を見上げているなどと思っていたクレイルが訝しげな表情で立っていた。
「クレイル? こんな所で何やってんだ?」
「絵面的にリューンさんが聞かれる側だと思いますよ? ……どこか触りでもしたんですか?」
指摘は尤もではあるものの。救いではなかったらしいその声に、俺は少し泣き出したい気分だった。逆にそれを見るクレイルの表情はとても嬉しそうだが。
しかし彼は俺の表情を見て、その顔を真顔へと繕いながら再び口を開く。
「冗談です。あの2人以外に興味ないですもんね」
どうやら救いの声の主となってくれるらしい。大きく頷いて見せるクレイルへと、絞り出すような声で同意を求める。
「……この間だって、何時もお前たちと一緒に行動してただろ? 紅がハンカチについてた話なんだが、あれは仕方ない事だったよな」
「ハ、ハンカチ?」
「ラールの所の話だって」
「あぁ、あれは酷かったですよね。とばっちりもいい所でした。……それがどうかしたんですか?」
間違いなくその場にいなかったクレイルが、吹き出しそうな顔で理想的な同意を述べる。
若干蚊帳の外で眉間に皺を寄せているエステラへと向き直った。
「だから言っただろ? 偉いさんと話す時に、向こうが連れてた女の口紅を拭き取る用ができた。それだけだって」
「……すみませんでした」
未だ少し不満そうなその謝罪に前のめりになりつつ。
「ベルタさんが早めに帰って欲しいと言っていた。買い物はもう――」
「大丈夫です」
「……。」
三者三様の表情を浮かべた珍妙な組み合わせは、客観的にはどのように見えているのだろうか。
伝言を伝えるのは最後になったものの、結果的には家へと向かう道を歩いていた。が、どうも間が持たない空気に、クレイルに改めての問いを投げ掛ける。
「で、どうしてこんな所にいるんだ?」
「言伝がありまして」
「言伝?」
「ミネルヴ様から少し。あぁ、大した話じゃないんで安心して下さい」
「手間かけて悪いな」
「いえいえ。リューンさんの顔も見たかったですし」
「……なんだそりゃ。丁度スライたちも来ているけど、このまま来るか?」
「え。いいんですか?」
目を輝かせるクレイルの目的は言伝などではなく、耳長の片割れの方だろう。しかし何れにせよ、相変わらず強張った表情のエステラに説明するような話でもないだろう。
少し重そうに荷物を抱える華奢な使用人の方を、彼女に分からないよう時折振り向きつつ。形容しがたい雰囲気を纏いながら、3人で家へと戻る事となった。
「すみません、昼までご馳走になっちゃって」
「つうか、なんでお前ここに居るんだよ」
「ひどいですね。遊びじゃなくてちゃんとした用事があって来てるんですよ?」
「ほう、どうだかな」
テーブルの上に並ぶ料理の向こう、スライとクレイルが相変わらずなやり取りをしている。それを眺めながら、レイスとミリアに先程の出来事をひそひそと話していた。
「それで店に寄るの忘れたの?」
「そういう事になるな」
隣の椅子で呆れた表情を浮かべるミリア。後ろのレイスも似たような表情をしているだろう。
ひそひそと話す俺達とは対極のような、子供たちが料理を口に運ぶ絵面の方へと顔を戻した。
いつもの倍以上の胃袋を満たす為、ベルタが昨晩から何かを仕込んでいた。大きなテーブルの上に並んだそれらは子供達も含め好評らしく、口一杯にそれを頬張る男の子と目が合う。それに少しひきつった笑顔を見せる。
その後。流石に再び同じ理由でここを離れる訳にもいかず。
食後の運動と言うには少し激しい追いかけっこを再び強いられ、途中その役目を今度はクレイルに押し付けたりしつつ、気だるい昼下がりが過ぎて行く。
夕方と言うにも大分早い頃。それは逃げ場をなくした俺が疲れ切った頃だったが。
……悪魔たちはそれぞれの住処へと帰るという。
「夕飯の支度もあるしな。今日はあいつらの相手しなかっただけでもだいぶ楽だった」
「お前、いつも大変だろ」
「だから前にも言ったろ。まともに付き合っちゃ駄目なんだっつの。とても持たねぇよ。」
「確かに言われたな……」
スライの尤もな言葉に苦笑しながら相槌を打った。そんな俺達の視線の先、ヒルダとヴォルフが握手を交わしている。
「何だか知らねぇけど。あいつも弓の使い手としちゃかなり腕が立つ部類だ。色々と為になるやり取りがあったんだろ」
「まぁ、そういうのが有ったなら幸いだな」
「丁度いいからお前も誰かに剣術でも習えばいいじゃねぇか。何だか前にそんな話してなかったか?」
「……確かに」
「……。」
以前スライにそんな話をした折、剣についての話を聞こうと思っていた相手が死んでいた事を思い出す。スライも彼の事を思い出しているのだろうか。もう帰るという話の中、相変わらずぎゃあぎゃあと騒ぐ子供達を見て目を細めている。
「なんつうかよぉ。こういうのは大切だよな」
「そうだな。尚更、簡単に死ねないと思う」
「そうじゃなくたって死ぬなっつの。まぁお前はそうそうくたばりゃしなそうだけどな」
「お前には言われたくない」
いつものような軽口を叩きつつ。また来るね、などと喚く子供達を、再び引きつった笑顔で見送った。
「さて、クレイル。待たせたな。……少し休んでいいか?」
「なんだか疲れちゃいましたね。出直しましょうか?」
「休んでからで良ければ聞かせてくれ」
「実は俺もそうしたいです」
苦笑する若い騎士の言葉通り、一休みの後。
本当に大した事ではない彼の言伝を聞き、本当にそれに託けてここへと来た事を十分に理解した。それを踏まえ、ティア達が出掛ける折に声を掛けるという約束に目を輝かせるクレイルを送り出し。
長い一日の短い残りを、やっとゆっくりと消化する事となった。




