2人の日常21
定宿へ帰る道を一人、歩き始めた。
予想外に早い戻りに笑顔を浮かべるレイスと、珍しく早めの夕食を取る。
いつものように彼女に皿を押し出しながら、ルシアの大きな背中を眺めていた。
「なぁ。今晩あたり話そうと思う。そろそろ、いや、もう遅すぎるくらいかもしれないけどな」
「実は私も思っていたんです。なんて言うか、内緒にしているみたいで……」
早くに取ってしまった夕食のせいで少し間延びした時間をやり過ごし、静かになった食堂に降りる。
遅い時間にぞろぞろ現れた俺達に少し驚いたような顔をするルシア。
「ルシアさん。ちょっと相談と言うか。話があるんだけど」
「面倒事かい?金なら貸さないよ?寝泊まりと飯ならつけといてやってもいいけど。……あれ、この間貰ったばかりじゃなかったっけ?」
「違うって。実は――」
静かな食堂にゆっくりと響く俺の説明。
時折レイスがそれに補足する。
ルシアが浮かべたのは、驚き、そして少し寂しそうな顔。最後は笑顔だった。
一緒に事情を説明していたレイスの肩をそっと抱き、良かったねぇなどと髪を撫でながら暫くその手を離さなかった。
そして俺に向き直り、絶対に泣かすんじゃないよ、などと凄んでみせる。
「俺にも良かったね、とか言ってくれよ……」
「あんたなんかどうでもいいんだよ。さんざこの子泣かしてきた癖に」
取り付く島もなかった。
部屋に戻り、2人で何とも言えない笑いを浮かべる。
「ルシアさん、本当にいい人ですよね」
「ああ。……長居し過ぎた。去られる方は去る方よりも寂しいだろうな」
「そうかもしれませんね。たまには遊びに来ましょう。ルシアさんの作ってくれるごはんはおいしいです」
「ああ。飯だけでもたまには食べに来よう」
いつものようにベッドに座る彼女。
その向かいで、やはりいつものように椅子に腰かける。
過去のルシアの言葉でも思い出しているのだろう、穏やかな表情で俯く彼女を眺めていた。
そんな彼女を眺めながら、スライとのやり取りを思い出していた。
レイスの事。
そのレイスが名前を出したミリアの事。
そして彼女が見たいと願った、これからの軌跡。
「なぁ。レイス」
「はい」
「ミリアの事なんだけどな」
「……はい」
少し不穏な空気を感じたのだろうか。
上目遣いのような彼女の視線を見返す。
「あいつ、友達だよな?」
「はい。私は彼女が居てくれてよかったと心から思っています。……勝手な話ですが。この先もずっと一緒にいてくれたら、私は嬉しいです」
「そうか。俺もあれの事は大事にしてやりたいと思う」
「はい」
「この間、話したっけ。あいつ、2番目でいいなんて言ってたって」
「ええ。でも私は近くに居られればそれだけで――」
「いや、色々考えたんだけど。俺には無理だ」
「……。」
「お前は……なんて言えばいいんだろう。お前が手の届かない場所なんていうのは、悪いけど俺が無理だ」
その言葉に、彼女の目が見開かれる。
彼女の右目は暫くそのまま俺を見つめ、そしてゆっくりと俯いて行った。
複雑な表情を残す彼女に続ける。
「……ごめん」
「でも――」
「なぁレイス。2番目でいいなんていう言葉、ずっと言い続けられると思うか?
俺の知り得る限り。人間てのはどうしても届かない時、妥協したような事を言ってしまったりする。
そりゃあその時はそれでいいだろう。
でもそれでうまく行った場合はずっと苦しいだけで、そういうのは大概、続かない」
「……。」
「大切にしてやりたいって考えたら、少なくとも、俺の所に来るのは違うと思う。
2番目だなんて言わなくていい、余程いい相手がいるだろ。
そんなのは。きっと後悔する。」
暫くの後。
顔を上げ、口を開くレイス。
「そんなに心配される彼女に少し嫉妬しますね」
言いながら穏やかに微笑む。
「お前は。そうじゃなくて――」
「ごめんなさい、冗談です。
リューン様がそう言うのであれば、私もそうします。
でも、もし。ミリアが私と同じ気持ちだったら。受け入れてあげて欲しいです」
「……。」
「私と彼女は違います。生まれも、過ごしてきた世界も。それでも何となくわかるんです。
きっと彼女は、あなたの為にならばどんな事でもするし、どんな物でも捨てると思います」
「あいつは、いや。お前もだけど。生きていればこれから先の方が長い。今の感情なんて――」
「でも、ずっと今の感情のままかもしれませんよ?」
「そりゃそうかもしれないけどな」
沈黙が横たわる狭い部屋。
一度深く頷き、顔を上げたレイスが口を開く。
「……リューン様。
もし彼女が先々後悔して、もしあなたを恨むような事があっても。
もし、あなたが誰かを犠牲にしても、誰かに憎まれても。
きっと失敗することも、もしかしたら明日にでも彼女を傷つけるかもしれない。
それでも。私はあなたの傍に居ます。ずっとあなたの傍にいます」
「……ああ」
「だから。お任せします。私は、あなたの思う通りで大丈夫です」
穏やかに俺を見つめる彼女の視線。
それを見つめ返しながら立ち上がる。
「……わかった。一応、俺はそう思っている。何か思う所があるなら早めに言ってくれ」
「はい」
「ごめん。先になってしまうな」
「……大丈夫です」
「ありがとうな」
伸ばす掌を、彼女の右手が受け止める。
俺の手をきつく握り返してくれる感触。
「ただ、な。」
「ただ?」
「あいつの運の悪さは絶望的だ。それだけが心底、心配なんだ」
「あぁ……」
半ば冗談のような。
とは言え過去の出来事を考えれば、冗談と捉える訳にもいかないその事実を告げる。
レイスが穏やかに見つめる前で、これで全部だと言わんばかりに一度大きく息を吐いた。
翌日。
俺は、以前ミネルヴから聞いていた、これからの仕事についての準備を始めた。
何の事は無い。
ギルドに張り出されている、現在の依頼の状況を確認するだけなのだが。
受付に軽く挨拶し、いつかのように腕を組んで壁に貼り付けられた依頼を眺めた。
隣で同じように用紙を眺めるレイスを横目で見る。
実際に受ける事は無いのだが。彼女の右目は真剣に上から下へと忙しく動いていた。
再び、視線を掲示板に戻す。
どれもどこかで見掛けたような、懐かしい気もする依頼が並ぶ。
それらを眺めながら掲示板の奥側、つまりランクの制限がある依頼を確認した。
「あぁ。本当にあるな……」
「……? どうしたんですか?」
無言で指さす依頼の用紙。
パドルアの南の森で目撃された、ワイバーン3匹の討伐依頼だった。
「本当に来ていたな」
「すごい。南の国境からって結構ありますよね?」
「あいつら飛ぶからな。どれだけ飛ぶのかは知らないけど」
「……受けるんですか?」
「いやいや。大体、俺のランクじゃ受けられない」
「あぁ……。そうですね」
苦笑いするレイス。
これからの仕事と言われても、まだそれは明確ではない。
この行為にどんな意味があったかと聞かれれば。
まぁ。
暇潰しと言うのが正しいのだろう。
大した時間も殺せずにギルドを後にした俺達。
結局、午後から養成所に向かう事にした。




