変わり始めた日常05
「参ったな…」
先程の髪留めを握り締め静かに眠るレイスを眺める。
あのタイミングではまるで口説いているようだ。
彼女の中で急激に膨れ上がったのであろう感情。
暗闇の底にいた自分を助け出してくれる存在が目の前に現れ、自分に微笑みかける。
好意を持つのも当然だ。
だが自分の置かれた境遇や彼女の若さを考えると、そういった感情は受け入れ難い。
昨晩、宿の女将ルシアにさんざ注意されたとおり、
いつ消えてなくなるか分からない自分が彼女にとって大きすぎる存在になってしまう事は、
彼女にとって良い事だとは全く思えない。
まして自分でそう思ってしまうという事は。
それは悔しいほど事実なのだろう。
暫く悩み、しかし眠気に襲われて慌てて違う事を考え始める。
とりあえず自分の事は一旦置いておこう。
まず、彼女がこれから生きる術を考えてやらないといけない。
一体、何が出来るだろう。
彼女には隻腕、隻眼という条件がある。
…そこまで考え込んで、自分が冒険者や傭兵といった雑な職業以外の事をあまり知らない事に気付く。
やむなくそういった職業の中で考えを巡らせた。
白兵戦を行うには不利すぎる。
弓は使えないだろう。クロスボウならあるいはとも考えたが、片手ではボルトを引き切れまい。
僧侶?彼女の境遇で神を信じられるか?
…魔術師。
あまり良くは知らないが、世界に浮遊する何かと自らの精神力を使って、雷撃や炎の矢を作り出す。
昔対峙した相手に使い手がいて、ひどい目にあった事を思い出した。
大木に身を隠したつもりだったが、その大木ごと薙ぎ倒されたのだ。
何とか命拾いしたのだが、そこで逆に驚嘆するところもあったため、知識として覚えるために本を読んだ。
魔力を行使する為の詠唱は、普通に話している言葉ではなく古代語という独特の言語による詠唱が必要、
更に本人の素養が大きくその能力を左右する。
…その程度の事しか覚えていなかった。
当時はその対策として読んでいただけだったので、あまり興味もない部分だった。
言語は勉学によってある程度の結果は出るだろうが、素養は。
そればかりはやってみないと分からない。
…彼女のこれからの時間は豊富だ。
うまくいかなければ、うまくいくまで方法を探そう。
少なくともそこまでは自分の義務の筈だ。
明日ギルドで魔術師の養成所への紹介状を貰って一度行ってみよう。
そう決めた俺は、床に転がるボロ布にうずくまる。
なんというか。
仕事の時よりも疲れるかもしれないな、などと考えている数刻の間に意識は眠りに落ちていった。
未だ朝と呼べる時間に目が覚めた俺は、昨日同様ベッドの上でこちらを見つめていたレイスとさっさと食堂に下りることにする。
「あら。ずいぶん早起きじゃないか」
ルシアさんが席に座る二人を見て、朝食を出してくれる。
苦笑いしながら礼を言い、大きめな目玉焼きを切り分けてやりながらレイスに相談する。
「魔術師の養成所行ってみるか?」
「…魔術師、ですか?」
何を言っているか分からない、といった表情で少し小首を傾げる彼女に続ける。
「まぁなんだ。俺の苦手な分野の勉強をして貰えると。その…助かるな。多分」
「やります。頑張ります。」
俺の目を見つめ、即座に答える彼女に
「それにレイスが先々助かるような知識もあるかもしれない。何でも知っていて損はないだろ」
と続ける。が、微笑むだけで、あまり興味はないようだ。
先が思いやられるな、と考えていると、
「私、何でもやりますから」
そこまで言い切り、満足したように食事の続きを始める。
追撃だった。
ともかく。
俺達は予定通り、ギルドに向かった。
朝の忙しい時間を過ぎた冒険者ギルド:バステトのカウンターに向かう。
「魔術師の養成所への紹介状が欲しいんだけど」
「あれ、リューンさん。転向するの?ちょっと……悪いけど向いているとは思えないけど」
苦笑いしながら顔なじみの中年女性キマムが言う。
「いや、俺じゃないんだ」
と言うと、俺の影に隠れているレイスの肩を掴んで横に並ばせる。
「あぁ、そういう事。ちょっと待ってね」
キマムはレイスの容姿については全く触れずに事務机の中から紹介状を取り出し、大きな判を押す。
「お待たせ。今日は丁度駆け出しのクラスだと思うから急いだ方がいいね」
そう言いながら、掌ほどの紙を半分に折り俺に手渡した。
「ありがとう。幾らだっけ?」
「あぁ、あなたは知らないわよね。つい最近、養成所の初等はギルドで持つ事になったのよ。仕事はあるけど受ける人が足らなくてね。」
確かに依頼の用紙を貼り付けるボードには、所狭しと依頼の内容を書き込んだ紙が並んでいる。
「昔じゃ考えられないな。あぁそうだ、急いだ方がいいのか」
キマムに右手を上げ、振り返る俺の後ろでレイスが軽く頭を下げているのが目に入る。
俺たちは町の外れにある魔術師の養成所に向かった。
諸々の職業に関わる養成所はここパドルアの町の外れにある。
街中で弓を放ったり、火球の魔法を暴発させる訳にもいかないからだろう。
簡素な木造建築の養成所が立ち並ぶ区画の一つ、魔術師の養成所の階段に、年配の男性が腰掛けて欠伸をしている。
この養成所の所長、グラニスだ。
細めの体型に薄茶色のローブ。真っ白な頭。銀縁の眼鏡。顔に刻まれた皺が年齢と、今までの苦労を体現している。
俺は以前、彼の王都への往復の護衛を幾度か受けた事がある。
休憩の折に魔術の体系などを延々と聞かされたのだが…残念ながら殆ど覚えていない。
「グラニスさん、お久しぶりです」
欠伸をしながらこちらを見ると、
「おぉリューンか。しばらくだな。今更魔術でも志すのか?」
ゆっくりした話し方で悪戯っぽく笑いながら、俺の横にいるレイスに目を留めた。
「そうかそっちか。もう始まる時間だから早く中に入れ」
言いながらゆっくり立ち上がり俺から受け取った招待状を入り口の受付の女性に渡すと、建物内に入っていく。
養成所の建物は皆、似たような作りだ。
養成所内には10人程度で座学が受けられる簡単な教室があり、裏手には学んだ事を実地できる広場がついている。
残念ながら、講師の数は十分とはいえない。
所長であるグラニス自らが教練を行うこともあるのがそれを物語っている。
グラニスの後に続いて養成所に入り、教室を覗くと既に生徒が3人並んで座り、何か楽しそうに喋っている。
いずれもレイスと同年代の若さだ。
と。俺と並んで入り口に立つレイスの姿を見て、ひそひそと何か話し始める。
少なからず不愉快そうな顔をする俺の脇の辺りに、そっと手が当てられた。
「大丈夫です。私、頑張ります」
レイスは微笑みながら小さな声で言うと教室に入っていき、彼女たちと少し離れた場所に座ると受付で受け取った本を机に置く。
心配そうな顔をしていたであろう俺に、再度微笑んで見せた。
その時、後ろから肩を叩かれた。
グラニスが教練資料を小脇に抱え、立っている。
「お前、あれは幾ら何でも若すぎるんじゃないのかぁ?」
俺をからかいながら教室に入っていく。
「それじゃ、はじめようか」
レイスに視線を向ける。
彼女が本の1ページ目を懸命に見つめているのを見ると、扉を閉めて養成所の外で待つ事にした。
先程グラニスが座っていた階段に座り込み、ぼんやりと空を眺める。
グラニスは、年配ながら首都でもそこそこ有名な魔術師である。
若い頃は国境の最前線で戦い、爆裂する火球を敵への群れに叩き込んでいた、という噂だ。
だが出世欲もない上に、いつ終わるでもない戦争に嫌気が差し、軍を抜けようとした。
が、結局引き止められ、貴族や金持ちの子息への教育係として、軍に残った。
しかし、そこでも素養も熱意もない若者に親の道楽で魔術を教え続けるような事が多かったようで、
結局軍も抜けてパドルアに移住、講師をしながら自分の研究を行っているらしい。
ただ彼が魔術を教えていた者の中にその何れか、つまり素養や熱意を持つ者もいたようで、時折わざわざ首都まで出向いている。
自分の研究の材料などの買出しもあるので、それは決して彼らの為だけではないようだが。
…もっと言うと、買い物に付き合わされて大変だったのだ。
よくわからない生き物の形をした、やたらと重たい杖の事を思い出した。
「一体、何に使ったんだろう」
つい口に出る。
が、話す相手もいない。
日当たりのいい階段で、遠くから聞こえる剣技の養成所の威勢のいい掛け声を聞いていた。
やがてやってきた睡魔に逆らう理由もなく、俺は座ったまま眠りこけていた。
ふと、左腿にそっと手が載せられる。
目を覚ますと、隣にレイスが座りこちらを覗き込むようにしている。
「今日の分は終わりました。少し…難しかったです」
疲れたように笑うと立ち上がる。
「午後からは実地訓練という事でした。もし宜しければ、その…」
「あぁ、どこかで昼を食べて戻ってこようか」
俺の軽い承諾に、嬉しそうに頭を下げる。
「さて、どこにするか」
養成所の周りには、やはり同様に昼食を取るための小さな飲食店や各職業に関わる用品店が並ぶ。
その中の小奇麗な定食屋で簡単に食事を済ませることにした。
食事中も先程配布された本を広げようとするのでそれを軽く諌め、運ばれてきた油で焼いた魚の料理を簡単に切り分けて彼女の方に押しやる。
「とても興味深いお話ばかりで。火球の魔法のお話をされていました。なんていうか、私もあのようになりたいです。そうしたら、少しは恩返しになるでしょうか?」
「でもあの魔法、狙った所に飛ばすのが難しいそうで、昔、味方の頭の上に飛んでいってしまい…ふふ」
先程のグラニスの講義の失敗談の話をしながら楽しそうに笑う彼女を見ながら、
「そういうのは本当に勘弁だな。敵に魔術師が居るだけでかなりの緊張感になる。そこを後ろからも打たれたらどうしようもないだろ」
苦笑いする。
昼食を済ませ養成所の入り口で彼女と一度別れた。
手持ち無沙汰なので、魔術に関わる用品店を少し覗くことにした。
明らかに場違いな俺に店員が奇異の目を向けるが、気にせず魔術に関わる基本が記載された書を幾つか探す。
取り出し、値段を見て少し顔が歪んだ。
一つ大事な事を忘れていた。魔術に関わる教養や訓練は…費用が高い。
これはゆっくりと試していられないな。
計算違いに毒づきつつ、いくつかそういった入門用の書に目星をつける所までにして店を出た。
ついでに自分の使うような近接戦闘用の用品店を覗く事にする。
簡単なナイフや小型の盾、薄めで軽量な鎧など、やはり入門者向けの用品が並ぶ。
ついでなので、小手の下に巻く薄手で伸びが少ない包帯様の布を買った。
養成所の前に戻り、暇潰しに先程買った包帯を何度か巻き取り外しを繰り返して手に馴染ませる。
暫くすると、先程教室にいた3人が一緒に養成所から出てきた。
こちらに気付いて軽く会釈をするようにして歩いていく。
彼女らは冒険者の志願者には見えなかった。
若しかすると、レイスも本当は、あの中に居られたのかもしれない。
そう考えるとやり切れない気持ちが再び頭をもたげ、手を止める。
その時だった。
「おぉ、いたか。ちょっとついて来い」
振り返るとグラニスがいつになく真面目な顔をして立っている。
「何か仕出かしましたか?」
不安そうな顔で立ち上がる俺を見て、グラニスは踵を返し早足で養成所の中に入っていく。
俺は広げてしまった包帯をくしゃくしゃに丸めて紙袋に詰め込み、後を追う事にした。




