変わり始めた日常10
森の中の獣道に近い道を辿り、村の入り口の少し手前で一度とまる。
村の中は静まり返っている。
「ちょっと、もう一回見てくる」
「気をつけろよ。あいつら早起きかもしれないからな」
ヒルダとスライのあまり緊張感のないやり取りを聞きながら、小手のベルトを締めなおす。
続けて腰の後ろに収まっている幅広の中型剣の柄、腰の投げナイフの本数を確認する。
戻ったヒルダが小声で皆に伝える。
「右の2軒目で5匹まとまって寝てる。残りは分からない。2階かも」
不確定要素がそれなりにあるが、相手がゴブリン程度ならば遅れをとるような人間はこの中にはいないだろう。
「2軒目は確定だ。間違いなく潰したいがその他のどこから攻撃を受けるか分からない。後衛は入り口付近で待機、といった所か」
スライが提案する。続いて念の為に依頼者の顔を見るが、それに異存は無いようだ。
「それじゃ、少なくとも5匹は俺達2人で片付ける訳だな」
音を立てないように気遣いながらゆっくりと立ち上がる。
「なんだよ。報酬の分け前変えてくれよ」
ユーリも笑いながら、音を立てずに立ち上がる。
中型剣と小型の盾、薄めの鉄板鎧。
オーソドックだが、それだけ技術が洗練されているスタイル。
装備のくたびれ具合もそこそこの腕前を醸し出している。
「フォロー、頼む」
いい残し、俺達は物音を立てないように右側の並び、2軒目の家屋を目指す。
木造のいかにも古い村の建物。
入り口の扉も何とか体をなしているような状態で、簡単に蹴破れそうだ。
扉の左右で目を合わせる。
俺が先に行く、と自分と扉の向こうを順に指差すユーリの仕草に頷いて答え、少し息を整える。
ばしゃあっ、という乾いた木材が壊れる音を立て、先行するユーリが扉を蹴破り家の中に突入する。
ひどく鼻を突く獣のような臭いと、死体の臭い。
入ったそこには、哀れな、この家の元の主であろう3人の死体が転がっているだけだった。
……まずい。
直感的にこちらの動きが読まれていた事に気付く。背後にどさどさという物音。
扉の外で5匹のゴブリンがひどく錆の浮いた小型の剣と、やはりかろうじて原形をとどめている丸い小型の盾を構え、なんとも形容しがたい声を立てて威嚇している。
こちらを待ち伏せ、2階から飛び降りたのだろう。
「くそ、どうする?」
焦った声に室内を見渡し、他の出入り口を探す。
入ってきた扉の幅では1人ずつしか通れない。
1人で表に出て5匹に袋叩きではさすがに分が悪い、というか自殺行為だ。
この入り口と反対側の窓が少し隙間を開けているが、その他の窓は材木を打ちつけてご丁寧に塞がれている。
「うおおおっ!」
遠くで雄たけびが聞こえる。
大斧使いの声だろう。向こうも同時に攻撃を受けている様子だ。
相手の実際の戦力が分からない状況だ。時間が無い。
裏側に出る窓に走ろうとしたその時、扉の前に陣取る5匹のゴブリンを取り巻くように明らかに不自然な白い霧が立ち込める。
唸りを上げていたゴブリンのうち、3匹が膝を突いて倒れこんだ。
スライか。眠りの雲。吸い込むものを眠らせる霧を発生させる魔法。当然、必ず眠るとは限らないが、この状況では恐ろしい効果だ。
しかし、こちらの援護を優先したという事は。
…彼らに加勢が必要な状況だ。
扉の外に躊躇なく飛び出す。
少し意識が朦朧としている様子で残る2匹のゴブリンが、しかし戦意をあらわにして斬りかかってくる。
相手の動作を確認して、左に大きく回り込んで2匹を直線に並べてやり、切り付けてくる刃をいなす。
目の前の緑色の顔の側面に、右の拳を叩き込み吹き飛ばす。
それとほぼ同時に続いて扉から飛び出したユーリが残る1匹を、横から切り伏せた。
…そのまま、膝を突く。
その背中に歪な形の矢が刺さっている。
2階にまだ潜んでいたという事だ。
「くそっ」
思わず悪態を突きながら、地面で突っ伏しているユーリを扉の脇に引きずる。
「あと一匹だ、こっちは任せろ、早く行け」
苦しそうに指差す先に、返事もしないで走り始める。
その先に、冗談のように跳ね飛ばされる大斧使いが見えた。
「冗談だろ…」
食人鬼が丸太を振り回している。
オーガ。あの大斧使いより頭二つ分ほど背が高く、屈強な筋肉を纏う赤い体色の大鬼。
昔読んだ本によると、大きく裂けた口で人間を頭から食うのだという。
あの大斧使いが居ない状況で残した彼らに、対抗する術はない。
ヒルダとスライ、僧侶の女が必死にこちらに向かって駆けてくる。
若い騎士。確かクレートと名乗った…腰から装飾華美な大剣を引き抜き、そのままで固まっている。
中年の女僧侶が見えない。近くに潰れた肉塊が見える。恐らく先程まで彼女だった物だろう。
「何してる、下がれ!」
力の限り大声を上げ、全力で村の入り口に向かって疾走する。
若い騎士は、オーガの威嚇の雄叫びに恐怖で固まったままだ。
高価そうな剣が跳ね飛ばされ、肩口を鷲掴みにされ。
そのまま首元をかじり取られた。
走って向かってくる俺に、若い騎士だった肉の塊を事も無げに投げつけてくる。
空中で頭と胴体が別ればらばらに飛んでくるそれをかわし、オーガの前に立ち塞がった。
……そこかしこで安易に散乱する”死”に、パドルアの町で帰りを待ち詫びているであろう少女の不安そうな顔が一瞬浮かび。
それを慌てて頭の橋に追いやった。
大丈夫。誰に言うでもなく呟き、気持ちを切り替える。
目の前には筋肉に覆われた巨体。
雄叫びを上げ威嚇するオーガと視線を合わせ、構える。
もう一匹、オーガの背後に残ったゴブリンの眉間をヒルダが放ってであろう矢が打ち抜き、それが合図となった。
人の頭程の太さの丸太が俺をめがけ横薙ぎに迫るのを、半歩と少し下がりやり過ごす。
目の前で風を切る轟音を立てて丸太が通り過ぎる。
刹那、後ろ足が地面を蹴り、一気に懐に飛び込んでがら空きの腹に右手を打ち込む。
硬い。まるで大木を殴るような感触に危険を察し後ろに大きく跳んだ俺の目の前を、再び丸太が逆方向に通り過ぎた。
まるで効いていないのか鈍いのか。
俺を捕らえられず苛立った様子のオーガが再度怒りの咆哮をあげ、こちらに突進しながら丸太を振り上げる。
後ろに飛んでも半径からは逃れられないだろう。
やり過ごさず、袈裟懸けに振り下ろされる丸太を斜めに交わし、すれ違いざまに逆手で腰の後ろの中型剣を引き抜き、オーガの右ひざ下に叩き込む。
剣がしっかりと肉を裂く感触を手に感じながらそのまま通り過ぎ、振り向きながら剣を順手に持ち変えると、痛みを微塵も感じていない様子のオーガが丸太を逆薙ぎに振ろうとし。
動かない右膝にバランスを崩して膝、ついで両手を突く。
「それでいい」
丁度振り下ろしやすい高さに頭が差し出されるのを見逃す訳はなかった。
両手で握った剣を、全体重を乗せて振り下ろす。
…首までめり込んだ剣を俺の手から奪うように、オーガは地面に突っ伏した。
最初に乗り込んだ家屋の中に、ヒルダが矢を打ち込んでいる。
そこに詠唱を終えたスライの火球が打ち込まれ、家屋の後ろの窓から炎が噴き出す。
あの中では生きている筈も無いだろう。
少し離れたところで、僧侶の女が大斧使いの腕を握り必死で治癒の祈りを捧げている。
とっさに両腕を犠牲にしたのだろう。苦痛の声をあげているが、命を落とすことはあるまい。
扉の前で矢を貰い、突っ伏していたユーリも当たり所が良かったのだろう、スライの肩を借りて僧侶のほうに向かっている。
勿論、地面で眠りこけていたゴブリン達には止めを刺したようだ。
ヒルダと治癒を済ませたユーリが再度残りの家屋を調査し、俺と大斧使いが念の為に後衛に残る。
じっとりとかいていた汗が引く前に彼らは戻り、殲滅を完了したことを確認した。
依頼どおり、ゴブリン7匹と想定外のオーガ1匹を処理した。
こちらの被害は死者2名。怪我人2名。
数の上では上出来だった。数の上だけだが。