5
体を揺すられて目を覚ます。
「大丈夫?ちょっと悪いんだけどもう無理」
申し訳なさそうな顔をしたヒルダがこちらを見下ろしている。
流石に顔色が悪い。
「いや、十分だ」
起き上がりながら窓の外を見る。
日は傾いているが、まだ日没には時間がある様子だ。
要するに……大した時間は経っていないという事だろう。
頭を振って意識を懸命に呼び戻す。
先程よりは幾らかマシになったと自分に言い聞かせながら立ち上がった。
「悪いな、とりあえず少し休んでくれ」
「取り敢えず何もないね。余計にそれがきついんだけど」
軽く笑って見せながらも、ヒルダはライネが座っている後ろで横になるとすぐに寝息を立て始めた。
窓際に置かれた木箱。それに横向きに座って窓の外を見下ろす。
疲れ切った馬達が繋がれているのを見下ろすが、彼らもすっかり眠っているようだ。
何も動くものは見当たらない。
そこかしこに転がっている死体が物悲しい雰囲気を出していた。
彼ら全員を埋葬する事も出来ないので軍が到着するまで放っておくつもりだ。
その死体達を確認しに行くという話をしていたスライは寝息も立てずに完全に眠っている。
もう、明日にするべきだろう。
寝息だけが響く中、もう1室の扉が静かに開いた。
振り向く俺の視線の先、眠たそうな顔をしたレイスが出てくる。
「リューン様、すみません。眠るつもりではなかったんですが」
そこまで言い終えると大きな欠伸をしている。
「もう少し寝ていてくれ。俺も今まで少し眠らせてもらって代わった所なんだ」
「じゃあ私も次の交代までここに居ます」
俺が座っている木箱。
少し腰をずらして場所を開けたそこに彼女が静かに座る。
「休んでおけ。交代で見張りが始まる」
「ここで眠ったら迷惑ですか?」
「いや、迷惑じゃあないけどな」
一度振り向き彼女に微笑みかける。
「さっきミリアから大体は聞きました。ひどく謝られましたよ」
振り向いた先の彼女は複雑な表情で眉を下げている。
怒ってくれた方がこちらも謝りやすいのだが。
「悪かった。とはいえ相当堪えている筈だ。近くに居てやってくれ」
「私よりもリューン様が居てあげればいいじゃないですか」
「お前なぁ…」
益々寄りかかるレイスの体を背中で押し返す。
「そうですね。やっぱりもう少し眠ります。辛くなったら起こして下さいね?」
そう言って立ち上がろうとする彼女に手を伸ばし、髪をそっと撫でる。
触れる手に少し驚いたような顔をする彼女は、しかし俯いて目を閉じて素直にそうされる。
「悪いな」
「いいえ。やっぱり…」
「やっぱり?」
「いえ。なんでもありません」
顔を上げて微笑んで見せると、彼女は隣の部屋に戻って行った。
再び窓の外に視線を移す。
相変わらず何も動きが無い風景。
寝息だけが響く部屋。
幸い、昨晩見た月は満月に近かった。
篝火など用意しなくとも、数日間は夜も遠くまで見渡せるだろう。
代わり映えしない風景を延々と眺めている。
もう、じきに日が暮れるだろう。
この状況になったのが何日前なのかは分からないが、この通りを沢山の人間が行き来していた筈だ。
向かう先のウルムもこの調子なのだろうか。
今回とは比べ物にならない数を相手にする事になるだろう。
とはいえ大した相手ではないと感じている今では、そこまで気が重い訳でもない。
薄い包囲網でも包囲するべきだろうか。
それとも10人程度で遊撃して片付けるべきだろうか。
そんな事をぼんやりと考えている後ろで、変な声をあげてスライが起き上がった。
「大丈夫か?変な声出してたぞ」
「あぁ…。なんだっけ?」
「まだ何も言ってない」
「あぁそうだっけか」
何の意味も無いやり取りをしながらスライが立ち上がり、大きく伸びをする。
「あんだよ、起こせばよかったじゃねぇか。もう今からは無いな」
「ああ。明日でいいだろうと思った。流石に起こす気にもなれなかったしな」
そう言う俺を変な物でも見るような顔で見ている。
「何だよ。一応悪いと思ってるんだぞ?」
「やめろよ気持ち悪い…」
脱力するようなやり取りに再び欠伸をするスライが切り出す。
「お前、あの子どうすんだ?」
「ミリアの事か?軍が来たらヒルダ達と一緒に先に帰ってもらう」
「違う、そういう話じゃねぇって。ありゃまずいんじゃないのか?」
「……。」
「細かい事は知らねぇが気をつけろ。刺されるぞ?」
心底楽しそうなスライの言葉に前のめりになる。
「あいつはそういうんじゃないんだ。多分」
「そりゃお前の都合だろ。いやいや人生楽しそうでいいじゃねぇか?」
「勘弁してくれよ。串刺しにされる…」
「いえ、それくらい普通ですから大丈夫ですよ」
その声に振り向く先、クレイルが欠伸をしていた。
「貴族になる訳です。2,3人くらい面倒を見るのもまぁ普通というか、甲斐性なんじゃないですか?」
半笑いでそんな事を言うクレイルに、更に前のめりになった。
いつから起きている。
うんざりしながら再び窓の外に視線を落とした。
その背中、更にスライが追撃する。
「なんて言ったっけあの輸送ギルドの。帰ったら告げ口しに行って来る」
「もう好きにしてくれよ…」
オルビアにひたすら馬鹿呼ばわりされる様を想像する。
また更に前のめりになった俺はもう、膝に額が着いてしまいそうだった。
結局、スライとクレイルにはもう一度眠って貰った。
そもそも目を覚まさなくて良かった。…むしろ目を覚まさないで欲しかったような気もする。
その後、夜半にクレイルと見張りを再び交代して朝まで眠らせて貰った。
翌朝。
スライと村の中を歩きまわり死体を確認し始めた。
無残に転がる死体はやはり普通の村人のもので、突飛な特長も無い。
あくまで転がった死体は、という前提だが。
それは村の北側にある家を出た時だった。
村の外の道、少し先。
のろのろとこちらに向かって1人で歩く人間が見えた。
「あんだよ早速来たじゃねぇか。1人で良かったな」
「よくないだろ。この調子じゃちょこちょこと相手をする羽目になるかもしれない」
「暇つぶしにゃ丁度いいだろ」
その表現に呆れた表情でその人間に歩み寄る。
革の鎧、両手持ち兼用の柄が長い長剣。腰周りにぶら下がる雑用品入れであろう小さな鞄。
恐らくこの地域に居た冒険者の慣れの果てだろう。
脇腹からの大量出血の後が残っている。これが致命傷だろうか。
その成りを確認している俺達に気付いたそれが絶叫を上げる。
「何度聞いても気分悪りぃな」
「ああ。いい加減慣れるだろうとも思ったんだが」
少し鈍い動きでこちらへどたどたと走り寄るそれに立ち塞がり、腰の剣の手応えを確認する。
「スライ、別のが居ないか見ていてくれ」
「分かってるって。さっさと片付けてくれよ」
「気楽に言うなよ…」
とは言いながら確かに気楽だった。…そこまで恐れる相手ではないと思っていた。
走りながらぎこちなく振り上げる長剣。
いつもの癖で、それを受け止めて打ち返す前提の動きを取る。
予想される剣の軌跡。それを受け止める準備。
そして予想通りの軌跡で振り下ろされる長剣を、間合いを詰めながら左腕が受け止める。
…筈だった。
受け止めた左腕を押し込まれ、慌てて添える右手。
その両腕を更に押す、刃こぼれが目立つその刀身。
「なん…だこいつ!」
受け止めている体制のまま押し飛ばされる。
危うく地面を転がる羽目になるところだった。
何とか体制を持ち直し、再び構えなおす。
「おい、何やってんだよ!」
慌ててスライが大型のスタッフを構え、集中を始める。
それに気付いてもいない様に俺の方へ歩みを進めるその不死者。
長剣を振り上げながら再び絶叫し、それを振り下ろす。
やはり予想通りの軌道を描くそれをかわし…すれ違いざまに右腕を切り落とした。
それさえも意に介さず振り返るその顔へ左の拳をめり込ませる。
仰け反り、再び起き上がるその首を青白い刀身が切り飛ばした。
「スライ。他は?」
「しらねぇよ。他所見してる余裕あったと思うか?」
「…確かに」
変な汗をかいていた。
なんだあの押し込みは。
「悪いついでなんだが。ちょっと腕相撲させてくれよ」
「はぁ?頭でも打ってたか?」
「いいだろ?気になる事が出来た」
首を傾げるスライと右手を握り合う。
顔を真っ赤にするスライと俺の間で拮抗する手首。
…やはり自分の腕力が突然衰えた訳ではなさそうだ。
とすると。
「スライ。こいつ」
「本気で押されたのか?」
「押し切られた。尋常な力じゃなかったぞ」
「…そりゃ危ねぇな」
確かに今まで数度の交戦中、彼らと力比べになるような状況は無かった。
個体差の問題なのか、それとも共通での注意事項なのか。
振り返る俺達の詰めている家屋。
丁度ここからは視線が通らない場所であり、それに胸を撫で下ろした。
あまり皆を不安がらせるのは不本意だ。
それに輪をかけて、確か今見張りをしているのはレイスの筈だった。
地面に転がる新しい死体を一瞥し気を取り直すと、再び探索作業に戻る。
昨日ミリアを救出した場所。
床に転がった首が、開け放しの裏口からこちらを見詰めていた。
そしてすぐ近くに無造作に転がる胴体。
「おいおい。これ、引きちぎったのかよ?」
「あの時裏口から何人も出てきていたから当然1人じゃないんだろうけどな。一応、ミリアにも聞いてみよう。思い出したくないだろうが」
「人間引き切るってまともな腕力じゃねぇぞ」
眉をしかめているスライの方を見る。
「戻ってからクレイルと一緒に試してみる」
「お前ら2人で首引っ張られたら普通に死ぬっての」
ふざけて話しているが、実際とんでもない力だ。
実際何人でこれを為したのかは分からないが、手強いとは思わない、などと言っている場合ではない。
床に転がった頭。
その見開かれた目を閉じてやる。
せめてもの心遣いとしてその頭、そして家の外に転がっていた細い腕を有るべき場所へ置きなおした。
引き続き無残に転がる死体を確認して回る。
結論から言うと、結局大した事は分からず仕舞いだったのだが。
少し肩を落として歩いている最中、ふと2階の窓を見上げるとこちらを見詰めていたレイスと目が合う。
彼女は慌ててその視線を逸らし、通りの先へ視線を向けた。
「ちゃんと見張れよ…」
「まぁいいじゃねぇか。団体が来たら嫌でも目につくって」
「そりゃそうだろうがな」
2階をもう一度見上げる。
素知らぬ顔で遠くを見詰めるその顔に苦笑いしながら再び歩き出す。
物のついでとして、数軒の家から食料を調達して戻った。
拝借した野菜や水、パン、卵。
比較的普通の食事を口に運ぶ。食料の点では暫く問題なさそうだ。
おそらく、もうじきに正規軍も到着するだろう。
先程。
遭遇した不死者の腕力についての話を皆に説明した。
あくまでまだ想定の域を出ないが、間違いなく徒手の組み合いなどするべきではない。
みなそれぞれ戦闘についての基本姿勢がある。
少し考え込むような皆の表情を眺め、気をつけてくれ、と締めくくった。
結局その後は新しい客が現れる事も無く。
夜半からの見張りに備え、俺は再び眠らせて貰う事となった。




