2人の日常24
すっかり薄暗い道を歩く。
富裕層が集まる区画。立ち並ぶ塀。少し良くできた石畳。広めの道幅。
先程言われた事を考えながら歩く足は少し重い。
しかし予定より大分遅い迎えとなっている事を思い出し、その足の速さを早めた。
見慣れたグラニスの家に辿り着き、出てきた使用人に要件を伝えそこで待つ。
幾分かの時間の後。
中から話し声を響かせながらレイスとグラニスが現れた。
「リューン様、ずいぶん遅かったですね。……それ、どうしたんですか?」
俺の顔を見るレイスの顔が歪む。
隣でこちらを見るグラニスも同様だった。
「そんなに腫れてるか?」
「ええ。すぐわかる程度には」
「本当かよ……痛むわけだ」
「……。」
そんな事をする人間は一人しかいないとでも思っているのだろうレイスは、それ以上は口に出さなかった。
その隣でグラニスが心配そうに言う。
「養成所で大怪我をしても誰も得ではないからな。気を付けろよ?」
「……。ええ、大丈夫です。気を付けます」
遅くなってしまったことを詫びつつグラニスと別れ、すっかり暗い道を2人で歩く。
時折道の端まで寄り、ひどく鉄の味がする唾を道の端で吐いた。
「大丈夫ですか?」
「ああ。普通はこういうのって、平手打ちだと思うんだよなぁ」
「そういう問題ですか」
「ちょっと。違うかもしれない」
こちらを心配そうに見上げる彼女が俺の紫色になった手を見て、更に顔を歪める。
「一体何があったんですか?」
「摘まんだら挟まれて、最終的に殴られた」
「ちょっと。いや、全然わからないです……」
あまり引き締まらない空気の中、見慣れた定宿へと帰り着き夕食を取る。
夕食を運んできたルシアが俺の顔と溜め息をつく様を見て、笑顔でレイスに握り拳を見せていた。
何かひどく勘違いされているようだが。
それでもいつものように彼女の方へ食事を押し出し、礼を言う彼女を見ながら自分の食事に手を付け始める。
流石に何があったかを延々とここで話す訳にもいかず。
早めに食事を片付け、早々に部屋に上がった。
「それで。何を言ったんですか?」
「誰に、とは聞かないんだな」
「そんな事する人、私は一人しか知りません」
「そうだよなぁ……」
そんな話をしながら兜を被ったミリアの姿を思い出す。
恐らく彼女は、何となく雰囲気を察しておどけて見せたのだろう、などと今更になってぼんやりと考えていた。
「まぁ、なんて言うか」
穏やかな表情で、相槌を打つレイス。
というか。
全て彼女が口にした通りであり。
いい加減にしろとばかりに殴られた挙句、諭されて帰ってきた俺は。
「いや、やっぱりいい」
「え。……そうですか」
少し首を傾げ、考え込むレイスが続ける。
「でもきっと。彼女はそれでもいいって、そう言います」
穏やかに、しかしそう言い切る彼女。
そしてそれは既に事実であり。
苦笑いを浮かべる事も出来ずに、ただ、項垂れた。
「でも。それはやり過ぎですね」
「普段ならあんなの貰わないんだけどな。でも多分、よけちゃあ駄目だったと思う」
「……なるほど」
それきり無言の部屋に響く、表の通りの聞き慣れた喧騒。
それを聞きながら、俺達は早々とベッドに入った。
隣で規則正しい寝息を立てるレイス。
そこから視線を天井に移す。
ミリアは。
隣で眠る彼女と、ほとんど同じことを口走っていた。
結局の所、自分だけが納得していないだけで。
彼女の涙目になった顔を思い出す。
いつものように吐き出そうとする溜息を、そっと飲み込んだ。
翌日。
彼女をグラニスの家まで送り、少し気が乗らないながらも養成所に足を向けた。
少し顔が腫れたセイムに、理不尽な暴力についての苦情を述べられつつ、この所ではいつも通りの1日を終える。
流石に今日は気が乗らないのであろうセイムと、それに付き合うロラン。
彼らと別れ、グラニスの家に足を向けた。
まだ夕方と言うには早い。
昨日と比べるとひどく早い迎えに少し残念そうな顔の彼女。
少し時間が早過ぎる事もあり、新しい家の前を通って帰る事となった。
「最近、よく本読んでるよな」
「はい。まだまだ私には知らない事が沢山ありますね」
「そんなに色々知って、色々出来るようになったら、やっぱり置いてけぼりだよなぁ」
「だから。いつも私を置いて行ってしまうのはあなたじゃないですか……。それに、何でもできる方がいいって言ったのもリューン様ですよ?」
「……確かに」
その言葉に、もしかして忘れていたのでは?と顔を歪めるレイスの視線をかわしつつ。
「なぁ、やっぱりちょっと。行ってきていいか?」
「……殴り返しちゃだめですよ?」
「……そんな事するわけないだろ」
そんな立ち話をしている俺達の所へシャルトルが歩み寄ってくる。
「フライベルグさん。どうされましたか?」
「いや、何となく寄っただけだから気にしないでくれ。毎日ここで指示出してるのか?」
「はい。それも私の仕事です。所で……昨日の方が?」
「だから余計な事を言うなって。大体、俺はなぁ――」
俺にそう聞きながら2階の部屋を見上げたシャルトルが、その姿勢のままで目を見開いている。
「おいおい。……聞いてるのか?」
言いながら彼の視線を追った先。
そこには。
俺の視線までもそこに張り付かせ、無言にさせるのに十分な光景があった。
大工たちが忙しく手を動かす家。
その屋根の遥か上。
上空で旋回する4羽のやたら大きな鳥。
いや、鳥などではないのは明白だった。
あのような尾の長い鳥など。
旋回するという行為に満足したのだろうか。
ゆっくりと大きくなりながら、ばらばらに散るその影。
「リューン様」
「ああ。討伐の依頼。片付いてなかったのか」
「降りてくるんでしょうか」
「……だろうな」
ゆっくりとこちらに振り向くシャルトルは相変わらず無表情だが、流石に少し狼狽が見える。
「シャルトル。俺はギルド絡みの仕事に着くんだよな? ギルドの場所、わかるか?」
「そうなりますね。場所も大体は」
「ちょっと行って、至急で対応するように何とか伝えてくれ」
「はい。依頼を出すという事ですか?」
「形はどうでもいい。とにかく人間集めて対応しろと伝えてくれ。……もう遅いかもしれないが」
「分かりました。あなたの名前を?」
「今は意味があるとも思わないけど。出していいから行ってくれ。大通りは避けろ、いいな?」
その言葉に頷くシャルトルが駆け出す。
再び空を見上げた。
ばらばらに飛ぶ少し小さかった影は、先程と比べて遥かに大きくなっている。
丁度いい餌場でも探しているのだろうか。
そこから視線を外し、駆け出した。
「リューン様、何を?」
かかる声を一旦無視し、家の中に鎮座する不愉快な鎧を目指す。
昨日。これは扱い辛いと再確認した斧を肩に担いだ。
今から宿に戻ったのでは間に合わないだろう。
……もし俺の懸念が当たっていれば。
肩に担いだそれを一瞥して顔を歪めたレイスが、再び見上げる空。
すっかりそれとわかる高さで空を舞うワイバーン。
「レイス、行くぞ」
「……やっぱりそう思いますか?」
「ああ。何もなければそれでいい。急ごう」
「はい」
レイスを伴い、不慣れな斧を担ぎながら門をくぐる。
俺達が駆け出す、その目的地。
絶望的に運が悪いと思われており、俺とレイスが大切に思っている者の家。
恐らくはその当人の今の居場所。
先程も向かおうと思っていたが、この一瞬でその目的は全く変わってしまった。
もうじきに掴めそうな高さで空を舞うワイバーンを眺めつつ。
リンダウ家を目指し、俺達は走り出した。




