アイリアの喧嘩
別に自分が差別の目で見られていることに驚きはしません。
合衆国では……いえ、この世界では人狼族は基本的に嫌われ者です。旧大陸でも、そして自由と平等を謳っているはずの新大陸でさえも、人狼族は社会的底辺に位置しています。
合衆国の場合、すこし状況は複雑で、南北で差別の差異があります。勿論その人の感情次第なのですが、大雑把に言って南部では差別感情は少なく、北部では差別が酷いです。
理由は簡単です。
人狼族は、最近新大陸にやってきた移民であるということ。いや合衆国の人間は大多数が移民なのですが、彼らは帝国からの独立以前に新大陸に移民してきた人たち。いわゆる「オールドカマー」です。
対して私たち人狼族は「ニューカマー」。独立後に仕事を求めてこの国にやってきた人たち。元々差別されている種族が大挙として合衆国にやってきた。オールドカマーの人たちがどう思うか、などは最早説明不要でしょう。
結果、私たちは合衆国北部では虐げられてきました。仕事は「きつい」「汚い」「危険」「賃金が低い」のものばかりです。下水やゴミの処理などはまだ恵まれている仕事でした。そして汚い仕事をすると、自然的に「アイツらはヘドロにまみれた仕事が好きな奇怪な人種」というレッテルを貼られます。
でも、南部は違います。
合衆国南部は、綿花の一大生産地です。そのため綿花の栽培・収穫の為に、大量の労働者が必要になります。でもオールドカマーの人たちはこのような仕事をしたがりません。北部の方が工業が発展し収入が良い、翻って農業と言うのは収入が低いですし何より地味です。
でも、私たち人狼族にとっては夢の仕事でした。
人狼族は喜んで綿花の仕事をします。汚くもなく危険でもないこの仕事をしているうちに、最初は偏見の目で見ていた南部の人たちと友情が芽生えます。
その結果、人狼族は北部では「汚い、畜生以下の犬」と見られ、南部では「貴重な労働源」として見られるようになったのです。
……そして今、サラゴサの料理店で私は差別を受けました。
でも慣れっこです。私も2年前まで、ハーコート少佐に拾われるまで北部に住んでいたから。この手の言葉に動揺するほど軟ではないです。
ただ、少佐との楽しい食事のひと時が邪魔されたことが、ちょっと残念だなって思ったんです。
けど、事態がちょっとややこしくなりました。
少佐が、アイリア・S・ハーコート少佐がゆらりと立ち上がったのです。
彼女がこうなる姿を、私は久しぶりに見ました。たぶん半年くらいぶりです。
なにかって? それは、えっと。
普段サボり魔で沸点高い温和な少佐が、ぷっつんした時の行動なんです。普段怒らない人が、ぷっつんしてしまった時って大抵どうなるか、見識ある人ならわかると思います。
食べ過ぎたわけでもないのに胃が痛くなってきました。自然昇進が待っているというのに、ここで問題を起こしたら元の木阿弥です。止めないとまずい……と思った時にはもう遅かったです。
「おい、そこのデブ」
あ、これハーコート少佐の声です。口が悪く、そして凄い声が低くなっていますけど間違いなく少佐の声です。
「んだぁ? このアマ。あぁ、お前、そこの犬と一緒にドッグフード食ってたやつだな。あいつの飼い主か?」
「……偉そうな口聞いてんじゃねぇぞ、このハゲ」
「あぁ?」
恰幅の良い男性の、恐らく北部出身の富裕層の人の頭に血管が浮き出ました。男性の高そうな服にはワッペンがあり、そこには「アパリス工業」と書いてありました。合衆国北部に存在する繊維工業会社です。あの男はその会社の重役なのでしょうか。
まぁどんなに裕福な人間であろうと、ハーコート少佐の前では無意味です。
既に少佐は戦闘モード。止めに入れば私まで巻き込まれてしまいます。それに乱戦になればお店にも迷惑でしょうし、ここはあえて喧嘩させて少佐には反省してもらいます。
「よし、ネェちゃんがやるっつうんならオレも相手になるぜ。これでも俺は元陸軍中尉だからなぁ!」
元中尉さん、目の前の人は現役少佐ですよ。軍服の襟章を見ればわかると思いますが、女性だからそんなに昇進してないとでも思っているんでしょうか。
元中尉さんはポケットからメリケンサックを取り出しました。指を通そうとした瞬間あら不思議、元中尉さんの歯が1本抜けました。
……ごめんなさい、私にも一瞬過ぎて何があったのかわかりませんでした。まぁたぶんキレた少佐が四の五の言わずグーで殴ったんでしょうけど。
嵌めかけたメリケンサックは情けなく床に落ち、元中尉さんは呆けた顔をしています。しかし少佐はそんな元中尉にさらに攻撃を加えました。
最初は鳩尾に強烈なパンチ。蹲りかけたところで膝で思い切り顎を砕きます。相当体重がある元中尉さんの身体が宙を舞い、そして着地しました。
……メリケンサックがあったところに。当然ですが、刺さります。
「があああああああああああ!!」
元中尉さんの悲痛な叫びが店内に響きわたりました。数十秒間痛みに悶えたのち、彼は叫びます。
「このクソアマァ! ぶっ殺してやるぅ!」
取り出したるは、拳銃。富裕層がよく買う、装飾された拳銃です。戦場での実用性はありませんが護身用としては十分でしょう。至近距離からならどこを狙っても当たるはず。
「ヘッヘッヘ。形勢逆転だなぁ……?」
そう言う人間って大抵負けますよね。物語でよく見ます。
「おい、謝れよ。土下座して謝れよ。そうしたら、許してやるよ」
下劣な声を出す元中尉さんに対して、現役の少佐が答えます。
「……お前が」
「あぁ?」
「お前が謝れやああああああああああああああああああああ!!」
そう少佐は叫んで、瞬く間に元中尉さんとの距離を詰め、銃を抑えます。撃鉄と雷管の間に指を入れて、物理的に射撃を不可能にした後、銃口を床に向けます。
否、元中尉さんの足の甲に向けます。
……あとは何をするか、言わずもがな。
ガァン! と発射火薬が炸裂した音が店内に響きます。店主を始め客数人が驚きましたが、私は軍に居て結構聞き慣れたので冷静でした。
そして一番冷静じゃないのは、元中尉さんでしょう。
彼の右足の甲から、血が噴出しています。一瞬待って、
「あ、あばあああああああああああああああ!!」
今日2度目の悲痛な叫び。
右足からは止め処なく血が噴き出します。まぁ足なので止血をすれば死にはしないでしょうが、下手をすれば歩行に障害が残るでしょう。
床を情けなく這い逃げ出そうとする元中尉さんに、少佐は追い打ちをします。元中尉さんの右足を思い切り踏みつけたのです。さ、さすがにそれはやりすぎでは……。
「あんたのせいで…………あんたのせいでカミラが泣いちゃったじゃないの!!!!」
泣いてません。
あとそろそろ止めないと元中尉さんが死んじゃいます。さすがにそれはまずいので、止めましょうか。




