2人の日常25
リンダウ家を目指し、俺達は走り出した。
走る俺達の視線の先。
空を飛ぶ暗緑色の大とかげ(ワイバーン)のうち1匹が、俺達が懸念した通りの軌跡を描いて行く。
そして。
恐らくは最悪な場所で着地するのが見えた。
そして響く、低い咆哮。
少し前の夜の事を思い出していた。
近くに置いておかないとまたどこかに助けに来て貰うよ?
そう言いながら、彼女は涙を流しながら笑っていた。
「くそ。本当、どれだけ……」
思わず悪態が口をつく。
俺の後ろを走るレイスは、少し苦しそうだ。
はぁはぁという息遣いを聞きながら、軽く振り向いて声をかける。
「近寄る。足止め、とどめ、頼んだ」
走りながら端的に指示を出す。
彼女の苦しそうな返事を背中で聞きながら、走る速度を上げた。
リンダウ家がある通りへ体を傾けて曲がる。
更に走り続ける視線の先に、ここ最近ひどく見慣れた少女の姿を見つける。
彼女は俺の背ほどある塀に手をついて、軽やかにそれを飛び越え着地する所だった。
着地で少し姿勢を崩しながらも、少し苦しそうな顔を上げてこちらへ走り出す。
走り出した彼女もこちらを認識したのだろう、少しその口の端が上がったように見えた。
その彼女のすぐ後ろで軽い地鳴りのような音が響く。
そしてそれに続く低い衝撃音。
……先程彼女が手をついた塀がばらばらに崩れ落ちる。
砂埃の中で大きく首を振るその姿。
実物はもっと大きく感じますよ?
ビュートが言っていた言葉を実感する。
聞いていた通り、家の軒辺りにある頭。
そこから続く尾までの長さは、確かにその体躯を大きく感じさせた。
暗緑色の体色。
長めの首と尾。
短めの足と大きな翼。
それを広げ、獣そのものの不愉快な咆哮を上げる。
そのトカゲのような顔がどこを見つめているのかは定かではないが。
恐らくは。
目の前でこちらへ向かって懸命に走る、金髪の少女だろう。
再びぎしぎしという重たい音をたて、それが短い足で駆け出す。
短い足とは言え、その速度は人間を上回るだろう。
懸命にこちらを目掛けて駆けるミリア。
それを追って駆け出す大とかげ。
全力で動かす足。
少し苦しい息を振り絞り、雄叫びをあげながらそれに肉薄する。
英雄譚の騎士のように。
或いは絶望的な状況に立ち向かう戦士のように。
勿論。
それは注意をひきつける為なのだが……肩にかかる斧の重さが少し軽くなるように感じた。
ミリアの背後に迫る巨体。
それを目掛け、走りながら大斧を振り上げた。
目の前を走る食事に口を開きかけたそれは。
絶叫しながら不細工な武器を構える俺に、やっと興味を持ってくれたらしい。
折角の食事の時間を邪魔されたそれは、怒りがこもったようにも感じる視線をこちらに向ける。
恐らく人間との交戦経験があるのだろう。
大斧を上段に構えた不愉快な人間の少し手前で、それが足を止めた。
同じく足を止める俺。
すれ違うミリアが、何かを口走っていた。
彼女が何を言っていたかはわからないが。
少なくとも。
今回も俺は……間に合った。
そして恐らく。
こちらも間に合っているだろう。
俺の一部ともいえる魔術師の存在を信じ、大斧を一度下ろす。
低い声を上げるそれから目を逸らし、その場で右に走り出した。
こちらへ首を伸ばそうとするそれは、しかし俺を追う事は出来なかった。
ばらばらと降り注ぐ氷の槍。
それはその鱗を貫くことはできなかったが。
再び入った邪魔に、体を捻りながら怒りの咆哮を挙げさせるのに充分だった。
……この場合の充分というのは。
俺が少し高めの塀に手を掛けその上に飛び乗り、数歩助走し跳躍するまでの時間。
時間としては幾らでもなかっただろう。
それは兎も角。
跳躍した俺は。
その長い柄の末端を握り直し、明後日の方向に牙を剥くとかげの首元に、それを振り下ろす。
手に返る重い感触。
しかしその1撃は確かに深いが致命傷では無いだろうという確信。
しかしこちらもそれで十分だった。
その1撃は再び、さも不愉快であろう目の前で大斧を構える俺へ注意を向けさせた。
吹き出している紫色の血。
怒りに任せ大口を開け、恐らく不味そうに見えるであろう俺を食い殺そうと頭を突き出す。
その怒りの表情を見ながら斧の先端を石畳に突き立て、長い柄でそれを受け止めようとして見せる。
そして。
斧をその場に残し、大きく後ろに跳躍した。
弾き飛ばされる大斧が、無傷で済んでいた別の家の塀にめり込んでいる。
手傷を負いながらも俺の数倍はあるその体躯。
対する俺はもう素手だった。
俺の目の前で勝利の咆哮をあげる羽根付きの大トカゲ。
そして棒立ちの俺。
その俺の目の前で。
俺の胴回りはあるだろう太さの氷の槍が、次々とそれに突き刺さる。
続けて突き刺さった6本の氷の槍は。
そのトカゲの命を終わらせるのに十分だった。
それが崩れ落ちるのを念の為確認し、振り返った。
無表情にこちらに右手を向けていたレイスが、ゆっくりとその手を下す。
そのすぐ横で、ミリアが座り込み荒い息を吐きながらこちらを見ていた。
近くの塀にめり込んでいた大斧を引き抜き、再び肩に担いだ。
トカゲが小さく痙攣する様を横目で眺めながら、彼女たちの元へ早足で歩く。
「今回は。ぎりぎりでもなかっただろ」
「はは……。言うほど余裕はなかったけどね」
ようやっと呼吸を落ち着かせたミリアが立ち上がる。
「レイス。まだ走れるか?」
「はい。」
「アレンの居る辺りに降りていくのが見えたが他は分からん。ギルドの周辺は何とかするだろ」
「……そうですね」
「念の為だ。余計な世話ならそれでいい。知った顔があれの餌になるのは不愉快だ」
辺りを見渡す。
そこかしこの家から人が出てきている。
当たり前だ、自分の家先でこんなものが戦っている状況など。
増して、もうそいつは征伐されている。
好奇心が勝るのも当然だった。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
慌てた様子のミリア。
「なんだ?とりあえず家に入ってろ」
「ええぇぇ!?もうちょっとさぁ、何かないの?」
「……ある。」
「本当にひどい……え?」
「あるって言ってんだ。だけど後でな。大体、周り見ろよ」
顔を巡らす俺の視線を、彼女が追う。
何人か知り合いを見つけたらしく、顔に笑顔を張り付け、少し頭を下げたりしている。
その先から頼りない武装の憲兵たちが駆けてくるのが見えた。
「……ミリア。とりあえず危険を感じたら逃げろ。もう無いだろうけど」
「ああもう。わかったよ」
「あいつらが片付けないようならギルドに文句言え。何とかするだろ」
「わかった。……気を付けてよね?」
そこまで彼女が口にしたその時。
北の方で、派手な爆発音が響く。
それを追うように上がる火柱。
そして流れる沈黙。
「またあいつ……。まぁいい、行くか」
「……はい」
心配そうにこちらを見るミリアに軽く笑って見せ、再び走り出す。
心配は不要だろう。もちろん油断はしないが。
この重い斧より余程強力な武器を擁しており、何となく相手の程度も把握した。
もっと言えば。
何というか。
恐らく、それが一番の理由だが。
簡単には死ねない理由が増えた。




