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俺達が話し込んでいる間、使用人の3人も含め誰にも相手をして貰えなかったらしいミリアは、双方の部屋を片付けながらの3往復を終えてテーブルに突っ伏していた。
幾ら近いとはいえ、片付けつつとなると流石に疲れたらしい。
今朝覗いた彼女の部屋には大量の服が鎮座しており、その優先順位について少し意見を言おうと思っていた所だったが。
「誰かー」
テーブルに突っ伏したままで、だらしない声を上げる。
「はーいなんすかー?」
呼応するようにだらしない返事を返しながら現れた赤髪。
その体勢のままで飲み物を頼むミリア。
そちらは?と問うような顔をする赤髪に適当な物を頼み、テーブルについた。
「大丈夫か?」
「なんであっちもこっちも部屋が2階なんだろう」
「そんな事知るか……」
絵面同様の脱力したやり取りに、隣のレイスがくすくすと笑っている。
その笑い声を聞きながら気だるそうにミリアが顔を上げる。
「出発、いつなの?」
「5日後だ。さっさと終わらせて帰ってくる」
「……本当に気を付けてよね?」
「まぁ、大丈夫だろ。戦う前提じゃあない。それに今スノアとやりあってる所で更に別の国に戦争吹っ掛けるような真似しないだろ。自殺願望でもあるなら別だが」
やり取りを隣で聞いていたレイスが口を開く。
「ミリア、大丈夫だよ。私が絶対に守るから」
「当たり前だけど。レイスも一緒に戻ってきて貰わないと困るってば。……でも先生突っ走りそうだからなぁ」
「そうなんだよねぇ」
「本人の目の前でそういう事を言うなよ。もう無理はしないから大丈夫だ」
情けない言い訳のような会話の中、並べられる飲み物。
じきに夕飯にしますね、という言葉を残してエステラが厨房へ帰っていく。
「あのさ。私も、多分レイスも。別にこんな屋敷じゃなくてもいいんだよ? 無理して大変な思いするならさ――」
「悪いが、本当に嫌な仕事は断る。ルシアさんの所に出戻る羽目になるかもしれないけどな」
「先生が無理するくらいなら私はそれでいいよ。あぁでも。あそこよりは少し広い部屋にしてよね。流石に寝られないよ」
「……私もそれには賛成ですね」
「俺が床で寝れば何とかならないか?」
「何とかならないでしょ。荷物の置き場所だってなかったじゃん」
「流石に無理ですよ……」
「あのな、まだやめるって決まった訳じゃないだろ……」
そんな前提で部屋の広さの話をしている2人を眺めていた。
残念ながら出世欲などがある訳でも無いのだが。
とは言え、ひどい話だ。
見慣れつつある光景。
テーブルに並ぶ夕食。
目の前に座る2人がとりとめのない話をするのを眺めながらフォークを口に運ぶ。
今の話題は今度2人の服を交換してみよう、と言う話だ。
なんとなく結末が透けて見えるような気もするが。
そこから目を逸らし、目の前の葉野菜と肉を煮込んだスープを片付けながら、出発までに買いまわらなければならない物を考えていた。
食事を終え。
欠伸をするミリアと、その隣で笑っているレイス。
「ミリア、そろそろ帰るか。送るぞ?」
「いや、今日は泊まってく」
「あぁそうか……え?」
「別におかしくないでしょ? 嫌なの?」
「いや、そういう訳じゃなくて」
予想外……でもない事なのだが。
とはいえ。
直接には何の問題もないその言葉に動揺する俺、それを尻目に立ち上がったミリアが厨房の方へ歩いていく。
その後ろ姿を眺めていた。
「リューン様」
「え……あぁ。なんだよ?」
「ミリアの言う通りです。別におかしくなんてありませんよ?」
……目が泳いでいるが。
何の事は無かった。
どうも具合が悪く、3人の使用人が扱えなかった風呂をうまく使えるようになったらしく。
それを聞いていたミリアはそのあたりを踏まえ、折角なので泊まる事としたらしい。
すぐに戻ってきたミリアと、少し遅れてこちらへ現れたベルタ。
「フライベルグさん、多分大丈夫だから入ってみてよ」
「多分って……」
「熱いか冷たいか、窓の外に教えてくれれば調整するから。まだ加減が分からなくってねぇ」
「……。」
それは生贄とか、そういった類の扱いなのではないだろうか。
結局。
折角だから最初に入れ、などという2人の言葉に甘えた俺は。
初めて個人で入れるような風呂に入り、頭から湯をかぶっていた。
以前通っていた定宿近くの浴場を思い出す。
それなりに混み合っており、湯をかぶる折にも周りの人間に気を使う必要があったが、今はその必要もない。
2,3度湯をかぶり、それが適当な温度である事を心の中で感謝する。
絞った布で体をごしごしとこすっていると、表からベルタの声が聞こえてきた。
「具合、どうだい?」
「丁度いいですね。ありがとうございます」
「礼なんていいってば。折角だから浸かって一息ついたらいい」
「あぁ。そうか」
風呂桶があるのだ。本来、そういう目的だろう。
再び湯をかぶり、体を流す。
そして……湯の中に沈み込む体。
「こりゃあ、駄目になる」
「何言ってるんだい……」
思わず漏れる独り事に、帰る言葉。
「いや。初めて入ったかもしれない」
「普通はこんなちゃんとした風呂ないからね。よっぽど金出せばそんな所もあるんだろうけど」
「こんな贅沢してたら必死に働かないといけないなぁ」
「養う人も多いからね……」
「そうですね……」
「あの2人、一緒に入ったりしないのかい?」
「……はい?」
「いや、そういうのって……しないのかい?」
「いやぁ。なんだか恥ずかしいのでやめておきます」
「ははは……」
体中が緩むような感覚を覚えつつ、清潔な着替えを身につけた。
戻った広間で待ちくたびれていた2人の視線を浴びる。
「先生、どうだった?」
「湯に浸かっていると。なんだかもう駄目になりそうだな」
「なんですかそれ……」
「お前も入ってみればわかる。多分」
そんな感想を述べている俺を尻目に。
ミリアは、一緒に入ろうなどと言いながらレイスを半ば無理やり連れて行った。
風呂から聞こえる楽しそうな……悲鳴。
「確かに。駄目になるかもしれません」
「……そうだろ?」
脱力した様子で結論を述べるレイスと、俺と同じ、そうだろう?とでも言いたげな顔のミリア。
そんな2人を眺めつつ。
明日の朝食は3人分になる事を伝え、今日はもう寝る事とした。
わざとらしく少し迷惑そうな顔をするレイスと、その部屋に入り込んでいくミリア。
確かに朝方見た折の彼女の部屋は、とても眠ったり出来る状況では無いように見えた。
ベッドの上に積まれた服達は片付いたのだろうか。
まぁ。いいだろう。
2人の背中を見送り、自分の部屋に向かった。
相変わらず無駄に大きなベッドに出迎えられる。
まだ風呂の余韻か、気も体も緩んでいる。
もう流石に大丈夫だろうなどと広いベッドに横たわり目を閉じたのだが。
相変わらず縁に手が届かないこのベッドの上は落ち着かず、冴えていく目。
大きく溜息をつく俺の耳に、2人の……いや。ミリアの笑い声が聞こえた。
……先日と同じ。
薄手の毛布を手にベッドから降り、ベッドの脇の床で毛布にくるまった。
背中に感じる堅い床。
以前は見慣れていた、床が目の前にあるその風景。
もう苦笑することもなくそこで目を閉じる。
それなりの時間は要したものの、やっとその意識が闇に吸い込まれる頃。
ドアをノックされる音でそこから引き戻された。
返事をする前に開かれる扉。
気だるく首を回してそちらに顔を向けた。
扉から覗く少し勝ち気なその視線が、居るべき主のいないベッドの上から部屋の中を巡る。
少しの後に目が合ったミリアは大きく顔を歪ませた。
「先生……何やってんの?」
「そこ、落ち着かないんだ。しょうがないだろ」
やっと眠りの淵に立った意識を呼び戻され、少しぶっきらぼうに答えながら体を起こす。
「あぁ、なんだかごめん。床なら落ち着くわけ?」
「その上よりはましだな。あぁ、もっと安い感じのに入れ替えればいいのか」
「何言ってんの……」
2度目の説明に自分で仕様もない結論を述べながら、その落ち着かないベッドの縁に座り込む。
それを眺め、ミリアが吹き出している。
「なんだ、レイスはどうした?」
「寝ちゃった。まぁしょうがないね」
「しょうがないってどういう状況だよ……」
相変わらず少し不機嫌な俺の隣に座り込むミリア。
「魔術の本を読ませて貰ってた。いつもあんな本読んでるの?」
「ああ。色々と学ぶことが多い、とか言っていた」
「書くのはへたっぴなのにねぇ」
「それは言ってやるなよ。お前、練習させてただろ」
「分かってるってば……ああ違う。こんな話をしに来たんじゃない」
「どうした。悩みでもできたか?」
「うーん」
しかし……寝間着も持ち込んでいたらしい。
その薄い生地から透ける白い肌と下着から目を逸らした。
「そういや、部屋どうなった?少しは片付いたのか?」
「全っ然。まだ暫くかかるよね。」
「どんだけ詰め込む気だよ。広い方の部屋にしておいて――」
「ああっ、もう!」
「な、なんだよ」
「先生はさぁ」
少し怒ったような顔で立ち上がり、座り込む俺の目の前に立つ。
先程視線を逸らしたそれに、思わず再び顔を背けた。
しかし。
「どうしてこの状況で――」
ミリアがこちらに一歩踏み出す。
「――世間話みたいな話を。」
さらに一歩。
「――始めるのかなぁ。」
もう一歩。
……もう一歩と言うのは。
もう俺の顔と彼女の胸が、触れるか触れないかの距離なのだが。
膝を広げて座る俺の前に立つ彼女は、もう息がかかりそうな距離だ。
気押され、のけぞり気味の俺の頭に回されるしなやかなその両手が、俺の体を抱き寄せる。
結果は言うまでもない。
「これでも――」
少し苛立ったような声、それに続く言葉を彼女の口が綴る前に、埋まりながら彼女の背中に手を回す。
別にそれを避ける理由など見当たらないが。
もう少し先などとも考えていたが。
流石に、無理だろう。
「わ、ちょっ……」
軽くその身体を持ち上げ、少し情けない声を聞きつつ。
無駄に広いベッドに押し倒した。
目を逸らす顔に掌を添え、こちらを向かせる。
「……悪かった」
「……許さない」
「なぁ。髪、伸びたな。やっぱり長い方が似合うかもしれない」
「ん……」
そこへの返事はなかった。
返答など出来ないよう、それを塞いだのは俺だが。
横たわる彼女の肩の少し上、手をついて見下ろすその顔は。
その髪で隠れていた、耳の先まで真っ赤になっていた。
いつか。
教え子に手を出す訳がないだろう、などという言葉を彼女に吐いた事があった。
仮に今までの経緯を全て無視し、結果だけを注視するのであれば。
それは結局……嘘になった。




