2人の日常13
誰が心底それを願おうと。
2人の食事の時間が永遠に続く筈などなかった。
再びベッドに座る彼女。
その正面で椅子に座った俺は、彼女と向かい合うようにゆっくりと座りなおした。
再び俯いてしまった彼女を眺め、何も言わずにただ待つ。
どれ程の時間が経っただろうか。
レイスがゆっくりと顔を上げた。
それに軽く笑みを浮かべてみせる。
彼女も同じように穏やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと話し始めた。
「リューン様。私はあなたが――」
それは軽く微笑みを浮かべた彼女の口から、弱々しく零れるように発せられた。
目の前に座るこの俺をひたすらに賛辞し、全てを投げ打ってでも俺を守りたい、などといった言葉。
それが延々と続く。
「おいおい何だよ一体……」
思わずその言葉に顔を歪めていた。
その顔に彼女は一度言葉を切り、少しの間をおいて再び話し始める。
「もう戦う必要もなくなりました。私がお役に立てるのはきっと戦う事だけです。
あなたが与えてくれたこの力で、私は何があってもあなたを守ります」
「居てくれるだけでいいって言ってるだろ?それにお前の力はお前が手に入れた物だ。別に俺がどうこうって話じゃない」
「私は見ての通り、こんな体です。腕だって。きっと普通に生活していたら、あなたの役に立てることなんてありません」
「役に立つとか、そんな事は考えていない。だからそんな事は気にしないでいい」
「私はお金で売買されるような人間です。これからのあなたには――」
「だからそんな事は関係ないって言ってるだろ」
「私は――」
「レイス。」
「……。」
「……。」
「リューン様」
「ああ。」
「奥さんを貰って下さい」
床を眺める彼女の視線。
その表情は、軽い笑みを浮かべたままで何も変わっていなかった。
先に聞いていた内容ではあったが。
それでもあらためて当人の言葉にされたそれは、ひどく重く圧し掛かる。
「なんで。そんなこと言うんだよ」
「……。」
「俺が嫌いになったなら。そう言ってくれた方が余程いい」
「……そんな訳。ないじゃないですか」
「ずっと傍にいてくれるんじゃなかったのか?」
「その奥さんが嫌だと言わなければ。あなたの所有物として置いて下さい」
「……嫌だと言ったら?」
「逃げます」
「追うぞ?」
その言葉に、笑いながら首をゆっくりと左右に振って見せる。
「なぁ。やっと安全に生きていけるようになるって。まだ実感も湧かないけど、これで良かったって、十分すぎるって思ってた。お前は違ったのか?それが嫌なら今からでも――」
再びゆっくりと首を振る彼女。
「私は、本当にあなたに感謝しています。できる事ならばどんな事だってします。
あなたは私に愛していると言ってくれました。私も心からあなたを……」
「……。」
「……我が儘を言います」
「もう言ってるだろ」
「もっと。……もっとです」
視線をこちらに戻した彼女は、やはり薄く笑みを浮かべていた。
「私は。あなたの生きる軌跡が見たい」
「……。」
その真意を掴めず、ただひたすらに顔を歪めた。
そして彼女は、変わらない表情で言葉を続ける。
「あなたが子を抱き、その子を育む姿を。
やがてあなたがその子を送り出す姿を。
それを見つめるあなたが。
私は。どうしても。
……どうしても、見たいんです」
部屋にはひたすらに沈黙が流れていた。
先程はあれほどうるさく聞こえていた喧騒も、まるでそれを感じない。
彼女が彼女自身でそれを実現できない事は分かっていた。
……それでも。
それでも毎日を過ごし。
いずれ2人共が何もなかったかのように。
静かに、穏やかに、終わりを迎える物だと思っていた。
そして彼女も、そんな終わりを許容してくれるものと思っていた。
もっと言えば。
自分が親になる事など、真剣に考えた事などなかった。
少なくとも一人で生きていた時にはそんな未来など考える理由もなかった。
彼女が現れてからは?
以前、スライの家から帰った折。
彼の家の子供たちと遊ぶ俺の姿に、彼女が泣いた事があった。
それでも流れ続ける生活の中で、それを殊更に感じる事もなかった。
俺が浅はかだったのか。
彼女が隠しきっていたのか。
「……なぁ。その」
「はい」
「ライネと話していたのは?」
「見ていたんですね。ライネさんはこういった事には詳しかったです」
「無理……なのか?」
「はい」
「俺は。正直あまり気にしてなかった。悪かった」
「気にせずに想って頂けたのは本当に嬉しいです。それに私も。もっと早く話すべきでした」
「いつから?」
「良く覚えていません。でも、ずっと前から時々考える事はありました」
「そうか……」
「でも。以前、王都に行きましたよね?あの頃からです。その前は……その……」
「ああ、わかった。あの頃も悪かったな。……謝ってばかりだ」
「そんな、やめてください。私こそずっと悩ませてしまって申し訳なかったと思っています」
「あれは意固地になっていただけだ。ごめんな?」
「真剣に考えてくれていたからだって、私、わかってます。だから謝ったりしないでください」
彼女の貼り付けたような薄い笑顔の中に、少し困ったような表情が混じる。
それに微笑み返そうとするが、俺も情けなく困ったような表情しか浮かべられなかった。
実際、返す言葉がなかった。
俺はただ漠然と、これでゆっくりと暮らせる。それでいいと思っていたが。
彼女はとっくにその先の先を考えていた。
俺の浅い知識でも恐らく無理だろうと考えるような望み。……それは。
無理だろうなどという曖昧な言葉でなく、濃厚な断言に変わっていた。
「だから。私の事なんて気にしないで大丈夫です。
私には先なんてなかった筈なんです。
それをあなたが救ってくれた。
守ってくれると言ってくれた。
こんな幸せな世界を教えてくれた」
「……。」
「もっと幸せな世界を。見せてください。」
俺を見つめる潤んだ右目。
俺は。
それを正面から見つめ返す事ができなかった。
「リューン様」
「……ああ」
「ミリアに。彼女に勝手な話をしてしまった事。すみませんでした」
「……。」
「でも。彼女ならきっと、私が近くにいる事も許してくれると思いました。太陽のように見える2人が近くで笑っていてくれたらどんなに素晴らしいだろうって思いました。……本当に我が儘だと思います」
「……。」
「もしリューン様が奥さんなんて貰うのは嫌だと言ったとして。そういった不安定な立場でも、彼女は絶対に嫌だと言わない。それでも近くにいたいと言う。そう思っていましたし、今もそう思っています」
「お前……」
「彼女が怒るのも当たり前です」
「……。」
「こんなに我が儘だとは思いませんでした?」
彼女は悲しそうに笑って見せる。
喪失感。悲しみ。少しの怒り。
浮かびあがるうまく表せない感情を顕にする気には到底なれず、むしろそれらは全て掻き消されていった。
そこに残る、胸を締め付けるような感情。
「……ああ。そうだな」
彼女の悲しそうな笑みに、ひどく引き攣った笑顔を返してみせるのが精一杯だった。
それきり彼女は軽く俯き、再び穏やかな笑みを浮かべるだけだった。
北の街での折。
以前のように延々と彼女を待たせたりはしないと思う、などと考えた事を思い出す。
しかしこれは。待たせるとか、そういう類の話ではないだろう。
「なあ、レイス」
「はい」
「少し考えてはみる。でも俺は」
「……。」
「さっきも言ったけどな、少なくとも俺は。2人で静かに暮らしていければいいって。そう思っていた。正直、今もそう思ってる。それは分かってくれよ」
「はい」
「だからあまり……期待しないでくれ」
「……はい」
吹き消される蝋燭。
まだ少し、表の通りの喧騒が漏れ聞こえている。
狭い安ベッドは、少し距離を置くべきであろうこの瞬間でもその手を触れ合わせる。
手の甲が触れる感触に、それを少し引こうとする彼女の手を握った。
暫くの後。
彼女の手が握り返してくるのを感じた。
ひどく情けないながらもそれに安心するように。
俺は、深く眠っていた。




