18
先程目の前に座っていた黒髪の女に別室へと案内され、暫くお待ち下さいね、などと妙に艶っぽい声と共に部屋に押し込まれた。
完全に的外れではあるが、脱出方法などという物は思い出せそうもなく部屋の中をゆっくりと眺める。
小奇麗なベッドと簡単な書棚、机、椅子。
パドルアで長く住んだあの部屋とはその広さほどしか違いはない……だいぶ小奇麗ではあるが。
それはもう別物だろう、などと考え思わず苦笑いを浮かべた。
仕様もない事を考えつつ過ぎて行く時間の中、誰も現れない部屋で欠伸を噛み殺す。
流石に少し疲れていた。
色々な出来事があり、そこで急にこのような手持無沙汰な時間など。
高価そうなベッドに手をついた。
毛布を筒状に丸め、もう一枚の毛布をそこへ被せる。
それを少し枕に被せるのも忘れない。
ベッドに横たわる風な絵面が完成し本来そこに収まるべき俺は部屋の隅、扉から目につかないベッドの脇の床に転がる。
どれだけ着替えるのか、女でもあるまいしなどと考えつつ、まどろみ始めた俺の耳に静かに扉を開く音が聞こえる。
そして足音を殺すように歩くそれに、意識は一度に引き戻された。
余計な事を知る俺を暗殺する?
しかし別の人間に先程の居場所を抑えていればそれは意味を為さない。
俺だけでなく全員?
それもないだろう。ミネルヴも行先くらいは告げている。こんな所で行方不明になどなれば立場も危うい。
何れにせよ。
俺がその結論を諦めるのと、ベッドがゆっくりと沈み込むのはほぼ同時だった。
ベッドの上、筒状に丸められた毛布に跨る薄い下着の女。
先程俺の正面に座っており、ここへと案内した女だった。
振り返りざまに揺れる相変わらず豊かな胸の谷間は、もうほとんど隠されていない。
「あれ?え……?」
その間抜けな言葉が響くベッドの横で、息を殺したまま静かに立ち上がる。
……当然。悲鳴を上げられる事となった。
「……何してるんですかぁ」
「何もしていない。あんたこそなんだ?」
「そんなこと。わかりますよねぇ?」
そういいながらこちらへ延ばされる手を、一歩下がってかわした。
「それに。悲鳴を上げても誰も来ないって、ここはどういう所だよ」
「まぁ、そんな事はいいじゃないですかぁ。もうちょっとかかるらしいですよぉ?」
「そういうのは間に合ってる。早く用事を済ましたい」
しつこく手を伸ばす彼女から、明らかに手が届かないように数歩下がる。
……少し惜しいような気もするが。
そんな俺を気にもせず、目の前の女は合点がいったという表情を浮かべた。
「あぁそっかぁ。男がいいの?」
「勘弁してくれ……」
女はネーデルと名乗った。
それは恐らくやたらと締まりのない言葉遣いの為、間延びする感のある話ではあるが。
理由はわからないがここへ来た目的を拒否しており、完全に暇潰しとして彼女の出自やラールについて
の話をしていた。
スノア出身だが国境での争いで捕えられ、ラールに買われた事。
しかしその生活は、物扱いされるようなこともなく、むしろラールには親愛こそあれど、という状況らしい。
時折こういった接待じみた事はあるが、明日もわからないような生活よりは余程いい。
そんなことを語る彼女が座るベッドと、数歩分の距離を開けて続けられるやり取り。
「ラール様って。どんな人なんだ?」
「どんな? ……優しいかなぁ。みんなあの人の事は好きだと思うなぁ」
小首を傾げる。
「こんな事させてもか?」
「どんな事ぉ? 何もしてないけど」
「そういう事じゃなくて……」
「あははは。よくわからない店に売られるよりよっぽどいいでしょお?それに、私もあの人の事は好きかなぁ。抱いて貰えるのは時々だけどね」
「……。」
聞いておいて何ではあるのだが、聞きたくもなかった説明に顔を歪めつつ。
……2人は、そんな風に考えたりするのだろうか。
そこに俺とどれだけの差があるのか、などと考えた俺の顔はさらに歪む。
「あれ。どうしたの。そういうの嫌い?でもさぁ――」
俺が大きく顔を振って見せたその時、扉をノックする音が響いた。
ネーデルが立ち上がり、再び大きく揺れるその胸元から視線を外す。
「それじゃあ、うまく行くといいね。でも多分、あまり嫌われてないから大丈夫だよぉ?」
「あぁ。ありがとう」
視線を逸らしている俺の首へと素早く回される彼女の両腕。
振りほどく間もなく頬に触れる柔らかい感触。
「……!」
「あっはっは!じゃあねぇ」
「おい!」
楽しそうに手を振りながら扉へと早足で歩くネーデル。
扉を開いたところで何か一言二言話した彼女と入れ替わりに、やっとラール本人が現れた。
頬に着いた紅を懸命に拭き取りながら一応頭をさげる俺に、おかしなものを見るような顔のラールが口を開く。
「いい女だったろ? というか何やってんだ?」
「……不意打ちはやめて欲しいですね」
「不意打ち? なんの話だ?」
そう言いながらラールはかったるそうに机の上へと腰かけた。
「それで。打ち合わせというのはなんです?」
「単刀直入に言う。お前、黙る気はないか? あと、場所知ってる奴の居所を教えてくれ。女も生活も保証するぞ? 何人欲しい? 金は幾らでもとは言わないが――」
「いや。そういう話なら帰らせて頂きたいのですが」
「だから逃げるなって。じゃあ何が欲しい?」
何が欲しいか。
もう欲しい物があらかた手に入ってしまった俺としては。
強いて言えば平穏な生活ではあるが、流石にそんな簡単に鞍替えする程に軽薄ではない。
一通りの思考の後、俺はその面倒くさい男へと答える。
「ありませんね。ミネルヴ様には世話になっている。望みを言うなら、少なくとも今回は先程の話の通りにして貰いたい」
「おいおい……」
その皮肉交じりの回答に、ラールは浮かない表情で天井を仰ぐ。
「もういい。わかった。……所でお前」
「はい。」
「白と黒の服、どっちか選んで買えって言ったらどっち選ぶ?」
「はい?」
「服だ。冒険者出身だろ?お前たちみたいなのが表歩くのに着るやつ」
「強いて言えば白です。まぁどっちも買いませんね。黒も白も汚れが目立つ」
「だよな。灰色が選べればそうするだろ?」
「まぁ、そうですね」
……なんとなく、意図するところは理解した。
今回の彼の目的も。
彼は、灰色にしておきたいのだ。
ミネルヴが望むのは白か黒かを決めるような物だろう。
「本気でやり合えば、それこそ山ができるだけ人が死ぬ。時々小競り合いする方が余程マシだと思わないか?」
「答えづらいですね」
「お前個人はどう思う? 誰にも言わないし俺もこの部屋を出たら忘れる。時々誰かに確認しないと自分が正しいかもわからなくなるしな」
「少なくとも正しくはないでしょう。……どちらも」
再び天井へを視線を遊ばせるラール。
「最終的にはな。南とも拗れて、スノアとやり合うと横から打たれるって構図がいいと思っていた」
「そんな事を話していいんですか?」
「お前も部屋を出たら忘れろ」
「……わかりました。でも、そんな理屈で襲撃された南、エルフ達は堪りませんね」
「こんな所で勝手に死刑が決まった傭兵達もな」
「わかっています」
とは言え、どの口でそんなこと言う?などと思った俺の視線の先、それが分かっているように再び軽薄そうな笑みを浮かべるラール。
「取り敢えず、今回は気分が悪いが乗ってやる。俺もわざわざヴァンゼル家に喧嘩売りたくないしな」
「ありがとうございます。できればそうして頂きたいです」
「俺もお前も、ひどい奴だな」
「そうでしょうね」
再び真顔になったラールが改めて口を開く。
やっと本来の目的、以降の進捗について話し合った俺がこの屋敷を出たのはもう夜半過ぎの事だった。
人気のない道を宿へと向かう。誰かに付けられているような気配もない。
どうやら、ラールは約束を果たす気になってくれているらしい。
それに安心しつつ、皆寝静まった宿の階段を余計な音を立てないように登る。
安物のベットの上で手足を広げ眠る金髪を一瞥し、自分のベッドに横になった時だった。
「#################!!!」
「うわっ!」
隣のベッドの金髪が、裏返った声で意味不明な言葉を口走った。
思わず起き上がってしまった俺が視線を向けた先、金髪は再び規則正しい寝息を立てている。
何度か目撃していた事とは言え、濡れ雑巾をその金髪の顔に押し付けてやりたい衝動に駆られつつ。
俺は長い1日を終えた。
翌朝。
少し寝不足ながらも申し訳なさそうな顔のレイスに起こされ、朝食と昨日の出来事の報告に食堂へと降りた。
最後まで話を聞いた皆の表情は芳しくない。
かく言う俺もそうだった。
冒険者と傭兵とは似て非なるものだが極めてその性質は近く、それらを兼ねている場合だってある。
そしてその兼ねている知り合いや友人も居なくはないだろう。
しかし、もう賽は投げられた。
浮かない顔を見渡し、再び口を開く。
「これからミデルたちを迎えに行って、その場所の説明なんぞを済ませてくる。恐らくその後、俺たちは出発だ。……準備をしておいてくれ」
その言葉通り、ミデルとアルメを伴った俺は再びラールの館を訪ね、ミネルヴも同席の元で昨日話し合った内容の確認を行う。
……一つ余計な手順を付け加えたが。
しかしその場所について、ラールはあまり興味を示さなかった。
あくまで場所を知っている人間がいるのかいないのかだけが重要な事であり、スノアの関係者は実際の所その場所を把握している筈だと言う。
事の詳細を説明されていないミデルは釈然としないそのやり取りに顔を歪めているが、とは言えやる事が決まっていれば話は早い。
その場でミネルヴが用意した書簡を携え、俺たちは再び南を目指す事となった。
一応ではあるが。
昨晩置いていかれた件についての抗議もしたものの、遅れてきた上に突然ああいう話を持ち出すな、というありがたいお褒めの言葉も頂戴した。
流石に顔を歪める俺に、だが実際のところ助かった、礼を言う、などとばつが悪そうに答える様は、スライをして力になってやりたいと言う気持ちもわからなくはない姿ではあった。
何れにせよ。
人使いが荒いなどと言う文句を聞き流しつつ、再び俺たちは南を目指して出発した。




